十三話 考察

 海から帰ってきた夜。

 大量に置かれたガラスのような容器を前にしてこの世界の考察をおこなっていた。


 まずは液化だ。

 液化……ある日突然起きたとされている謎の物体液化現象。極端な話これさえ克服できれば塔が沈んでもなんとかなるのだ。3Dプリンターで代わりになる大きな船を作ってそっちに乗ればよい。

 塔に住んでいる理由など、なぜか塔が液化現象の対象になっていないということだけで十分だ

 リサさんから液化の進行速度は確認してあるが、実験も当然やっている。結論から言うと表面積が広かったり、厚さの薄いものほど進行速度が速いようだ。


 目の前には三週間前からこつこつと作っておいた紙、様々な形状の金属や木材の塊、その他物品が並べてある。液化するのは空気中だけなのかも知るために水に沈めたものもあるし、密閉状態を保ったものもある。そしてすべての素材の物が同様に液化を引き起こしていた。

 特に紙や薄い金属片が速かった。一週間たったころには耐久性が明らかに下がり、二週間たった時には穴が開き。三週間目にはほとんど形がなくなっていた。

 他の比較的密度が高そうなものは表面がざらざらしているだけではあったが、確かに液化を起こしていた。重量も図ってはいたのだが、ここにあるだいたいの物は一年あればすべて液化しそうだ。

 水に沈められたものも液化したのだが、海底は今どうなっているのだろうか? まさか全部が液化しているわけではないのだろうが確認する方法は無かった。


 つぎにその液化した時の液体の性質だ。

 紙を密閉した容器に発生した液体を観察する。

 ……まあ密閉とはいってもこの容器も液化を起こしているはずだから、おそらくは密閉できてはいないのだが。それでものこっていた液体がヒントになるのかもしれないのだからやるしかない。

 匂いはほぼ無く透明だ。何日も同様の場所に置いたのだが腐る様子は無い。数滴取って熱したところ固体は生成されなかった。だが舐めてみるとしょっぱくおそらくは塩水のようだった。

 念のため数滴取り出し、無理やり電気分解みたいなことしてみたのだが、若干塩素のような匂いがした。いや嘘ついた。少なすぎてよくはわからなかった。

 もし塩だとしたら、なぜ塩水に液化するにもかかわらず塩も水と一緒に蒸発して消えるのかは不明だ。


 だが、塩水だと納得できることがあるのだ。それは海の水が塩辛かったことだ。あの大量の水はこの液化現象が引き起こしたのだろう。ただの水ならば元々の海が希釈されるはずだ。もっと塩辛くない味になっているはずだ。


 というわけで先日海から採取してきた水を熱していく。そう。あの日は魚を釣りに行っただけではないのだ。

 そうしてしばらく待ったところなにも残ってはいなかった。液化した時に発生する液体と同様の性質を持っている。今度はちゃんと電気分解もしたのだが塩素の匂いがした。以上のことを考えると『液体の塩』のようなものが存在している可能性が高い。

 海水の観察はまだ続く。

 顕微鏡を準備して中をのぞく。しかし何も映るものは無かった。普通、海水ってそれなりに汚れがあるはずなんだけどなあ……なんで砂さえも無いんだろう。だがこの世界で砂浜というものを見たことがない。なので、おそらくはこの何もないというのが正解だ。こんな高純度の低濃度食塩水であれば、生き物も存在しないのも納得できる。


 そうそう生き物だ。

 あの後も様子を見て捕獲していた蝶が複数いる。今は死んでいるものも含めて八匹ほどだ。適当なかごの中にいれて個別に収集している。

 いろいろなものを与えて飼育を試みたのだが水しか飲んでくれなかった。はちみつをまぜた水さえ口を付けなかったのだから本当に水しか飲まないようだ。

 そして水しか飲まないのだから死んでしまった。死んだ後の様子を見ると、薄い翅の方から液化をしているのがわかる。生きてる時には液化をしなかったのだから生き物は液化の対象ではないのだろうか? だから人も液化しないのだろう。


 死んだ蝶の解剖もやってみた……やってみたのだがよくわからなかった。腹の中にどろりとした液体があり、かすかに燐光を灯していたのでそこにエネルギーを貯めていることだけは推測できた。

 その燐光はふらっと形を変えると空気中に霧散して消えた。相変わらずわけがわけがわからない。魔法のように幻想的な一瞬だった。

 第七地区の情報から考えると、きっと彼らは塔にエネルギーを与える代わりに何かしらの栄養を貰っているのだろう。そして蝶はその栄養が無いと生きていけないのだ。

 生き物が液化しないのであれば、液化する設備を作るよりもこっちの方がずっと堅実だ。だから2000年前の人々は蝶を作ったのだろう。


 ならば生き物を船にすれば……塔から逃げることもできるのだろうか? 大きなクジラの背中を抉りそこに居住区を作るのだ。……あ。居住区から液化が始まりそうだな。初めから背中に生き物が住めるような設計の生き物を創ればよいのだろうか?

 だが、未来人たちがこれを想定してないとは思えない。絶対に試している。うまくいったにしても失敗したにしてもきっと資料が残っているはずだ。もしも成功事例が過去にあるのだとしたら生存確率は跳ね上がる。

 ……なぜ蝶はうまくいったのだ?


 ここまではわかった範囲だ。まだ塔の歴史はわかっていないし、来年の終焉から逃れる方法もわかってはいないがそれでも確かに前進はしていた。


 だが、もう一つの調べ物はうまくはいってはいない。

 なんの話か?

 それは当然『過去に帰る方法』だ。もしくは未来に行く方法だ。別に未来に行く方法を調べられたところで助かるわけではないが、俺がなんでこんな事態に巻き込まれているかはわかる。

 それに、もしかしたら今からずっと未来では人が生きれる環境があるかもしれない。まあ、一番良いのは過去に帰る方法だが。

 つまり過去でも未来でも時間移動ができればこんな狂った世界とはさようならできるのだ。

 別に過去の世界に未練があるというわけではないが、最低でも来年にはすべてが滅ぶと言われることは無かった。そして俺のタイムスリップが実例としてあるのだから、時間移動が最も近い解決策だと信じていた、

 にも関わらず何にもわからない。

 せっかく未来なのだ。みんな大好き青狸の話では近いうちに時間旅行できる予定だったんじゃないのか。いつも物理法則を小馬鹿にした未来の常識を見せつける割に、どうしてこの世界には時間を移動する話が欠片も無いんだよ。


 やはりこの世界は都合の良い世界だ。もっと詳しく言うと滅ぶことに都合の良い世界だ。

 きっと人類が産まれてきてからずっと人類滅亡ガチャを引き続けていたのだ。それを繰り返しているうちに排出されたSSR滅亡。過去の数万年の人々が回避しようと全力を尽くした結果、厳選されてしまった最強のリセマラ個体。それが今の世界なのだ。よくよく考えれば、時間移動が簡単にできればもっと前に誰かが解決してるはずなのだ。


 ……この世界の考察を続けていると、ここに来てからずっと目をそらしてきたことを思い出した。それは俺の頭がついにおかしくなった可能性だ。

 俺は自分のことをまともな人間だとは思っていない。

 だが特別に異常な人間だとも思ってはいない。

 幻聴と悪夢に苦しめられていて、幸せを感じることのできないただの常人だ。自分の持つハンディキャップが生活に大きな影響を与えるほどのものではないはずだ。内面はどうであれ、外から見た姿が常人であれば俺は常人であろう。

 それでも本当に狂っているときには狂っているかどうかはわからないのかもしれない。一時期幻覚も見ていたのだが、確かに現実だと思ったし現実であって欲しいとも思ったものだ。

 なんなら幻聴も現実のものだと心のどこかでは信じている。


 そんな実情を踏まえると俺の頭が狂っていて誇大妄想に憑りつかれていると考えた方がずっと自然なのだ。

 なんなら、都合の良い世界というのも当然だ。俺の妄想なのだから。すべてがその一言で解決する。

 解決はするのだが……きっと俺はこの悪あがきをやめることは無いだろう。というよりも妄想だとしても現実だったとしても、俺はそれを現実と認識している限り破滅から逃げることを辞めることができないのだ。


 あー卑屈なことをまた考えているな。もうこの話はしてもどうしようもないことを頭ではわかっているのだ。それでも考えてしまうのはきっと弱さなのだろう。

 ええい。やめだやめ。

 こんなことを考えていても仕方がない。今までのことを忘れるために大きくかぶりを振った。

 まあ、現状整理としては以下のようになるのだ。

 俺が死なないためには『液化に対抗する』、『再び時間移動する』、『俺の精神が狂っていた可能性にかける』の三択からどれかを成功させないといけない。そして液化の対策には生き物を使えばよい可能性がある。

 

 まだ何もわかって無いに等しいが、それでも三週間前よりはずっと分かったことが増えた。今はとりあえずこれだけで満足しておくしかない。

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