第3話 『The First Case』next to the『RUDE BAR』
『RUDE BAR』のドアを開け、階段をゆっくり降りていく。
そこは外とは違って、落ち着いた雰囲気だ。
「おお蒼汰、絵梨香ちゃんも、いらっしゃい。2人?」
階段から見下ろすと、店主の波瑠さんがカウンターから声をかけてくれる。
その明るい表情にホッとした。
「いや、零も一緒」
「ということは…なるほど、零は外か?」
「そう。ここにも警官が来た?」
「ああ。ついさっきね」
「やっぱり。ま、しばらくしたら零も降りて来るでしょ」
「そうだな。じゃあ、2人ともここに座って」
波瑠さんがコースターとおしぼりを出してくれる。
絵梨香は今の二人の会話の意味が理解できなくて、首をかしげていた。
「波瑠さん、この辺で声かけ事件が増えてるんだって? さっき絵梨香に聞いてさぁ」
「ああ、昔からあった話だけどな。今夜は、女の人が声をかけられたらしくて。その時に不審に思ってさっと逃げたから大丈夫だったんだけど、振り返ると手元にナイフみたいな光ったものがあったったらしい」
「そうか、だから?」
蒼汰は天井を指差した。
「ああ。この辺一帯に聞いて回ってるんじゃないかな。逆にこっちも、さっき来た刑事に詳しく聞いてみたんだけどさ、やっぱり最近よく出てたストーカーなんじゃないかって、言ってたよ」
絵梨香が肩をすくめた。
「怖いわね…今まで実際被害にあった人は、いなかったんでしょ?」
「まあね。だけど今回は結構きわどい未遂だろ。さすがに刃物をちらつかせてたって証言があったら、警察もだいぶん警戒し始めるんじゃないかな」
「パトロール、強化してくれるといいんだけど」
「絵梨香、しばらくこの辺を歩く時は気をつけなきゃダメだ。やっぱり道を変えた方がいいんじゃないか?」
「そうね」
「時間が合うときはオレが送ってやるけどさ」
蒼汰は絵梨香の肩をポンと叩いた。
「それはそうと。ねぇ蒼汰」
「なんだよ」
「さっきのパトカーの側にいたスーツの人、警察の人よね? あなた達と顔見知りみたいだったけど? どういう事?」
「あ…それな、また追々話すよ。もうすぐ零も下りてくるだろうし」
「だから! なんであなたの親友は警察と一緒に居るのよ?」
「え…それは……」
「え? 誤魔化すの? さっきからなんだかアイコンタクトばっかり!」
波瑠が絵梨香をなだめる。
「まあまあ絵梨香ちゃん、ちょっとした事情があるんだよ。また詳しく説明すると思うから、蒼汰を許してやって」
「別に、いいんですけど」
少しふてくされる絵梨香に、波瑠は 小さな皿を差し出した。
「あ! これ!」
「そう。ラ・メゾン・デュ・ショコラ。絵梨香ちゃん、好きでしょ? プラリネ」
「嬉しい! 波瑠さんありがとう!」
絵梨香の後ろで、蒼汰が波瑠を拝んでいる。
波瑠は笑顔で目配せをした。
「絵梨香ちゃんは、零と初対面? 意外だな。どっちもよく知ってるから、昔からの仲間みたいなイメージだったよ」
「私も昔から蒼汰から存在は聞いていたのよ。だけど、お互いイメージには相当な相違があったわ! もはや相容れない感じになってるんだけど!」
絵梨香は蒼汰をにらんだ。
首をすくめる蒼汰を見て、波瑠がそっと蒼汰に聞き出した。
「一体、零は何やらかしたんだ?」
「いや、どっちかって言うと…やらかしたのは…」
蒼汰は絵梨香の更なる睨みに、ビクッとして黙る。
波瑠はクスッと笑って助け船を出した。
「絵梨香ちゃんは知ってるかな? 僕は零とは同じ帝央大学で、ヤツは同じゼミの後輩だったんだ。慕ってる教授も同じ。そうそう、由夏さんからも聞いてるだろ? 君んとこの社長のかれんさんの旦那さん」
「あ、藤田健斗さん?『JFMコーポレーション』のCEOのね?」
「そう、健斗さんは当時は帝央大学の数学の准教授でさ、僕たちの恩師でもあるんだ」
「え? 大学の教授もしてたの?」
「うん、その頃は。かれんさんも、しょっちゅうここに来てくれてたよ。なんせ当時は、彼女は今の君が住むマンションに住んでたわけだから、当然ご近所の常連さんだ。かれんさんをあのマンションに、よく送っていったもんだよ」
「へぇ、面白い!」
「その時に由夏さんも来てくれるようになったんだよ。当時はここのオーナーも健斗さんだったからね」
「私、藤田社長には遠目でしかお会いしたことないけど、すごくスタイルも良くて、素敵な人だったなぁ。そういえば、かれんさんと知り合ったのはメンズモデルをやってた時って聞いたわ!」
「そう、健斗さんをメンズモデルにスカウトしたのが由夏さんなんだ。しかも帝央大学のキャンパスでだよ! まあ、ゆくゆく由夏さんは、健斗さんとかれんさんのキューピッドになったってわけだけど」
「凄い、素敵な話!」
蒼汰が口を挟む。
「その由夏姉ちゃんの教えを受けて、絵梨香は今日、よりにもよって零を相手にスカウトなんかしちまって…大失敗したんだけどなぁ…」
波瑠が興味をもった。
「なになに? そんな面白い事があったのか? まさか! やらかしたって言うのは?」
嫌がる絵梨香を尻目に、蒼汰は今日の出会いエピソードを波瑠に話し、2人で笑い転げた。
「そんなに笑わなくても! 彼のキャラなんて知らないし、まして知り合いだったなんて…」
「あはは。聞いてよ波瑠さん、今だから笑えるけど、その後の3人での食事なんて、マジで恐怖の晩餐会だったんだよ! 想像してみてよ」
また笑いが立ち上って、絵梨香は辟易とした様子で彼らを睨み付ける。
一通り笑った後、波瑠は大学時代の零の話をした。
とても優秀で、藤田准教授にも一目置かれていたことや、もう少し愛想も良かったことや、今でもお酒の付き合いも人付き合いも意外と上手だと、話してくれた。
「蒼汰、零とは中学高校と同じなんだったよな?」
「そう、お互い運動部に居ながらにして推理小説マニアでさ、中1で意気投合してから、はや13年も親友やってるよ」
「なのに絵梨香ちゃんと零の対面が今日なのか? 不思議だな?」
「…まあ、そうだな。ニアミスはあったはずだよ。だけどアイツは起業してからはこっちに住んでない時期もあったしな。海外にもちょいちょい行ってるし。だからかなぁ」
「起業って?」
絵梨香の質問に、波瑠が答えた。
「絵梨香ちゃん『ミステリーツアー・シャーロックの憂鬱』っていうアプリ、知らないか?」
「知ってる! 一時期流行ったよね?高校か大学のときか…」
「それを開発したのは零なんだ」
「え? そうなの!」
「オレ、絵梨香に話したと思うけどなぁ。親友がソフト開発して起業したって。まあ、絵梨香はその頃はイケボアプリにハマってたから、ろくにも聞いてなかったかな?」
「イケボアプリって? 蒼汰、なにそれ?」
「蒼汰! もう説明しなくていい!」
ドアチャイムが鳴って、階段の上に人影が見えた。
その日本人離れしたシルエットですぐに彼だとわかった。
「お、零か」
「波瑠さん、こんばんは」
礼儀正しい彼に少し驚いた。
カウンターに3人並ぶのを、波瑠はまじまじと見る。なんだか嬉しそうだった。
「なあに? 波瑠さん」
「いやぁ…珍しいな、この組み合わせ。来るべきして来たって感じだなと思って」
「そう? 零も絵梨香も、オレには近しい関係だから。まあ、いつかは…って思ってたけど」
「今まで君らが、お互いに会う機会がなかったなんて、ホント不思議な感じだな」
「確かに、そうかも」
蒼汰がそう言うと、絵梨香はちらっと零を見た。
波瑠さんと話している時の彼は、蒼汰と話す時と同様に人間らしさも感じられる。
ただ、彼が蒼汰に話しかけるだけで、こっちと目が合ってしまうんじゃないかと、内心ハラハラしながら目を逸らしている自分がいる。
きっとニガテなタイプなんだわ。
お酒の弱い蒼汰は、2人を取り持つ気疲れのせいか、早々に酔いつぶれてしまい、ソファーで横になっていた。
波瑠のおかげで、ほんの少し零とも話せるようになったけれど、依然その美しい顔はどこを見ているのかわからない、憂いを帯びた表情に見えた。
第3話 『The First Case』
next to the『RUDE BAR』 ー終ー
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