第12話 食後のお茶と質問と

 いつもよりにぎやかな晩ご飯が終わって私はみんなの食後のお茶を用意する。


 お父さんのご飯はやっぱり美味しかった。今日はちょっとばたばたした感じになっちゃったから料理――お父さんはお料理の本に載っていない名前の分からないものを作る――は少し冷めた。

 でもお父さんがすごいのは冷めても美味しさが変わらないところ。前に聞いた時に、本来は冷まして出すものを温かい状態で出しているから、と教えてくれた。知識が無いから本当かどうかは分からない。


 毬乃も絶賛してくれたから私も鼻が高い。お母さんに毬乃のことで注意されたお父さんも褒められて嬉しそうにしてたし。


「毬乃も日本茶でいいかな?」

「うん、ありがとー」

 湯飲みをそれぞれの前に置いて私も座りなおす。

 いつもよりたくさんビールを飲んだお母さんは左手で頬杖をついて眠そうな顔をしている。

 酔っているからか顔が赤らんでいつもよりソバカスが目立って見える。

「何回も言っちゃけどホントおいしかったー。今日は二回もお腹いっぱい食べちゃったよー」

 お茶を飲もうとして熱かったのか毬乃が口を離してふーふー吹いて冷ましている。

「でしょう。毎日ご飯作ってるのに全然追いつけないの。同じ食材つかって一緒に作っても味が違うんだよ」

「一緒に作ったりもするんだ。うちとは違うなー」

「毬乃さんのお父さんは、まったく料理をしないのかい?」

 褒められ続けて嬉しそうなお父さんが話に混ざってきた。

「うちのパ、おと、父は仕事人間なので。だからこっちにも来てないんです。こっちにはマ、母とニ人で引っ越して来たんです」

「ああ、それは悪いことを聞いたか。ごめんね」

「いーんです。いーんです」

 謝るお父さんに慌てて両手を振る毬乃は、言葉遣いも丁寧で大人びた感じがする。こんなふうに話したりもできるんだと思った。

「ねぇ、お二人さン」

 毬乃も私も湯飲みを置いてお母さんの方を見る。眠そうにしていたはずのお母さんは赤いままでも真面目な顔をしていた。

「びしょ濡れだった理由は教えてくれるンだよね?」

「……どうして、お母さんが知ってるの?」

 畑にいたから知らないはずなのに。

「こんな狭い世間様だもの。濡れた服を着た女の子が歩いてたら話が広まるなンてあっという間だよ。まあ、実際は外崎のおじいちゃンが心配して教えてくれたンだけどね。風邪でもひいたら大変だって」

「それは…その」

 川での話をどう話そうか迷って私はうつむく。

 本当の話をしたら、きっとお母さんは怒る。怒られるのはしかたなくても毬乃を悪く思われたくない。嫌われたらもう毬乃と会っちゃだめだって言われるかもしれない。でも嘘はつきたくないし……。

「えっと、川に行って…暖かいからもう大丈夫だと思って…入って…」

 言い訳を考えながら話すせいで私の言葉は途切れ途切れになってしまう。

「ちえ、川の危なさはいっつも説明しているよね」

 お父さんに注意した時よりもずっと低い声。怒らせてしまったことが分かった私はうつむいた顔を上げられなかった。自分が悪いこと――嘘をついているって分かっているから。

「違うんです!」

 うつむく私の横でテーブルに両手をついて毬乃が立ち上がったのが見える。

「ちっちえさんは悪くなくて。わたしが悪ふざけで巻き添えにして川に落としたんです。だから悪いのはわたしで。それで冷えて具合が悪くなったわたしをお風呂に入れてくれて……ごめんなさい」

 最初は勢いの良かった毬乃の声もだんだんと小さくなって最後は呟いているみたいだった。

「ふぅ」

 一つ息を吐いて――椅子が動く音がしたからお母さんが立った、と思うけどまだ顔を上げられない。

「良く言えました。正直でよろしい」

 いつもの声のトーンに顔を上げるとお母さんが、うなだれた毬乃の頭を撫でていた。

「あンたは後で説教」

 毬乃から離れたお母さんの手が握りこぶしになってこつんと私の頭を叩く。

「…はい」

「だいたい外崎のおじいちゃンの話以前にお風呂に見慣れないワンピースや下着が濡れたまま置いてあって、しかも毬乃さンがあンたの服を着ていたら想像つくでしょうに」

 私と同じようにそのことに気付いたのか毬乃を見るとやっぱりこっちを見ていた。

 温まって気持ちに余裕ができた私はすっかり忘れてしまったのだ。毬乃も失敗したと思っているのか小さく舌を出している。

「さて、お母さんが聞きたいことを聞いたようだし、そろそろ毬乃さんを送っていこうか」

 様子を見ていたのかお父さんが立ち上がった。手には車のキー。

「いくら放任主義でも連絡を入れずに遅くまでって言うのは次回に影響するからね」

 お父さんが視線を向けた先の時計は9時を回ったあたりだった。

「帰るのに準備はあるかい?」

「ええと。その、ワンピースと…」

 リビングからお風呂場の方を見ながら毬乃が口ごもる。友達のお父さんの前で下着のことなんて言える訳がないもの。

「ああ、ワンピースは家で預かって綺麗にしておくよ。荷物になるから手ぶらでお帰り」

「はい!」

 お母さんの助け舟に毬乃は、ほっとした様子でうなずいた。

「なら、準備は無しだね。それじゃあ送ろうか」

 お父さんと歩き出す毬乃の後ろを私、お母さんの順で追いかける。

 玄関先でお父さんが車を出して来るまで3人でのんびりと待つ。

「毬乃さンは、ちゃンとご飯食べてる?」

「んー食べてますよー、ちゃんと」

 お父さんの歩いていった方向を見たまま返事をする毬乃。

「それならよろしい」

 後ろから毬乃を抱きしめるお母さんの表情は優しい。

「いつでも遊びにおいで。歓迎するから」

 毬乃を抱きしめているお母さんを見ていると胸がもやもやする。

 なんだか嫌。その嫌がどっちに向かっている感情かはっきりしないまま、私はニ人に抱きついた。

「なに、あンた焼もち焼いてンの?」

 からかうような口調のお母さんに何か言い返そうと考えていると車が到着した。

 助手席に座ってシートベルトをした毬乃は私とお母さんの方を見た。

「今日はごちそうさまでした。ちっちえさん、今日はありがとう」

「なんで、ちっちえさんなの? 神社のいじわるの続きなの」

「お馬鹿」

 後ろからこつんと頭を叩かれて振り返るとお母さんがにやにやしている。

「親の前だから気を使ってくれてるンでしょうに。ごめんねーうちの子、気が利かなくて。こんなのもう、ちっちえって呼ンでかまわないからね」

「ぐふ」

 毬乃が吹き出しそうなのをこらえて変な声を出す。前かがみになる毬乃の背中が激しく揺れている。

「お父さん、頼むね」

「ちっちえ、またね」

 笑いながら言っているからか、ふざけて言っているのか分からないままの毬乃を乗せた車は走り出した。

 運転席すぐ後ろの窓から何度も振り返って手を振る毬乃に手を振り返しながら車が曲がって見えなくなるまで見送った。



「家に入ろうか」

「うん…」

 嘘をついちゃったからな。家に入ったらお説教だ。

 リビングに戻ってうつむいてお母さんのお説教を待つ。

「……今日は毬乃さンに免じて許してあげる」

 顔を上げると真剣な顔をして腕を組むお母さんが話を続けた。

「あンたは嘘をついたけど、毬乃さンが正直に話してくれたからね。二人して嘘をついたら外にほっぽりだしてたよ、まったく」

「……ごめんなさい」

「それで、今日はどうだったのさ? 聞くまでもなく楽しかったンだろうけど」

 真面目な顔からにんやりと笑うお母さん。組んでいた腕もほどけて左手で頬杖をつき始めた。

「うん! すごく楽しかった」

 最初の神社に行ったところから、私は今日のことを思い出しながら夢中になってお母さんに話した。手をつないで石段を登ったり、毬乃がサンドイッチをたくさん食べたこと――神社と川で具合が悪くなったことも正直に話した。

 でも抱き合ったりしたことは恥ずかしいから内緒。

「短い間に本当、仲良くなったもンだねぇ」

「うん、毬乃のこと大好きだもん!」

 自分で言って、はっとなる。

 ずっと気になるって思っていたけれど、気になるのは毬乃が好きだからなんだ。

 林では毬乃が大好きって言ってくれたけれど…私も毬乃が大好き。

「ちえ、聞いて」

 名前で呼ばれた私は我に返ってお母さんを見る。

「なに、お母さん」

「今日のことは昼間のうちに幾つかお母さんの耳に入って来ている。と言う事は今度の月曜日にはクラスの子達が知っていると思いなさい。狭い村だからね。話の伝わりは早いよ」

「また、からかわれちゃうかな…」

 休んじゃおうかな、という言葉を飲み込む。

「何か言ってくる子はいるだろうね。転校生と学校じゃ大人しいちえが二人で遊んでるンだから。濡れて歩いていた話だって伝わると思う。毬乃さンには送りながら話すようにお父さンに頼ンでおいたから。あの子なら理解できると思う」

「…毬乃がからかわれるのは…やだな」

 お母さんは、私の言葉にちょっと驚いたような顔をする。

「ふぅん。ちえは、毬乃さンの方が心配なンだ」

「そうだよ。だって毬乃は転校生だし、友達だって――」

 いつもみんなと……じゃない。みんなから話しかけているんだ。帰りはあの日からいつも一緒で……

 その前は? 前にも思った。誰かと一緒に帰っているのを見たことがない気がする。

「間違ってるかもしれないけど、毬乃は私以外の友達がいない気がする」

「それならちえはどうする? 休みたいって顔に書いてあるよ」

「えっと、がんばる。からかわれても気にしないようにする。休まない。一人にしたら毬乃だけからかわれちゃうかもしれないから」

「分かった。なら頑張りなさい、ちえ」

 お母さんが立ち上がって頭を撫でてくれるけれど力が強くて頭ががくがくする。

「じゃあ、あンたにはもう二つ、頑張ってもらおうかな。一つは月曜日はお弁当を四つ用意すること。もう一つは、お昼は毬乃さんと食べること。分かった?」

「毬乃の分のお弁当を作るってことだよね。いいけど、毬乃はお弁当が二個になったら困らないかな」

「その時は持って帰っておいで。お母さンが責任持って食べるから」

 親指で自分を指差すお母さんは頼もしい。

「片付けはあたしがやっとくから、あンたはもう寝て良いよ」

「待ってお母さん。私手伝う。今日は家のことなんにもしてないんだもん。それにお父さんが帰って来るの待ちたいし。だめ?」

「まあ、今日は特別って何回も言ったし、それが一回や二回増えても大差ないか。良いよ」

「ありがとう、お母さん。それなら私が洗い物するね。お母さんが洗ってお皿割られたら困るから」

「あンたねぇ」

 って言いながら、また私の頭を撫でたお母さんは、笑って椅子に座りなおした。

 今日は晩ご飯もお父さんが作ってくれた。洗い物くらい私がやらなきゃ。

 私は洗い物をしてお母さんはリビングでお茶を飲みながらお父さんの帰りを待った。


 川にバスケットを置いてきたことを思い出したのは、お父さんが帰って来てからだった。

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