第11話 お昼寝と左目の涙と

 晩御飯の準備までまだまだ時間がある。

「私の部屋に行ってようか」

「部屋に入っていーの?!」

「いいよ。麦茶とお菓子も持っていこう」

 にこにこ顔の毬乃を連れてお風呂場を出て台所で作り置きの冷やした麦茶とお菓子――と思って毬乃を見る。

「毬乃はお煎餅…なんて食べる?」

「ほへ? 食べるよ。なんで?」

「毬乃って、お煎餅とか食べなさそうなんだもん」

「もしかしてまたおじょーさま扱い? おじょーさまじゃないんだから何でも食べるよ。ちえだって食べちゃうしー」

 また毬乃が両手をにぎにぎして近寄ってくる。

「もうまた変なこと言って。ほら持って」

 お煎餅と甘納豆の袋を毬乃の胸元に押し付けた。受け取ったのを確認して、麦茶のポットとグラスを用意する。

「ふざけてないで行くよ」

 おふざけにのらなかったからか口を尖らせる毬乃と台所から階段に向かう。

「ちえの部屋って二階にあるんだ」

「そう。私の部屋が二階でお父さんたちの部屋が一階の奥なんだ」

 階段を上がって、ぐるっと回って突き当りが私の部屋。

「ドア開けてくれる?」

 部屋の前で振り返るといつの間に開けたのか毬乃はお煎餅を口にくわえていて驚いたような顔をしてる。違う。バレたって顔だ。そんなの部屋に入ったら分かるのに。

「えっへへー、開けさせていただきまーす」

 くわえていたお煎餅を口から離して楽しそうに毬乃はドアノブに手をかけた。

 なんとなく嫌な予感がする。

「へー、これがちえの部屋かー。おじゃましまーす」

 入るとすぐにお菓子の袋を丁寧に突き当たりの机の上に置いた毬乃は

「ダーイブ」

 と叫んだかと思うと私のベッドに寝転んだ。予感はしても予想はしていなかった毬乃の行動に私は部屋の入り口で立ったまま硬直。

 ベッドの上の毬乃は枕を引き寄せると顔の前で抱きしめる。

「ちえのにおいがするー」

「なにしてるのよ、ばか毬乃! はやくベッドから降りて!」

 ベッドに寝っころがられてもいいけれど、においをかがれるのは嫌だ。

 私も毬乃と同じようにポットとグラスを机の上に置いてベッドに近づく。

 毬乃を引っ張ろうと腕を伸ばした私は逆にのばした腕をつかまれてベッドに引き込まれる。

 横になった私を毬乃が両腕で抱え込んで

「むぎゅー」

 と毬乃の胸に抱きしめられた。

「今日はありがと。あと、色々迷惑かけてごめんね」

 抱きしめられているから声が響いて胸から聞こえているように感じる。毬乃の心臓の鼓動が早い。

 毬乃も同じようにどきどきしているんだ。

「しつこいよ、ばか毬乃」

 毬乃の体温を感じながら目を閉じた。毬乃のどきどきと私のどきどきが重なっていくような気がした。

「迷惑なんて思ってないから。それより明るい時と大人しい時の差が激しいよ、毬乃は」

「情緒不安定なんだよー。ほら思春期だしー」

「それなら私だって思春期じゃない」

 なんて話しているうちに毬乃が寝息を立て始めた。やっぱり疲れていたんだろうなぁ。

 迷惑かけたなんて毬乃は言うけど、私も大丈夫? とか言いながら毬乃のこと引っ張りまわしちゃったし。

 晩ご飯なにしようか。毬乃は好き嫌いないっていっていたから……

 抱きしめられているから動けなくて毬乃の身体の温かさと寝ちゃったから静かになった鼓動を聞きながら色々なことを考えた。



「ちえ、ご飯だよ」

 名前を呼ばれて身体を揺すられる。

「んん、眠いよ。もっと寝たい…」

「何言ってンの。お尻叩くよ」

 お尻…叩く――お母さんだ。寝坊しそうな時にお母さんは私のお尻を叩いて無理やり起こしてくれる。

「おかあ…さん」

 ぼーっとした頭で起き上がって重いまぶたを開けるとベッドの上に正座した毬乃がいる。

 なんで毬乃がうちに――完全に目が覚めた。

「お母さん、あの」

 部屋で一緒にいる理由をどう説明しようか迷っているとお母さんの方から話し出した。

「ああ、話は毬乃さンから聞いた。晩ご飯に誘ったって。サンドイッチは? あンだけ作ったのに。あれが残ったら晩ご飯にするンじゃなかったっけ」

「えっ、そうだったの?」

 正座したままの毬乃が私を向く。そして会話に割り込んだと思ったのか口元を押さえて黙り込んだ。

「全部食べたよ」

「ふぅン。あの量を二人で食べたンだ。食欲があって良し。まだまだ成長期なんだから子供はたくさン食べないとね」

 気にした様子もないお母さんは楽しそうに笑っている。

「あれ? どうしてお母さん、毬乃の名前知ってるの」

「うちの寝ぼすけが寝ている間に毬乃さンが礼儀正しく挨拶をしてくれたからね。それにあンたがさンざン言っていたじゃないか。毬乃さン毬乃さンて。待ち合わせに毬乃さンは来ないと思うとか来なかったらどうしようとか」

 話した記憶がないのにどうしてお母さんが知っているの。

「なンだ気付いてなかったンだ。じゃあ料理と一緒って言えば分かる?」

 分かった。口に出していたんだ…恥ずかしい。

「帰ってから時間も経ってるしお腹も空いたろ。もう御飯ができるからリビングにおいで」

「はい、ありがとうございます」

 正座したままの毬乃が緊張した声で返事をする。

「お母さん、ご飯って…」

 お母さんが私たちの方を向いたまま部屋の入り口のドアの上にある時計を指差す。

 もうすぐ7時になる…やってしまった。

「ごめんなさい。食事当番なのに」

「毬乃さンもいるし今日は特別。子猫が気持ち良さそうに寄り添って寝てるンだ。起せないよ。まあでも、そのおかげで今日の晩御飯は、お父さんが腕を振るってくれるからね。今日は飲もっと」

 嬉しそうにお母さんは部屋から出て行った。今日は…すごく機嫌がいいんだ。


「はぁー緊張したー」

 大きく息を吐いた毬乃が正座のまま前に突っ伏す。

「友達の親と話すなんて、すっごい久しぶり。起されて大人ちえを見た時はもー心臓がぎょーんって飛び出るかと思ったよー」

「大人ちえ?」

 面白い表現に聞き返すと身体を起こした毬乃が四つんばいで近づいて来た。

「そう大人ちえ! ちえのマ――お母さんを最初見た時、未来に来たって思っちゃったよー。そっくりじゃん。遺伝子すごい。そう言えばお母さん、ちえのことあんたって呼ぶんだね」

「そうなの。お父さんは名前で呼ぶけどお母さんはあンたって言う。小さい頃にあンたって呼ばれたことがあって、嫌がった私の顔が面白くてふざけてるうちにそうなったって」

 本当は、面白くてじゃなくて可愛くてって言っていた。だけど恥ずかしいから言わない。

「ちえー、降りといでー」

 下からお父さんが読んでる。

「行こう、毬乃。お父さんはね、うちで一番料理が上手なんだ。だから期待して」

 立ち上がった私が差し出す手を取って毬乃も立ち上がる。昼間とは違う普通に手をつないで階段を下りた。その途中でもいい匂いがする。

「お父さん、今日はごめんなさい」

 階段を下りると待っていてくれていたお父さんにも謝る。

「今日は、特別な。ちえが久しぶりに友達を家に呼んだしな」

 と言って毬乃を見るお父さん。

「ようこそ、園山家へ。歓迎するよ、毬乃さん」

 優しく微笑んで歩き出したお父さんの後からリビングに入るとお母さんはもう缶ビールを持っていて私たちを見るとすぐ飲み始めた。


 四人掛けのテーブルは定位置が決まっていて空いている席に毬乃が座る。私の右横でお父さんの前。

「毬乃さんは、何か苦手な食べ物はある?」

「あっ、はい。えと、好き嫌いはありません」

「それなら良かった。有り物で申し訳ないけど、良かったらたくさん食べてね」

 うなずく毬乃はまだ緊張していて返事もぎこちない。

「ほら、毬乃。食べよう。お父さんのご飯は美味しいよ。いただきまーす」

 わざとらしかったかもしれないけれど明るい声でいただきますをして天ぷらにお箸をのばす。

「いただきます…」

 少し遅れて同じように毬乃もいただきますをして食事が始まった。

「おいしー…」

 厚焼き玉子を一口を食べてつぶやく毬乃の顔が明るくなった。

「そう? 口に合って良かった。これで僕も一安心だ」

「すっごく美味しいです。すっごく美味しくて――」

 急に黙り込む毬乃。笑っているのに、急に毬乃の左の瞳から涙がこぼれた。

「あれ? どうしたんだろー。変だな。なんで涙なんか」

 右手で涙をぬぐったのに次々とあふれだす涙に毬乃自身が驚いて慌てだした。

「毬乃?」

「ちえ、良いからタオルを濡らして持って来てあげて」

 お母さんに言われた私は急いで席を立った。名前で呼ぶ時のお母さんは真剣だから言われたとおりにする。この間みたいなおかしい時なんて今までに無いから。

 急いでハンドタオルを濡らして戻ると私の椅子に座ったお母さんが毬乃を横抱きにして抱きしめていた。

「お母…さん?」

「ああ、タオルを有難う。立たせて悪いけどもう少し待ってて」

「……うん」

 初めて見た毬乃の泣き顔とお母さんが毬乃を抱きしめていることにもやもやした気持ちを抱えて私はその光景を見ていた。

「すみません。もう大丈夫です」

 ほんのちょっとの時間――私には長く感じた――そうしていて毬乃が顔を上げた。

 うなずいたお母さんが立ち上がってテーブルを回って自分の椅子に戻る。

 入れ替わって座った私は毬乃に濡らしたタオルを渡す。

「顔を拭くのもあるけれど、顔を冷やすと良いよ」

 そう言いながらお母さんは何も無かったようにまたビールを飲み始めた。

 受け取ったタオルを顔に当てている毬乃を見ていると、はっとしたように彼女は立ち上がりテーブルから距離を置くといきおいよく頭を下げた。

「すみません。食事中に泣いたりして」

 晩ご飯に誘わなきゃ良かった。頭を下げる毬乃を見て本気で私は後悔した。まだ一緒にいたくて両親に合わせたくて、私の作るご飯を食べてほしくて、喜んでほしくて、それで誘ったのに。

 でも、いま毬乃は頭を下げている。

「頭を上げなさい。子供がそんな風に気を使うものじゃ無いよ」

 近くに立ったお父さんが毬乃の頭をぽんぽんと優しく叩く。それから私にするように頭を撫でた。

「何か悪い事をしたなら僕たちは叱る。それが大人である僕たちの役割だからね。でも、たまたま食事の時に泣いたからって貴方が頭を下げてまで謝ることじゃない。少なくとも僕たちはそう思っているよ。気にしなくて良いから。御飯を食べよう」

「それに毬乃さンがそンな事をしていると、今度はうちの子が泣き出すからね」

 からかうようなお母さんの言葉に、ゆっくり毬乃の頭が上がって私の方を見る。

「…ほんとだ。ちえ、泣きそうな顔してる」

「泣いた人に言われたくない」

 笑みが戻った毬乃から、ぷいっと顔をそらす。

「ほらほら、子供達。喧嘩していないで御飯を食べよう。それから、お父さん」

 私はそのまま、毬乃は椅子に座りなおしながら、お父さんの方を見る。

「例え頭であっても他所様の、しかも初めて会った女の子に、軽々しく触れてはいけませンねぇ」

 少しだけお母さんの声が低くなっているような気がするのは気のせいじゃないと思う。

 お父さんも気付いたのかお母さんの方を向いた。

「ぶふっ!」

 その様子に盛大に毬乃が吹き出した。

「ごっ、ごめんなさい。なんかおかしくてー」

 笑いながら謝る毬乃は謝った時と口調も変わっていて楽しそう。

「泣いたり笑ったり、毬乃は忙しいですねー」

 嫌味に気付いているのかいないのか毬乃は笑い続けている。

 しかたないので毬乃の笑いが止まるのを待ってご飯再開。

 その間もお母さんはにやにやしながらビールを美味しそうに飲んでいた。

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