ロリータ・ガンバレット ~魔弾少女と慟哭の獣~
すてるすねこ
第一章
プロローグ
それは、ほんのすこし未来に訪れる情景―――。
耳障りな喧騒が響いてくる。石壁に開けられた小窓から眼下を覗くと、街のそこかしこで繰り広げられている惨劇が見て取れた。
血塗れの兵士が背後から首を跳ねられる。頭を叩き潰される。家屋が破壊され、無抵抗の街人が引きずり出される。女が悲鳴を上げ、子供が泣き喚いて―――、
やがてこの城も同じように蹂躙される。
それはもはや疑いようがなく、押し寄せる敵兵に対して抗う術もない。
「最ッ高の地獄だぜ、畜生どもが」
そう吐き捨てたのは小さな子供だった。
まだ十歳ほどの幼い少女。背丈は同年代の子供と比べても小柄で、整った顔立ちからは庇護欲を誘うような愛らしさが溢れている。戦場にあって尚、艶を失わない金髪は、毎日時間を掛けて手入れされていた。
けれどいまは真っ赤な外套を羽織り、綺麗な金髪もフードで覆っている。眼差しは鋭く、血に濡れた全身から殺気を放っていた。
唇を三日月型に吊り上げた表情にも、狂気と可憐さが混在している。
年相応という言葉を砕き散らしそうなその少女は、悠然とした所作で振り返った。
「いよいよお迎えが来そうだぜ、愚王陛下様よ?」
そこは玉座の間だった。黒鋼の鎧に身を包んだ若い王が、広間の最奥で豪奢な椅子に腰掛けている。
鍛えられた体付きをしている王は、つい先程まで戦場で大剣を振るっていた。もしも、この場に敵兵が駆け込んできたならば、一瞬にして数体の屍を作り出すくらいの力は残されている。
僅かに呼吸を乱しているものの、その顔から悲壮感は窺えない。
「ふん。礼儀をわきまえぬ逆臣を先に討ってもよいのだぞ?」
「はっ、恐怖で気が触れたか? 敵味方の区別もつかねえのかよ」
「誰にも従わぬ貴様が、味方だと?」
「ああ。当然だろ。嫌だって言われても味方してやるぜ」
笑声を吐いて、少女は目配せをした。
この場にいるのは二人だけではない。王の近衛隊である騎士が数名、それと少女が信頼する仲間も控えていた。
一人の女魔術師が王の背後から歩み寄り、その肩に手を置く。
「失礼いたします」
「っ、なにを―――!」
女魔術師が頭を下げた瞬間、王の身体を青白い光が貫いた。
玉座から腰を浮かしかけた王だが、そのまま膝をつき、倒れ込む。
暗闇に意識が沈み掛けながらも、王は歯軋りをして顔を上げた。威圧を込めて正面を睨みつけたが、それを受ける少女は楽しげに笑っていた。
「逃げる時間くらい稼いでやる。いつか地獄で、たっぷりと感謝しろよ」
「……また、私に……娘を見殺しにしろと言うのか……」
王は力なく倒れ伏し、近衛騎士に抱えられる。
その様子を見て頷くと、少女は外套を翻して、一人で玉座の間を後にした。
「父親、か……」
廊下を歩きながら少女は呟く。小鳥のように可愛らしい声は、何処からか響いてきた野太い断末摩によって掻き消された。
少女は自嘲するように鼻を鳴らし、足を速める。
その途中で、腰に差してある〝相棒〟にそっと手を添えた。
兵士なら剣を差してあるそこに、少女は一丁の魔導銃を収めていた。本来は銀色の輝きを纏っている銃身は所々が黒く焦げて、溶けたように金属が歪んでいる。
「具合はどうだ?」
『現在、修復率十八%……このような時に力になれず、申し訳ありません』
「謝るな。十発も撃てれば充分だ」
相棒を労い、少女は表情を引き締めた。
城の中庭に着くと、すでに百名ほどの兵士達が隊列を組んで待っていた。これまで少女と死線をくぐり抜けてきた、命知らずの精兵達だ。
先頭に立っていた白髭の老騎士が、少女の姿に気づいて敬礼する。
「お待ちしておりました、姫様。我ら百八名、何処までもご同行致します」
「はっ、ろくでもねえ奴等だな。一人くらい逃げ出しやがれ」
「いかに姫様のご要望とて、それは無理というもの。我ら全員、姫様に惚れ込んでおりますからな」
兵士達の笑声が老騎士の言葉に同意を示す。けれどすぐに静まると、じっと少女を見つめて命令を待った。
少女はゆっくりと足を進めて、兵士達の正面に立つ。
フードを降ろし、外套を軽く翻すと、よく通る声で告げた。
「―――これより、敵本陣に突撃する!」
その言葉は死と同義だ。
すでに城壁は崩れ、敵陣の守りは厚く、僅か百名ばかりの兵ではどうしようもない。
しかし兵士達の顔に恐れはなく、犬歯を剥き出しにして笑っている者もいた。
「思い上がった豚どもに教えてやれ! 我ら帝国の牙は、肥えただけの肉など容易く貫くのだと! ヤツラは狼の前に差し出された獲物に過ぎないのだと!」
少女の激に、兵士達が歓声で応える。中庭を埋め尽くすように熱気が広がり、雄叫びが響き渡った。
自分を信頼してくれる声に、少女はほんの微かに目を細める。
けれどすぐに首を回すと、横に用意されていた愛馬へと歩み寄った。
少女の背丈のゆうに三倍はあろうかという大きな黒馬だ。過去に幾名もの騎士をその蹄で踏み潰してきた暴れ馬だが、少女にはとてもよく懐いていた。
いまもそっと首をもたげてくる黒馬を撫でてやると、少女は空中を跳ねて、大きな背に跨った。
小さな背を見つめる兵士達も、次々と馬に乗る。
突撃の―――死出の覚悟は、すでに全員が固めていた。
「こんな時にピッタリの、一度言ってみたかった台詞がある」
「ほう。どのような台詞ですかな?」
隣に馬を寄せてきた老騎士に、少女は言葉ではなく笑顔で答えた。
老騎士が首を捻っている間に城門が開かれる。城を守る最後の壁が消えたことで、大勢の敵兵が我先にと雪崩れ込んできた。
しかし喜色満面だった彼らの顔は、一瞬後には恐怖に染まり、叩き潰される。
魔弾。死を纏う姫。金銃狂狼―――。
様々な名で恐れられる少女に従う騎兵の一団は、その名に相応しく、敵兵を貫く魔弾の如く城門から飛び出した。馬蹄によって敵兵の頭を踏み潰し、槍で心の臓を穿ち、剣で首を刎ねていく。
街を抜け、崩された城壁を抜け、分厚い敵陣へと真っ直ぐに突き進む。
「死ぬには良い日だぁっ!」
少女が高らかに叫ぶ。青く澄んだ空の下、鮮血を浴び、狂笑を浮かべながら。
壊れかけた魔導銃を掲げて、無数の死を撒き散らしていった。
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