十二話 魚

 今日は海に来た。

 第七地区で重要な情報を見つけて張り切っていたのだが、あれから一週間かけてねっとり調べ上げてもあれ以上の情報は得られなかった。気分転換も兼ねているのだが、一つ調べたいこともあるのでここにやってきたのだ。


「うーみー。うみ。うみ。うーみー!」


 今日も遥は一緒に来ている。連続第七地区探索に辟易したのか、最近はついてきてはいなかったのだが海に行くと伝えると喜んでついてきた。大型犬かよ……。

 今回は抜かりない。ちゃんと水着もご飯もタオルも準備して行っている。もう突然、くそハイレベルストリップショーin未来が開催されることは無い。多少残念ではあるが人の尊厳だけは確保できた。


「お客さん。お客さん。ところでどうして突然海に?」

「気分転換と自由研究」

「自由研究? 何か調べるの?」

「そ」


 適当に生返事をしながら向かう。前に海に来た時に海の水のしょっぱさに違和感を感じたが、違和感があったのは当然なのだ。

 液化現象で水が増えたのにどうして昔の地球と同じ味なのだ? 大陸までも水で沈んでいるのだから解けているものも絶対に大きく違うはずだ。なぜ味の違いがない?

 そしてもう一つ疑問に思うこともあったのだ。

 海の生き物は? 強いて言えば魚はどこに行った?


 そう。過去の海と同じものを感じるのになぜか海には生き物はいないのだ。最低でも前回は生き物の気配を感じなかった。

 これは調べてみるしかない。

 そんなことを考えながら第四地区へと向かう。適当なところで水着に着替えて海へ行く。

 遥は今回は黒のワンピースの水着だ。俺が選んだ。少しでも様々な格好をさせてみたかったのだ。

 俺個人の『かわいい子着飾りたい欲』も当然あるのだが、それ以上に数日前の彼女の瞳が忘れられなかったのが理由だ。

 少しでも何も感じない人形から普通の人間らしくしたかったのだ。きっと未来ではアレが普通なのだろうが俺は俺の我儘を押しつけたかった。


「ほら。これも」

「……? 帽子?」


 ついでに麦わら帽子も押しつける。ちょっとずつ日差しも強くなってきたのでつけるべきだと思ったのだ。しかしこの世界では日差しの健康被害なんて気にしなくても良いのだろう。

 ただ服装とは機能だけのものでは無い。挨拶よりも前に発される声だ。彼女から『暑いから帽子をかぶる』という普通の言葉を聞きたかった。


 あと。まあ。

 完璧美少女の見た目である彼女に似合わないわけがないのも当然なのだがまあ似合う。最高だ。白ワンピもにあったが黒ワンピも全然イケるな。麦わら帽子とかべたすぎてダメかと思ったがむしろ清楚さを際立てている。神かよ。

 そう思いながら遥に見惚れていると、不意に半歩近づき手を伸ばしてきた。


「ねーお客さん、前の時も気になってたんだけどこれなに?」

「ひゃいっ!」


 胸板を触られた。正確には胸板の上にある傷跡を触られた。大小さまざまの蚯蚓腫れのような刺し傷が残っている。突然、体を触られたことに動揺し変な声が出た。


「うわっ。大きな声突然出さないでよ!」

「いや、出すわ! 突然体を触るんじゃありません!」


 体をよじり遥から逃げて腕を交差し体を守る。実際古傷の上は多少敏感になっておりあまり触られたくないのだ。


「えー」

「おう……不満そうだな……」


 やはりこの脳みそアホガキには他人をおもんぱかる気持ちが欠片もない。ゆっくり言えば聞いてくれる日がくるのだろうか?


「んー……じゃ、その腫れてるの触りたいんだけどいい?」

「いやだ」

「えー」


 ちゃんと拒否する。名残惜しそうにこっちを見ているがそれだけだ多少は諦めてくれたようだ。


「じゃあじゃあ。それってなんでできてるの?」

「あー」


 話すか悩む。でもまあ、隠しているほどのものでは無いのだ。それにどうせいつかばれることだ。


「昔な。刺されたんだよ」

「刺された? 何で?」

「そう。いろいろあってな。包丁で刺されたんだ」

「包丁ってあの大きなナイフのことだよね?」

「あの料理とかに使うやつだよ」

「どうしてあれで刺されるの?」

「んー……、あー……いつかな。いつか話してやるよ」

「えー」

「結構面倒くさい話なんだよ」

「えー」


 理由まで聞かれると答えにくい。そもそも恨まれて刺されたとかいう簡単な話でもない。単純に説明が面倒くさいという言葉を免罪符にして話すのをやめることにした。


「ふーん……じゃ痛かった?」

「それについては間違いなく痛かった」

「どのくらい?」

「すっごく痛かったぞ。もう血まみれになったからな」

「……よくわかんないや。試してみようかな?」

「……頼むからやめてくれ」


 さらっと怖いことを言う。俺の刺し傷は幸い重要な臓器や血管を痛めるほどのものでは無かったために大事には至らなかったが、普通はそうとも限らないのだ。


「そういえば遥は怪我したことあるの?」

「ほとんど無いかなー。捻挫とかたまにするけど次の日には治っちゃうし」

「さすが塔の健康管理システム」

「昔に階段から落ちて頭を打ったのが一番大きな怪我かなぁ」


 ほとんどの怪我は治るようだ。ひょっとしたら怪我をした時点で保護下ならば鎮痛作用も発生しているのかもしれない。それも調べなければ。


「ついたー!」


 大きな広間に出たために視界が広がる。ここは俺が流れ着いた例の広場だ。海に入ろうとする遥の首根っこを捕まえて無理やり柔軟体操をさせる。そうして十分に体を温めると海へと入った。

 手を離すと案の定、声をあげながら海へと走った。俺が海が見えるところで『待て』をかけてしまったせいで我慢できなくなったのだろう。帽子も投げ捨てて飛び込み、遅れてざばーんと波がはじける音が聞こえた。



「おー、元気だなぁ……」


 その元気さにげんなりしつつも、3Dプリンターを探す。だが、前に見たところには無かった。だが、塔の保有するものが取れたりなくなったりするわけがない。不思議に思いもう一度探すとあっさり見つかった。

 海に沈んでしまっていたのだ。

 海に沈む。これは塔が沈んでいることを表しているのだろうか? それとも潮の満ち引きだろうか? なににせよ良い気分にはならない。まあ、気持ちを切り替えて3Dプリンターへと泳ぐ。


 海の中でも動くのか心配したのだが特に問題なく操作できた。なので、小さな船と気密性の高い容器を出力する。ついでに釣り竿も作ろうとしたが、無かったので適当に棒と紐と針を組み合わせた。針の先にはするめの干物のようなお菓子をつけておいた。

 それらを作成すると上に乗る。うんいい感じだ。


「お客さん。船?」

「そ。ちょっと遠いところまで行ってみようかと」

「へー……。私も乗るー!」

「うわっ。飛び乗るな!」


 元気一杯に飛び乗る。かなり際どい角度まで傾いたが、転覆することは無かった。未来の技術力なのか運が良かっただけかはわからない。


「ったく。ちょっと待ってろ……」


 とりあえずタオルと帽子を取りに岸へ行く。そこまで距離があるわけでもないのですぐについた。


「ほら」

「ありがとー」


 そして手にしたタオルを遥に渡す。俺自身も濡れてる体を拭きたかったし、遥も同様に拭いておきたかった。風邪をひかないとは言ってたし気にしないかもしれないが別の問題だ。様子を見て一通り拭いたところで帽子をかぶせてやった。力を入れすぎたせいで目深になってしまい、わっ、と言われる。


「じゃあ行くか。少し向こうの方にな」

「うんっ!!」


 そうやって多少水深の深そうな場所へ向かった。適当なところで即席釣竿を下ろす。


「ねーねーなにやってるの?」

「魚。釣ろうかと」

「釣る? それで?」

「わからん。というか魚がいるかを調べるためでもある」

「ふーん、自分で作ったの?」

「まあな」


 そこで気がついた。遥に魚を見たことあるか聞いてみれば良いだけないのだろうか? 今まで思いもしなかったのは明らかにアホだ。


「なあなあ。魚ってみたことある?」

「んー無いよー」

「おう……」


 いや、もう終わりだろ。何て無駄なことをしているんだ。というか3Dプリンターに釣り竿が無かったのだから想定できるだろ。なんて俺は愚かなんだ。


「あー、まあ、いいかぁ」

「んー?」

「いや、まあな。無駄な日が一日くらいあってもいいかなって。最近ずっとなんかやってたしな」

「そうだねぇ……私はお客さんが構ってくれると嬉しいよ?」

「おう。かまってやる。かまってやる」


 こっちに来て三週間。きっと気がつかない間に疲れがたまっていたのだろう。だからこんな簡単なミスを犯した。一応は釣り竿を垂らすがあまり期待はしていない。


「なあなあ。何日か前に白身魚のムニエル食べただろ?」

「ん? 食べたね」

「あの魚の肉は合成肉で、実際の魚は泳いでいること知っているよな?」

「うん。知ってるけどどうしたの?」

「いや。いつから魚は海から姿を消したんだろうなぁって思ってさ」

「そうだね……きっとすごく前だよ」

「と、いうと?」

「だって3Dプリンターで……その、釣り竿だっけ? を作ることもできないんだもの」

「……なるほど」


 遥にしては鋭いことを言った。釣り竿を3Dプリンターで生成できないということは、塔ができた当初から必要とされていなかったということだ。つまり今から4000年前地点の時点で海の生命体は絶滅しただけなのかもしれない。


 完璧な徒労だったなぁ……。

 そうやってぼけーっと暇を潰しながら遠くを見る。

 船にはオールもスクリューもついてはいないのだが、なぜか思った通りのところへとふらふら進む。相変わらず科学に対して真っ向から喧嘩を売っていた。

 海に沈む塔達の間を船がゆっくりと渡っていくだけなのだが無駄に景色が良い。どこまでも汚れの無い塔と海が均一のグラデーションを作っている。透明で人のにおいがしない。きっと人類最後には死臭さえないのだろう。


 ここは人類文明の墓場だ。

 すべてのものは有限なのだからいつかは滅んでいく。

 その最後は、こんなにも穏やかに誰も救われないようだ。いつもの通りに頭には幻聴が鳴り響いていたが、それすらも鎮魂歌や讃美歌のように聞こえる。

 白い塔と俺たちは人類文明のおくりびとなのかもしれない。

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