辺境村の双子幼女①


 月明かりが草むらを照らし、虫の声ばかりが響いている。

 国の外れにある村では珍しくない静かな夜だ。出歩く村人の姿もない。少し先にある修道院も、すべての部屋から灯りが消えて住人は寝静まっているようだった。

 ただし、幾つかの人影があった。暗闇でも村人ではないと分かる。

 足音は静かだが、甲冑が擦れ合う音が静まり返った空気を揺らしていった。


 夜中に息を殺して歩く数名の兵士達―――。

 平和に慣れた村人でも、その姿を見れば警戒心を覚えるだろう。しかし戦いに慣れた者ならば、また違った不審を覚える。

 その兵士達からは、戦いに備えるような殺気立った気配をまったく感じられないのだから。


「すまない……」


 修道院の玄関前に辿り着いたところで、兵士の一人が呟いた。

 頭を下げ、手に抱えていた大きな籠をそっと降ろす。


「謝ったところでどうにもならん。さっさと行くぞ」


「……はい」


 上官に促されて、他の兵士達も後に続く。全員が暗い顔をしたまま、来た時と同じく静かに立ち去っていった。

 やがて、足音も完全に消えて―――、

 修道院の扉が開かれた。


「やれやれ。夜盗の襲撃なら楽だったのにね」


 現われたのは、一人のシスターだった。

 深夜だというのに修道服を着ているが、フードは外していて、長い銀髪が夜風に揺れた。辺鄙な村には似合わないほどに整った美しい顔立ちをしている。

 小さく首を傾げる所作も、王宮の舞踏会場にいる貴婦人然とした気品を漂わせていた。


「兵士に子供を捨てさせるなんて。何処の貴族だか知らないけど、酷いことを……」


 呟きながら、シスターは玄関前に置かれた大きな籠へと歩み寄った。静かにしゃがみ込むと、そこでぼんやりと夜闇を眺めている赤ん坊を見つめる。

 綺麗な碧色の瞳と、金髪をした―――二人の赤ん坊。


「……いや、酷いなんてものじゃないわね」


 籠の中には数枚の金貨と、一通の手紙が赤ん坊の脇に置かれていた。

 しかしシスターの目に留まったのは他の部分だ。

 赤ん坊の耳。二人とも、耳の上半分が切り裂かれていた。

 魔術で治療は行ったのだろう。出血は無いが、歪な形と傷跡は残っている。そしてシスターは、同じように残酷な仕打ちを受けた者を見た覚えがあった。

 種族が違うというだけで嗜虐心を満たす玩具にされる者もいるのだ。


「とんでもない外道ね。最近は、この帝国も大人しくなったと思ってたのに」


 自身の長い耳を指先で弄りながら、シスターは深い溜め息を落とした。

 しばし祈るように目蓋を閉じてから、赤ん坊の頭をそっと撫でる。


「ともあれ……貴方たちは、何も心配しなくていいわ」


「……あぅ~」


 応えるように一方の赤ん坊が声を上げて―――シスターは大きく目を見開いた。

 唐突に月が輝き出したかのように、周囲が青白い光で満たされる。

 幻想的なまでに美しく、力強い光は、その赤ん坊の全身から溢れ出ていた。





 ◇ ◇ ◇


 大陸中央に位置するバルトラント帝国は、国土の広さでも国力の高さでも、周辺国とは一線を画している。領土北側には荒れた山地と寒さの厳しい海が広がっているが、水産資源は豊富で、他国の脅威も無いのでほどほどの暮らしは約束してくれる。領土南側の海は穏やかで、海上貿易を担う港町を中心に、帝国に富をもたらしている。

 東西に伸びる交易路も整備されていて、よほど辺鄙な村でもなければ、まずのんびりと暮らしていける。借金で身を崩して農地の開墾などを強制される者もいるが、大半の農民は飢える心配もなく日々を過ごせていた。


 帝国領の東端にあるウルムス村も、正しく長閑な農村だった。

 住民は二百名程度。土壌も良く、小麦や芋、豆などがよく実り、夜盗や魔獣による襲撃もほとんどない。子供たちは村の中心にある修道院で読み書きや算術を習い、近くの川で水遊びをするなどして平穏に過ごしている。


「つめたっ!」


「あはははっ、ヴィレッサ、ずぶぬれだよ!」


 頭からたっぷりと水を掛けられて、ヴィレッサは頬を膨らませた。綺麗な金髪も肌に張りついている。

 普段はぼんやりとしている表情を険しくして、ヴィレッサは自分と同じ顔を睨みつけた。


「ふふんっ、〝まほー〟は私が上みたいね。やっぱり私の方がお姉ちゃんなのよ」


「そんなことない」


 同じ顔をした双子の妹、ルヴィスが偉そうに胸を張る。

 ヴィレッサは短く反論すると、空中へ向けて人差し指を立てた。指先から青白い光を発して模様を描いていく。教わったばかりの、円の中にもうひとつ円を描く、初歩の水属性魔術の陣だ。

 成功すれば、空中で陣が弾け、そこに水球が作られるはずなのだが―――、

 ヴィレッサがうんうんと呻り、どれだけ魔力を注ぎ込んでも、魔法陣は浮かんだまま光を放っているだけだった。


「おてほんをみせてあげる。こうするんだよ」


 ルヴィスが得意気に言うと、同じように魔法陣を描いた。

陣はすぐに散って大きな水球が作られる。ふわふわと空中を漂った水球は、またヴィレッサの頭上で弾けて全身を濡らした。


「魔術は人によって得手不得手があるからね。適性がないのは仕方ないわ」


 川岸から声を掛けたのは、二人を見守っていたシスター、シャロン。

 フードは掛けておらず、綺麗な銀髪を涼やかな風に流している。すらりとした身体付きも、その美貌も、二人を拾った五年前から変わっていない。

 エルフィン族の特徴である長い耳も、当然のように晒していた。


「シャロンせんせー! 私、〝まほー〟のさいのーがあるみたいだよ!」


「そうね。初めてであれだけ大きな水球を作れる子も珍しい、けど」


 切れ長のシャロンの目に鋭いものが宿った。

 拳骨を握り、ルヴィスの頭へと振り下ろす。


「い、いたぁっ! な、なんでぶつの?」


「言ったはずよ。絶対に人に向けて撃ってはいけないと」


 シャロンは眉間に皺を寄せながら、周囲にも鋭い眼差しを向けた。ヴィレッサとルヴィスの他にも、数名の子供たちが習ったばかりの水球魔術に挑戦し、水を掛け合って遊んでいた。

 けれどシャロンの怒声が響くと、子供たちはピタリと静かになった。


「いい? もう一度言うわよ。魔術というのは本当に危険なものなの。今回は水だったからいいけど、もしも石を放つものだったら? 炎をぶつけるものだったらどう? 貴方達は友達を傷つけ、下手をしたら殺していたかも知れないのよ!」


 しん、と静まり返った子供たちが項垂れる。

 そうしてシャロンは、魔術の間違った使い方をした子供全員に拳骨を落とした。


「せんせぇ、ごめんなさい……」


「分かればいいのよ。よし、授業を再開しましょう。今度は二重丸を二つに割るように横線を入れて陣を描いてみなさい。もちろん、誰もいない場所へ向けてね」


 ルヴィスが目にいっぱい涙を溜めて謝る。

 シャロンは優しく微笑むと、拳骨を当てた頭をそっと撫でてやった。

 この双子は、なかなかにシャロンの手を焼かせてくれる。訳アリということではなく、子供として、という意味で。


 ルヴィスは奔放で、よく笑い、よく泣く。最近は何故か妹なのにお姉さんぶろうとして、張り切りすぎて失敗することが多かった。だけど正直な子なので、手が掛かる部分も含めてシャロンは可愛いと思っている。

 対して姉であるヴィレッサは、ぼんやりとした子供だった。物覚えはよく、修道院の仕事も真面目に手伝っている。だけどたまに突拍子も無い行動を取る。数日前に起きた『落月事件』は、村の全員を驚かせた。


 金髪碧眼。可愛らしく、それでいて芸術的なほど整った顔立ちは瓜二つなのに―――、

 双子でこうも変わるものかと、シャロンはいつも人知れず口元を綻ばせていた。


「ほら、もう怒ってないんだから。ヴィレッサも……」


 ルヴィスを宥めつつ、双子の姉へ目を向ける。そこでシャロンは首を傾げた。

 川辺にじっと立ったまま、ヴィレッサは自分の体ほどもある魔法陣を浮かべ続けていた。二重丸の初歩的な魔法陣は、どうやらシャロンが怒っている間もずっと保たれていたらしい。

 シャロンは呆れて表情を崩しながら歩み寄る。


「ずっと魔力を注いでたの? 本当に凄い魔力量ね」


「先生……これ、なんだかおかしい」


「魔術が発動しないのは仕方ないわよ。人によって使えない魔術の種類も多いって言ったでしょう?」


 魔力というのは、目に見えないほど小さな『魔素』の集合体だ。その魔素は何十種類あるのか、あるいは何百何千種類なのか分かっていないが、個人によって生み出せる種類が違っている。だから魔術も種類によって得手不得手がある。

 個人がどんな適性を持つかは、初歩の魔術を使ってみれば分かる。水球ひとつ生み出せないヴィレッサは、残念ながら水属性魔術はまったく使えないということだ。


 しかしその小さな身体が持つ魔力量は、信じ難いほどに膨大だった。

 あるいは、底が無いのではないかと思えるほどに。


「ほ、ほら、もうやめなさい。いくら貴方でも、魔力が尽きたら気絶しちゃうわよ」


「うん……だけどこれ、硬くなってきてる」


「……? 硬く?」


「始めは大きくしてみたの。でもダメだった。だから、魔力をいっぱい注いでみたの」


 淡々と語るヴィレッサの言葉に、シャロンは眉を揺らす。

 幼い彼女が言う『いっぱい』は、常人の『いっぱい』とは桁が違う。目の前に浮かんだ単純な魔法陣からは、熟達の魔術師であるシャロンでさえ怯んでしまうほどの魔力が感じられた。


「もしかして……」


 恐る恐る、シャロンは指先を伸ばして魔法陣に触れる。

 本来の魔力というのは光のように触れられないものなのだが―――、

 コツン、と。指先に硬い感触が触れた。


「ね? 硬いでしょ?」


「え、ええ、そうね……でも、どうなってるのかしらこれは……?」


 シャロンは首を捻りながら、ドアをノックするみたいに魔力の塊に拳を当てた。

 やはり硬い。氷や石とも違う不思議な感触がそこにあった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る