第7話 迫る影 三

 白煙に浮かび上がる影に、直は目を見張る。

 影は三つ。

 立ち姿は全て、人の形をしていた。


「何が起こったんや?」


 嘔吐えずく夏子を支え、尋巳は人影を睨みつけた。

 煙が徐々に立ち消える。

 その向こうから、声は聞こえた。


「書で読んだきりの古い術でしたからね、――――成功して本当に良かった」

「やれやれ、あやうく死にかけたわい…… やはりおかは恐ろしいところじゃのう」


 最初の声に応えるように、返事が二つ。

 化物の姿はどこにもなく、見知らぬ男が三人、直たちの目の前にたたずんでいた。


「なに、一体…… 誰?」


 思わずこぼれた疑問を聞き拾ったか、直の向かいに立つ青年が目を細める。

 青年は直と同じような年回りに見えた。

 白熱灯に照らされる頭髪は砂色。

 目鼻立ちは日本人のようだが、肌は青白くすらあり、目元には朱の塗り物が施されている。

 こちらを睨みつける目に、直はハッとする。

 鋭く光る金の虹彩の中央には、まるで筆で引いたような墨の一本線。


「た、こ……?」


 小さな呟きに、青年がにやり、冷たく笑った。


「ほう、見抜いたか。 猿とはいえ、多少の能はあるらしいな」


 高飛車な物言いだ。

 だがその態度よりも、肯定の言葉に気を取られる。

 化物は消えた。

 消えた場所に、男が三人。

 あの青年は、自分を蛸だとのたまった。


「人になった、ゆうんか」


 戸惑いながら立ち上がる尋巳に、一番背の高い男が前へ出る。


「まぁ、そうゆうことじゃ。 お前さんらぁには苦しい思いをさせたが、おかげでこちらは陸で生きれるようになった」


 感謝じゃのうと呑気のんきに笑う彼は、直たちよりも年嵩としかさに思えた。

 しゃべる言葉には癖があり、すらりと背高く引き締まった体と、目元には青年と同じ濃紺の塗り物。

 頭はターバンらしき布で包まれていて、その隙間からは黒い頭髪がのぞいている。


「浮子星、あまり気安い態度でいないで。 目的を忘れたのですか」


 笑顔で話す男をたしなめるように、最後の一人が後ろから釘を刺す。

 その人は一瞬、女性のように見えた。

 長く滑らかな銀の髪に、美女と見紛みまごうばかりの美しいかんばせ

 その容貌には不釣り合いとも思える低い声は落ち着いていて、楚々そそとした所作が、白い着物の身なりにふさわしく優美である。


 三者三様、この国ではとんと見かけない身なりに頭髪だ。

 これがテレビの企画だと言われても不信が拭えぬくらい、男たちは異様だった。


「目的? 何のことや? 何の目的があって、俺等を襲ったんや」


 夏子と直を背に回し、返答次第ではただじゃ置かないと、尋巳が低く声を上げた。

 驚きに呆けている場合ではない。

 男たちの言を信じるなら、あれは先ほどまで自分たちを襲っていた化物だ。

 まだ危険が去ったわけではないのである。

 一番非力な従姉あねを庇わねばと、直も尋巳と同様に前へ出る。

 威嚇する二人に、青年が口を開こうとする。

 それをすっと制し、女顔の麗人が一歩踏み出でた。


「突然危害を加えた事、申し訳なく思います。 しかし、こちらにもあまり猶予ゆうよはないのです。 訳は後々お話ししますゆえ、今は大人しくわたくし共に従ってくださいませ」


 丁寧な物言いだが、その内容はあまりにも身勝手だ。

 納得できるかとばかり、尋巳が噛みついた。


「いきなり襲いかかって来よって、勝手な事ばぁ抜かすな! 正体も分からん奴らにほいほい付いて行くほど、こっちも暇やないんや」


 失せろッ、と吐き捨てられた言葉に、麗人の横で青年が気色ばむ。

 怒りのためなのか、髪がぞわりとそよぎ、赤黒く色を変えた。


「猿が…… 話など無駄だ、文都甲あやつき。 力づくでも連れ帰るぞ」


 怒声を受け、今度は尋巳がいきり立つ。

 一色触発の中、尋巳が勢いよく立ち上がった――――しかし。


 「浮子星うきぼしっ」と青年が口走り、背の高い男がそれに応えて右の拳を掲げ、をぎゅっと握りしめた。

 直はその動きを目で追う。

 一体何を?

 困惑して男を見つめると、その指の合間から青く澄んだ光がにじみ出始める。

 不思議な光に直たちが目を奪われると、


「なん、や、――――ッ!?」


 光を見たと思った途端、突然尋巳が喉を押さえて苦しみだした。

 ズサッと倒れ込む体に、尋兄っ、尋ちゃんっ、と直と夏子は飛びつく。


 何が起こっている?


 直は男の青く光る手を見遣り、従兄あにを背に庇った。

 そんな姿を気の毒そうに見つめ、男は手から力を抜く。

 すると光が消え、尋巳がゴホゴホと息を吹き返した。

 混乱する直を嘲笑うように、青年が口元をゆがめる。


悪足掻わるあがきはやめておけ。 がある以上、貴様らを生かすも殺すも、我等次第。 ここまでの命と観念することだな」


 そう言って、青年はかざした手を開いた。

 暗闇に、何かが光る。 

 目をすがめてみれば、それは空色に澄んだ『勾玉まがたま』であった。


「これは『荒渦こうかぎょく』。 元は『流力りゅうりき』の固まりのような石だが、先の術で貴様らの気のめぐり、つまり命を思うままにできる力を宿したものだ。 流力のある者がこれを握って命じれば、簡単に息の根を止めることが出来る」


 命を思うままに? 息の根を止める?

 青年の言葉に、直は荒く息つく尋巳を振り返る。

 あの男が握りしめた拳から光が漏れ出た途端、尋巳は苦しみだした。

 まさか青年の言う通り、あの勾玉は自分たちの命を握っているのか。

 

 そんな。


 直は息を呑んで、青年の手の中にある石を見上げた。


「大人しくついてくるなら、ただの石のままにしておいてやろう。 しかし、逆らうなら――――」


 青年がゆっくりと勾玉を握り込む。


「(まずいっ)」


 来る。


 その手からあふれる光が、自分たちの命を掴まんとする予感に、直は全身を硬直させて息を呑んだ。

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