第6話 約束の日と体調不良と
約束をしたお休みの日。
お弁当を入れたバスケットを持って私は学校に向かっている。
借りた大きめの水筒を斜めに肩掛けにして。
あの日、ちゃんとお母さんは話を聞いてくれた。たくさんたくさん話をして――許してもらった。
でも毬乃とは約束のしなおしはしていなかった。
図書室で先に帰った日から毬乃とは一度も話ができなかったからだ。
登校しているんだけど常に誰かと一緒にいて話しかけられない。
図書室にも寄らないし、校庭を一人で帰る姿を図書室から見つけて追いかけても昇降口に行った時には姿が見えなくなってる、そんなふうに避けられている感じだった。
だから、私は自分の勝手で約束の日に学校に向かっている。
もちろんお母さんとお父さんには約束していないことも全部話してある。
お父さんは心配そうに、お母さんは苦笑――って言うのかな――していた。
いなくてもしょうがない。私が勝手にしていることだから。
でも待っていてくれたら……いいな。
約束の九時に校門に着いた――生徒の姿は無い。もちろん毬乃の姿も。
「……そうだよね。約束してないもんね……がっくし…」
思わず肩を落として呟いた言葉に、はっとなって口元を押さえる。
「えっへへーニ人目のがっくし発見」
聞き間違いじゃない。後ろから毬乃の声。
「……私、私ちゃんとお母さんと話したんだよ。お母さんだけじゃなくてお父さんにだって許してもらったんだから」
なんだか怖くて振り返れない。
毬乃はどんな顔しているだろう。勝手に約束を進めた私を。自分勝手な子だって思われているかも。
「むぎゅー」
振り向かなかった私を毬乃が擬音を口にしながら抱きしめてきた。
「ありがとー、ちーちゃん! 愛してるー」
「まっ、毬乃ぉ」
擬音どおりにむぎゅーと抱きしめられて身動きができない。
「わたしさ、怖かったんだ。ここでも拒絶されたらどうしようって。だからありがとーのむぎゅー」
強く抱きしめられて肩口に頭が載せられて呟いているけれど、よく聞こえないし毬乃の吐息がくすぐったい。
「私は、毬乃は来てくれると思ってた。白いワンピースを着てるのに校門のところでしゃがみこんでて、やっぱりスカートの裾を汚してるって想像してた」
「ぶふっ! なにそのおじょーさま設定」
振り返ってみると笑っている毬乃は白いワンピースを着て小さな薄いピンクのポシェットを肩にかけていた。
「ふふ、白いワンピースじゃない」
「これはねー自分が勇気を出す時のセレモニーなんだー」
くるりときれいに一回転。続けて毬乃はスカートの両端をつかみ、映画のお姫様がするように――カーテーシーと言うと後で知った――優雅にお辞儀する。裾から見える足は白くて細くて綺麗。
毬乃は綺麗なものをいっぱい持っていてうらやましくなる。
「ちーちゃんの若草色のエプロンワンピースもいいねっ! 惚れ直しちゃうぜー」
「また、そんなこと言って」
「えっへへー。さあ、お嬢さま。いざデートにしゅっぱーつ」
仕草はお姫様だけど言ってる内容はどちらかと言えば王子様だこれ。変なの。
おかしくて私はくすくす笑ってしまう。
「はいはい」
差し出された手を取って子供のように手をつないでニ人で歩き出した。
握手みたいじゃなくて指と指と絡める感じだから手をつなぐとはちょっと違うのかな。
「でー? どっこに行っくのかなー」
覗き込むようにこちらを見る毬乃。
最初に向かったのは通学途中にある神社。
手をつなぎながら石段を上がって行くと毬乃から神社の由来を聞かれた。でも実は知らない。水の神様を祭っていると聞いた記憶があるので説明できるのはそれくらい。
神社が本命じゃないから気にしない。石段を登りながら毬乃はちょと変な表情をした。
石段を登って鳥居をくぐる前に一礼。
「何してるの?」
不思議そうな顔をする毬乃。
「えっ、参拝する時の作法だよ。神社は神域だから礼儀正しくしないと」
「ふーん」
目をぱちくりして考えるような仕草をしてから毬乃も会釈した。
参道も真ん中は神様の道だからと説明しながら社殿の前で会釈。
「お賽銭は?」
「今日は通らせてもらうだけだからご挨拶だけ」
「ふーん」
「はい、じゃあこっち」
社殿の左に向かって歩き出すと毬乃も会釈してから着いて来る。
脇を抜けたところに石段があって、そこを上がったところが最初の目的地。
階段に足をかけたところでつないだ手を引かれた。
「ちょっと待って……」
振り返ると毬乃が中腰になって顔を伏せている。髪が下がって顔は見えない。
「げっ…」
「げ?」
「限界……ちょっと…休ませて……」
今にもその場に座りそうになった毬乃を慌てて支える。
「ちょっとだけ待って」
持っているバスケットからレジャーシートを取り出す。そんなに大きくないから広げないで急いでその場に敷く。
「ありがとー」
どすんという感じにお尻を落として体育座りした毬乃は顔を突っ伏してじっとしている。
「あの……毬乃…さん」
私は立ったまま声をかけたけど思っていたよりも小さな声になっていた。
「……ちがーう…」
すこし間を置いて返事があった。
「違うって何が?」
「…毬乃さんじゃ…ないでしょー。ま、り、の」
「具合悪いんじゃないの?」
さすがにイラっとして口調がきつくなる。
「ちーちゃん、怒ると声が低くなるんだー」
ゆっくり私を見上げた毬乃の顔は、はっきりと分かるほど青ざめていた。
普段から白いと思っていた彼女の顔色とは比べられないくらいに。こう言うのは色が無いって言うんだろうか。
「待ってて! 誰か大人のひと呼んでくるから」
また突っ伏してしまった毬乃に声をかける。今日は宮司さんいる日だっけ。
バスケットを置いて走り出そうとした私はスカートを強く引かれて振り返る。
「行かないで…デート、終わっちゃう……」
「ダメだよ。そんなに具合悪そうなのに」
「お願いだからっ!!」
強い口調とは逆に弱々しく引っ張られるスカートに私はその場を離れることはできなかった。
「行かないからスカート離して」
「…ヤダ」
しょうがないなぁ。スカートをつかまれたまま、私は下着が見えないように気を付けて毬乃の横に座った。お尻が汚れるのもしょうがないやのうちの一つ。
斜め掛けしていた水筒を取る。中には冷えたお茶を入れてきた。
「お茶あるけど飲めそう?」
「……ん…」
ちょっと上がった顔はすこし顔色が良くなっているように見える。
水筒のコップにお茶を注いでスカートをつかむ手を離させて、その手にコップを持たせてみた。震えている感じはあるけどちゃんと持てている。
あまり注がなかったけど何度かに分けて飲んだ毬乃はコップを返して来た。コップを受け取るとまたスカートをつかまれる。
「もっと飲む?」
黙って左右に首を振る毬乃の頭にできるだけ優しく手を添えて私の肩に寄せる。
「よっかかっていいよ。そうすれば黙っていなくならないって分かるでしょ」
「…ありがと…あと、ごめん」
「いいの。毬乃が来てくれなかったら、きっとみじめな思いして家に帰ってたと思うから」
「わたしさ…あの日から眠れなく――」
途切れた言葉に横を見ると静かな寝息で毬乃は眠っていた。
このままで大丈夫かな……不安に思って身じろぎすると
「ん……」
スカートをつかむ手に力が入った。しばらくこうしていよう。
夏の近くなった青空を見上げながら毬乃の
『あの日から眠れなく――』
と言う言葉をぼんやりと考えていた。あの日っていつだろう。私が思い当たるのは毬乃が先に帰っちゃった日くらいしか思いつかない。
眠れなく……なったのかな。
時々見せる毬乃の表情を思い出すとそれはあると思う。
私だけが見ているいくつもの表情(かお)。
……転校。
お母さんが言っていた。
『こんな時期』
忘れていたけれど私も最初に、ちょっと不自然な感じと思った。
毬乃はどうして転校して来たんだろう。話題にもならなかったし私も気にしなかった。
『いま…前のガッコの話をされると、ちょっとツラい……』
とも言っていた。
聞きたい。でも聞いちゃいけない気もする。私が毬乃にあんな顔をさせるのは嫌だ。
いつか話してくれるかな、転校してきた理由。
肩に乗っている毬乃の頭に私の頭を傾ける。
そろそろ川のプールも始まるだろうけど、まだ風が涼しいな。
目を閉じて毬乃の寝息を聞く。
規則正しい安らかな寝息。大丈夫そうだな。良かった………
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