第41話 『亡き人への想い』

紅茶の置かれたダイニングテーブルを囲んだ3人は、先ほどより少し緊張した面持ちだった。

そんな若者に、静代は笑顔で話す。

「そんなに真剣な顔しちゃって。まあしょうがないわね。零君は大事なおじいちゃんを亡くした上に、警察の仕事も請け負っているものね。章蔵さん“駿も零も頭が良いんだ”ってよく自慢してたわ。同時に心配もしてた。もっと子供らしく楽しく生きればいいのにって」

そう言って3人を見回した。


「生きていれば、これからあなたたちに伝えられたかもしれない章蔵さんの思いを、彼の代わりに伝えられたらいいなと思ってるの」

静代は額縁を手に取った。


「私たちは同じ高等学校のテニス部だった。大学も一緒でテニスサークルに入ってね。章蔵さんも今の零君に負けないぐらいイケメンで、当時はファンクラブまであったぐらいモテモテだったのよ。でも西園寺家の跡継ぎってことで、恋愛すら自由にはさせてもらえなかった。私は同じテニスサークルの相澤と付き合っていたから、章蔵さんも交えて、ほんと一緒に良く遊んだわ。章蔵さんは大学を卒業してからは西園寺グループのあらゆる会社で下積みして、海外にも行ってたわね。私と相澤が結婚して少し経った頃にお見合いで貴志子さんと結婚した。零くんのおばあさんね。若い時は夫婦二組で旅行に行ったりして、絵梨香のお父さんも由夏のお父さんも、小さい時には泰蔵くんと遊んだことがあるのよ。まだ絵梨香のおじいちゃんが生きていた時だけど。相澤が病気になって、私たち夫婦はこっちに住んでゆったりした生活をすることにした。そして相澤が亡くなって私が一人になってからは貴志子さんともしょっちゅう会ってたわ。零くんのお母さんの葵ちゃんが結婚して、零くんがお腹にいるときに貴志子さんの病気が発覚して……かろうじて楓ちゃんの結婚式には出られたけれど、亡くなるまでは短い期間だった。仕事人間だった章蔵さんは、妻との時間をもっと作るべきだったって、後悔していたわ。それからここに住むようになったの。それまではわりと都会派の人間だったのよ。想像出来ないでしょ?」


静代は、何か遠くを見つめながら話している。

「最初はろくに畑も耕せなくて、私が色々教えてあげたぐらい。それがいつのまにか自然のエキスパートみたいになっちゃって。そんな頃よね? 絵梨香がここに来始めたのは。この写真、懐かしいなあ。これが部屋に飾ってあったの?」

「うん、そう」

「あの時もおかしかった。いきなり“船を買った”って言うから、てっきり釣り船かなと思ったら、こんな豪華なクルージング船でびっくりしちゃって。後でよくよく聞いてみたら、会社で接待やイベントでも使うクルーザーだったんだけどね。この写真の年は、絵梨香は毎日ここに来てたわよね? 零君も写ってるって事は、この年は章蔵さんが会長に就任した年だわ」

「そうなの?」

「ええ、その後の記念式典もこのクルーザーでしていて。テレビに映ってたもの。 忙しい筈なのに、夏の間ほとんどここにいたわね。絵梨香と零くんと毎日遊びに行ってて、毎日楽しくて仕方がないと言ってた。だからこのクルージングはとっても素敵だったけど、章蔵さんにとってはそれよりもここでのあなたたちとの毎日の方が輝いていたんじゃないかしら?」


絵梨香も写真を覗き込んで言った。

「私この夕日覚えてるの。みんなの顔がオレンジ色に光っていてすごく綺麗で。太陽に吸い込まれそうになって。そして隣にいるお兄ちゃんの……」

そこまで言ってハッとした絵梨香は咄嗟に零の顔をパッと見しまい、慌てて下を向いた。

「そうだったわね。みんなが幸せな顔をしていたわ。あれからもう16年も経ったのね」

静代が額縁をコトっとテーブルに置いた。


「この頃は、私も章蔵さんもこっちで生活していたから、ちょくちょく会ってはお互いの近況を話したりしていたの。ずっと一人で西園寺家を切り盛りしてきた章蔵さんからするとね、やっぱり若い泰蔵さんは何かと危なっかしくて、ちょっとした問題をは親の方で処理するような事もあったかな。そういったことをノートに書き留めてるって言ってた。財閥って大変なのね、あんなおおらかな章蔵さんでも、いつ寝首をかかれるかなんてこと心配しなきゃならないってぼやいてた。特にセキュリティーには気を配ってた。ノートも心配になってたんだろうね、私に預けるって言い出したけど、私は “あなたの家の中で一番信頼できる人に預けなさい” って言った。それからは、そのノートを書き潰して新しいものに変える時だけ、私がそのノート預かることにしたわ」

「じゃあその歴代のノートは静代さんが持っているんですか?」

「ええ、でも別のところに保管してあるわ」

「それらを読んだことはありますか?」

「いいえ。読んでいいって言われたけど、私は読まなかった。彼の苦悩とか大変さの片棒を担ぐ勇気がなくてね。お互いもう伴侶を亡くしているけれど、私はやっぱり同級生の西園寺くんと昔のままの友達でいたかったから」

「絹川さんのことは?」

「章蔵さんとは、お互い病院で会えばお茶でもするんだけど、ある日、リハビリステーション付のカウンセラーだった彼女が、章蔵さんに熱心に話ししてるのを見かけたの。私も話したことがあったけど、私から見る彼女は生真面目であまり笑わない印象だった。でも章蔵さんといる時は笑顔で、それからは病院に行く度に彼の横には彼女がいるというシーンを何度も目撃してたんだけど、あえて私も言わなかったの。それから半年ぐらいした頃、2年半ほどまえね。章蔵さんが彼女の話を私にしたの。てっきりノロケ話でも聞かされるのかと思ったら深刻な顔して。経営者とは何かとかを語り出して。“彼女自慢をしたいんじゃないの?”って茶化したら、彼は首を振って言った。彼女は西園寺グループで働いていた社員の娘なんだって。彼女の父は会社で鬱になって入院、退社して体を悪くして亡くなり、彼女の母親も体を壊して2年後に亡くなって……それで彼女は医療の道を選んだって。それも本人に聞いたんじゃなくて、会社の人間が章蔵さんに急接近した彼女のことを勝手に調べて、それが耳に入ったらしくて。もちろん面識はない社員だったけど、西園寺グループほどの財閥を取りまとめる立場として、彼は責任を感じてしまったんだと思う。彼は全部伏せて、近づいてきた彼女の言うままに接することに決めたみたい。その病院を辞めたいと言った彼女を専属の介護士として雇って、住むところも提供して、そして家にも入れた。でも不安で……その思いをそのノートに書き留めていたけど、見られるわけにはいかないから、弓枝さんに預けたの」

「弓枝さんはその内容を知っていますか?」

「いいえ、私は」

「そう、こんな人だから章蔵さんも安心して預けられたんだと思うわ。そして今年に入って章蔵さんから相談があるって呼び出された。何かと思って聞けば結婚って言うから、さすがにそれはどうかなと思ったんだけど、彼は全部分かった上だから、彼が決めたと言うなら反対はできない。でも友人としてなら“違う”と思ったわ」


「弓枝さんは結婚の話はご存知なかったんですね?」

「ええ」

「彼は結婚の話は、決まるまでは弓枝さんにも知らせないと言っていたわ。今後も付き合いが円滑にいくようにって」

「婚姻届については?」

「婚姻届は出していないと彼から聞いたわ。実際そうなんでしょ?」

「ええ」


静代がテーブルの上で指を組んだ。

「彼女が、父親を思うようにでもいいから、本当に彼を大切に思ってくれるといいなって、祈るような気持ちだった。2人が幸せに暮らしてくれるならそれでいいって」


静代は俯いた。

「でもあんな事件が起きた。みんな疑うわよね? 私も少なからずは……それで、あのノートを死守してほしいと弓枝さんに頼んだの。西園寺の当主としての彼の思いやプライドを守りたくてね。世間に晒されないほうがいいと思って。でも、まさか零君が警察側として捜査に加わるなんてね。弓枝さんは部屋の捜索が済んでから、あのノートを元に戻したのね?」

「そうです」

「わかるわ。零君が来ると分かって、あなたは章蔵さんの思いが零君に伝わればいいって、そう考えたのでしょう?」

「その通りです、申し訳ありません」

「いいのよ、私だって同じ気持ちだもの。これを期に私が預かっているのノートも零君に渡そうと思ってる。章蔵さんは許してくれるわよね? こんなに頼もしい孫が 自分の事を探してくれてるんだもの」


静代は、眩しいものでも見るように目を細めて零を見た。

「零君、あなたも章蔵さんの全てを背負う覚悟があるんじゃない」

零が珍しくたじろいだ。

「なぜそう思われますか?」

「章蔵さんはこれまで色々な葛藤を経ながら西園寺家を成り立ててきたわ、その節目節目に見せる顔と、あなたの表情がそっくりだからよ」

零は少し驚いたように静代を見た。

「覚悟かはわかりませんが、僕が今できる事すべてをやりたいと思っているだけです」

「それで充分ね。彼のノートをあなたに託すわ。といっても、ある人に預けてあるんだけど」

「それは佐久間洋平さんではありませんか?」

皆が驚いた顔で零を見た。

「やっぱりあなたはすごいわね。その通り、佐久間洋平は私の甥よ。相澤の兄方のね」

「その方は弁護士か何かですか?」

「……何もかもお見通しか。その通り、章蔵さんから弁護士を紹介して欲しいと言われてね。家の中のあらゆる大切なものを佐久間洋平に預けていると思うわ。どうやって彼を知ったの?」

「あのノートに細工がしてあったんです。そこに貸金庫のカードと佐久間さんの連絡先がありました」

「なるほどね。どういうやり取りをしているかは聞いていないわ。甥っ子とはいえ遠い親戚だから、ほとんどコンタクトを取っていないの」

「祖父が亡くなった後に連絡はありましたか?」

「いえ、それもないのよ。知らない筈はないんだけど……」

「弓枝さんは、ご存知ですか?」

「いえ、佐久間さんという方は知らないです。旦那様からも聞いたことがなくて」

「章蔵さんは相変わらず奥ゆかしい人ね。秘密主義かしら?」

「僕たち……警察の方から佐久間さんにご連絡を入れてもいいでしょうか」

「ええ構わないわ。弁護士という立場上、故人と何かの約束があれば親族でも開示しないでしょうから、警察としてアクセスした方がいいかもね」


「ありがとうございました」

そう言って零は、おもむろに立ち上がった。

「僕が世話になっている警部補に連絡してきます。この後お宅まで送りますので、しばらく雑談でもしていて下さい。蒼汰、お前も付いて来てくれ」

そう言って零は、ちらっと絵梨香を見た後、弓枝と目を合わせ、小さく頷いてダイニングを後にした。


弓枝が立ち上がってお茶の追加を持ってくる。

静代は零の後ろ姿を見送りながら、うっとりするような表情で言った。

「絵梨香、零君はいい男に成長したわね」

「なに言ってんの? おばあちゃん」

「あの子、私とあなたに時間をくれたのよ」

「え?」

「せっかく再会したのに、事件の話ばかりじゃ可哀想だって、そう思ったんじゃない? だから自分から退席したの」

「そうなの?」

静代は少し溜め息をついて見せた。

「それに引き換え、絵梨香は……」

「なによ! どういう意味?」

「まあ……それも絵梨香の魅力の一つかな?」

「なんか褒められてる感じ、しないんだけど?」

「いいの、絵梨香のそういうところ、周りをほっとさせるしね」


静代は絵梨香の頬に手を伸ばした。

「絵梨香もいつしか結婚したりするのよね。ママになる姿も見てみたいような……欲が出ちゃうわ。ねぇ、アテはないの?」

「な、なに言ってるのよ!」

「あ、怪しいなあ。好きな人でもいる?」

「そんなの、いないよ」

「私が絵梨香の歳の頃、同級生の恋愛だけど、相澤と結婚するって決めてたわ。そう、蒼汰君みたいな感じ。親戚同士とはいえ血縁もないしね? どうなの?」

「そんなんじゃないってば!」

「じゃあ零君? いいなぁ、絵梨香はイケメン選び放題なのね!」

「もう! おばあちゃん、妄想に走りすぎよ」

弓枝も笑いながらお茶をすすっている。

しばし、3人の女子トークに花が咲いた。


第41話 『亡き人への想い』ー終ー

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