四頁「赤き魔弾」

 エリカ達が三島健二の自宅を訪れたのは、午前一時を回った頃である。

 上谷区の閑静かんせいな住宅街にある庭付き二階建ての一軒家。

 平凡なはずの風景が空寂しく周囲から浮いて見えるのは、深夜であるばかりでなく、この家に渦巻く孤独が故だろう。


 夕方頃、裏隣に住む大家に事情を話すと、薫と玲子の続柄を知っていた事もあって、すんなりと鍵を貸してくれた。

 その直後涼葉は、


「ワードとの戦闘になる可能性もあるから、なるべく人目の付かない時間がいいわ」


 と忠告し、三人は一旦帰宅して制服から私服に着替えて、三島健二の自宅前に集合した。

 エリカは、紺のTシャツとベージュのハーフパンツ。薫が黒い開襟シャツとオリーブ色のカーゴパンツ。涼葉は、着古した白いシャツとデニムだ。

 全員、動きやすさ重視である。

 薫を先頭に三人が健二宅の玄関に入ると、二階へと続く階段が右手に見え、廊下の左側にリビングへと続く扉があり、奥の扉は健二の書斎に繋がっている。


「それで、涼葉さんは何が見たいの?」


 エリカがささやくと、涼葉の視線は、階段へと向けられた。


「寝室よ。亀城君、二階にあるのかしら?」


 薫が頷き、涼葉が靴を脱いで家に上がろうとしたその時、


「あなた達?」


 呆然とした顔つきの女性が、玄関のドアが開け立っている。

 薫は、女性の肩を掴みながら静かに声を荒げた。


「おばさん! どこ行ってたんだよ!?」

「どこって、私を探してたの?」

「そうだよ! 連絡付かないし、心配したんだよ!?」

「ごめんね。ほら七谷ななやつぐみさん。あなたのお父さんの妹さん……」


 薫の叔母、七谷つぐみもグリムハンズである。

 巨大な金棒を具現化する能力を持つ桃太郎の単語級ワードクラスグリムハンズであり、亀城家伝統の節分に欠かせない人材だ。

 一見物騒な見た目の能力ながら当人は、穏やかな気性であり、薫を我が子のように可愛がっている。


「彼女がワードの居場所を探せるグリムハンズが、大阪に居るって噂を教えてくれて。結局当てが外れたんだけど」

「携帯持ってなかったのかよ」

「慌ててたから家に忘れちゃって……ごめん。ねぇ、そちらのお嬢さん達は?」

「うん、同好会の仲間でグリムハンズだよ。悠木涼葉さんと沙月エリカさん」

「悠木です。お邪魔しています」

「沙月です。どうもです」

「来てくれてありがとう。それで家に何か用なの?」


 玲子の問いに、涼葉は階段の奥を見上げながら答えた。


「寝室を見たくて。あと、あなたに会えたら聞きたい事があったんです」

「なにかしら?」


 何を聞かれるのか不安なようで、玲子は左手の薬指にはめた金の指輪を弄っている。

 その仕草を見つけた涼葉は、興味深げな顔で尋ねた。


「指輪は、御主人が?」

「ええ。結婚指輪として」

「婚約指輪も金じゃありませんでしたか? プラチナではなくて」


 涼葉の指摘に、玲子の顔色がみるみるうちに雲っていく。


「なんで知ってるの?」

「ご主人との出会いは、船旅では? そこで知り合い、初対面でいきなりプロポーズされた」

「え?」

「突然の事なのに、あなたは何故かプロポーズを拒めなかったんじゃありませんか?」


 玲子の当惑した表情が、涼葉の推測が的中している事を証明した。


「涼葉さん。どうなってんの? 今んとこ全問的中みたいだけど」

「エリカちゃん、ここからが確信よ。玲子さん、寝室に石像はありますか?」


 涼葉の質問に、玲子は顔色から血の気が引き、能面のように白く染まっていく。

 しばしの間、玲子は寝室へと続く階段を見つめたまま言葉を失っていたが、やがて俯きがちに頷いた。


「……ええ。主人が大事にしていた小さな石像があるわ」

「それがワードです」

「え? どういう……」


 玲子の驚愕が収まるのを待たずに、涼葉は続けた。


「忠臣ヨハネス。今回のワードの元となった童話です。小さい頃、母に読んでもらったのですが、間違いないでしょう。国王は、死の間際、忠実な家来であるヨハネスに、息子である王子の事を託した。その遺言は――」




『廊下の一番奥の部屋だけは、見せてはいけない。あの中には、黄金の国の王女の絵がしまってあるのだ』




「それを見ると王子は、立ちどころに王女に恋をして、災いが降りかかる事になると。けれどヨハネスは、王となった王子の好奇心に負けて遺言を破り、この絵を見せてしまった」




『あの美しい人は、誰だ』




「前の王の忠告通り、王は、王女に恋をしてしまった。国一番の金細工職人に金の装飾を作らせると、商人に化けて王女の元へ赴き、金細工を利用して自分達の乗っている船に誘き寄せた。王とヨハネスは、王女が金細工に目を奪われている間に船を出してしまったの。最初は商人に誘拐されてしまったと悲しむ王女だったけれど、王が――」




『商人などではありません。私は王です。あなたを愛するあまり、こんな事をしてしまったのです』




「王がそう打ち明けると、王女はプロポーズを受け入れて結婚する事となった。けれどヨハネスは、王に三つの災いが降りかかる事を船の上を飛んでいる三羽のカラスが話しているのを聞いて知るの。ヨハネスは、この事を王に伝えようとするけれど、カラス達は言った」




『王にこの事を伝えると、そいつは石になっちゃうんだ』




「ヨハネスは、誰にも事情を話さず三つの災いから王を救ったの。けれど事情を知らない者に、ヨハネスの行動は王への背信にしか映らなかった。最初はヨハネスを庇っていた王も、ついにヨハネスの処刑を命じた。刑の執行直前、ヨハネスは事情を話した」




『我が忠臣ヨハネス。お前を赦免ほうめんする』




「真実を知った王はヨハネスを許すけど、呪いでヨハネスは石となってしまう。嘆き悲しんだ王と女王は、石像となったヨハネスを寝室に飾った。やがて二人の間に双子が生まれるの。けれど王の後悔は消えない。するとヨハネスの石像がこう言った」




『あなたが自らの手で二人の子の首を斬り落とし、その血を私に塗ってくだされば、私は命を取り戻せます』




「そう聞かされた王子は、自分の子供の首を跳ね、その血を石像に塗るとヨハネスは元の姿に戻った」




『王様の親切に、私も報いなければなりません』




「そう言ってヨハネスは、双子を生きらせたの。女王が寝室に来ると、王は三人を隠して女王に聞いた」




『女王よ。ヨハネスを生き返らせてやれる。しかし、それには私達の可愛い子供の血が要るのだ、あの二人を殺さなくてはいけないのだよ』




「王の問いに、女王はこう答える」




『あの者の忠義を思えば、私達はそうすべきなのだと思いますわ』




「女王は、子供を犠牲にする事を選んだ。自分と女王が同じ考えである事を知った王は、隠していた三人を見せる。女王もヨハネスの復活を喜び、五人は幸せに暮らしましたとさ」


 涼葉が語り終えると、エリカと薫は驚きを隠せず、しかし正体を突き止めた事を安堵していた。


「今回の事件にそっくりじゃん……」

「これがワードの正体で間違いなさそうですね」


 一方で真実を突き付けられた玲子の顔色は、血の気を失い、透けるような白に染まっていた。


「じゃあ主人は……あの人は……」

「恐らく、彼はワードと契約していたんです。三つの災いの意味が転じ、三つの願いを叶えるようになった。最初の願いは、自分の理想の女性と出会う事。二つ目の願いは、あなたに自分を愛してもらう事。そして最後の願いが――」

「愛を……娘を救う事……」

「けれど、三つの願いを叶えたワードは、代償に子供の血を求めた」


 夫への愛情も、美しい思い出も、子供との出会いすら創られた物だった。

 健二が望むままの人生を、望むままの役割を与えられ、演じ続けてきただけ。

 夫を亡くした悲しみばかりでない。もしかしたら娘への愛情ですら――。

 玲子は、嘔吐おうとして、膝から崩れ落ちた。


「おばさん!?」


 薫が背中を擦るが、玲子の嘔吐は収まらない。

 娘を亡くしたショックで何も食べていなかったのだろう。出てくるのは胃液ばかりだ。

 酸が喉を焼き、吐しゃ物に血が混じり始めた頃、ようやくえづきが収まったが、今度は涙の露を梅雨の雨のようにしとしと零し、嗚咽を掌で押し殺している。


「主人は、あの小さい石像をとても大事にしてた。普段優しいのに、あれに触った時だけは酷く叱られて……」


 エリカにあるのは、怒りだった。

 身勝手に一人の人間の人生を奪い、永遠に変えてしまった事への。

 

 薫にあるのは、困惑だった。

 優しかったおじさんの醜悪な部分に触れた嫌悪と、尚も彼への愛情を捨てきれない自分の矛盾が苦しかった。


 涼葉は、感情を殺していた。

 今すべきは心をかき乱す事ではない。

 すぐ近くに潜む脅威を速やかに排除する事だ。


顕現けんげんさせて破壊しましょう」


 涼葉が靴を脱いで玄関から家に上がろうとすると、木の軋む音が降り注いできた。

 二階からだ。音は規則的に鳴り、徐々に近付いている。

 階段の近くに差し掛かると、今度は固い音と共に階段を踏み締めるモノが全員の視界に映り込んだ。

 石を削って人の足の形にしたようだったが、所々がひび割れており、ひび割れに沿うように赤い肉が鼓動しながら盛り上がっている。


「あれがヨハネスのワードね」


 涼葉の言に応えるように、同様の足がもう一本、階段を踏み締める。

 右手には錆びた剣を持ち、面立ちは石で出来ていながら精悍だ。

 頭に生えた鮮血で濡れそぼった無数の細い肉が、髪の毛のように肩まで伸びている。


 一歩一歩足取りは重く、ワードが降りてくる度、涼葉達の本能的な不快感を煽ってくる。

 家の中は、戦う場所としてあまりに適していない。

 外は、道路の道幅こそ広いが住宅街であり、派手な戦闘は出来ないから、許されるのは速攻のみ。


「エリカちゃん。薫君。速攻で沈めるわよ。玲子さんは、私から離れないでください」

「任せて涼葉さん」

「悠木先輩、合図を」

「顕現せよ! 忠臣ヨハネス!」


 涼葉の一声を受け、ヨハネスのひび割れに走る肉が蒸気を吹き出しながら明滅する。

 石で出来た瞳が涼葉を見据えると、剣を振り上げ、迫ってくる。

 薫が肩から当たるように玄関の扉を開けて四人は、外へ飛び出した。

 幸い深夜であるため、道路に人通りはない。

 周囲の家々には人が居るが、寝静まっている時間だ。

 涼葉の作戦通り、素早く片付けてしまえば、目立たずに済むだろう。


「グリムハンズ! 桃太郎ネクストページ猿!」

「グリムハンズ! 灰かぶり姫シンデレラ!」


 四人の後を追って道路に出たヨハネスの喉に、薫の繰り出した猿が食らいつき、動きが止まった瞬間、エリカが右拳を地面に叩きつけ、握り込まれたビー玉が爆ぜてアスファルトを鋭い結晶の群れが走った。

 並のワードなら決定打となるコンビネーション。しかしヨハネスは、鈍重どんじゅうな外見とは裏腹に素早い剣捌きで猿の拘束を振り解き、迫り来る結晶をかわした。

 ヨハネスは、石ころのような眼玉を舐め回すように動かしてエリカを一瞥する。


 接近戦ではエリカのグリムハンズは使い勝手がよくない。

 この短時間でヨハネスは、対応してくる。

 エリカへの接近を許すまいと、薫の駆る猿がヨハネスに飛び掛かるが、人類の知覚を許さぬ剣閃が猿の巨体を闇夜に散らした。


 ――来る!!


 エリカが確信を抱くより速く、ヨハネスは一足で飛び掛かり、エリカを剣先の射程圏内に収めてくる。

 至近距離で灰かぶり姫シンデレラは、取り回しが悪い。エリカは、ハーフパンツの右ポケットから特殊警棒を引き抜いてヨハネスの脳天目掛けて振り下ろした。

 通常時の数十倍以上に強化されるグリムハンズの身体能力。渾身で繰り出された一撃をヨハネスは、左腕を盾にして難なく受け止める。

 次弾を打とうとエリカが構えるより速く、ヨハネスの剣がひるがえった。

 暴風を伴う斬撃は、受け止めた警棒を粉砕し、紙一重で直撃を躱したエリカをも余波で体勢が崩される。

 エリカに生じた刹那の隙、その切れ間にヨハネスの左拳がエリカの右頬に突き刺さり、四十キロ超の肉体を風船でもあるかのように跳ね上げた。


「沙月さん!」

「エリカちゃん!」


 地面に転がり悶えるエリカに、剣の切っ先が突き付けられる。


「桃太郎ネクスト――」


 薫が三匹の家来を繰り出そうとした瞬間、殺意を気取ったヨハネスが右手の剣を薫に投げ付けた。

 極超音速の衝撃波を伴って飛翔する剣だが、銃弾すら容易く見切るグリムハンズの反射神経なら対応の範囲内。

 だがエリカを助けようという焦りと、想定していなかったヨハネスの奇襲。二つの要素が薫の回避行動に遅延を発生させた。

 投げ放たれた剣は、薫の右肩を掠め、夜の闇に溶けていく。

 生じたのは、コンマ数秒の怯み。ワードが人間を解体するには、十分過ぎる時間だった。


 ――私、死ぬんだ。


 眼前に迫るヨハネスの手に、エリカが致命の覚悟を決めた。


「エリカちゃん!!」


 涼葉の悲鳴が届くより速く、ヨハネスの頭部が砕け、数瞬遅れて強大な破裂音がエリカの鼓膜を揺らした。


 ――え?


 エリカの困惑を撃ち抜くかのように、さらに二度破裂音が響くと、ヨハネスの胸と腹には拳大の風穴が穿たれていて、石像のような身体が砂のように崩れていく。


 アスファルトに積もった粉塵の中から黄金色の光球が現れ、蛍のように夜空を舞った。

 光の軌跡をエリカが目で追うと、三十メートル程離れた民家の屋根の上に人影を捉えた。


 目を凝らすと、それはエリカと同年代の少女らしい。

 夜闇でも輝く金色の髪と、月光に照らされた白い肌と碧眼は、日本人の物ではない。

 赤いマフラーを首と頭に巻いており、右手には身の丈程もある銃、左手には白紙の小さな本が握られている。


「誰?」


 エリカの呟きに応えるかのように、少女の姿は闇を纏った。


「エリカちゃん怪我はない!?」

「沙月さん大丈夫か!?」


 薫と涼葉が駆け寄ってきた事で、エリカはようやく自分が生きているのだと実感する。


「うん。大丈夫」


 思考が平常運転に戻ると、エリカは今置かれた状況のまずさも実感した。

 ヨハネスが剣を投げた時の音と巨大な銃声。

 さすがに近隣の住民は、目を覚ましたはずだ。


「薫君。涼葉さん。警察が来るかもしれないからすぐ――」

「うわああああああああ!!」


 エリカの声を遮って、玲子が吼えるような嗚咽を上げ、薬指にはめていた金の指輪をアスファルトに投げ捨てて拳を叩きつけた。


「嘘よ! 悪夢よ! こんなのは悪い夢よ!!」


 幾度も。


「認めない……」


 幾度も。


「認めない!」


 幾度も。


「認めない!!」


 拳は、指輪と一緒にアスファルトを叩いている。五指の皮膚が破れ、千切れ、わかめのように垂れ下がっても尚止めず、やがて骨の割れる乾いた音が大気を揺らした。


「なんで私だけこんな目に!?」


 痛覚を含む全ての感覚は、機能不全を起こしている。

 あるのは裂けた心の残骸と、溶けた意識の残滓ざんしだけ。

 三島玲子の人生を形成してきた要素は崩壊し尽くされ、


「今までの人生……時間……幸せって、なんだったのよ!!」


 唯一形を持って残されたのは、ひしゃげて潰れた金の指輪の慣れの果てだった。







 ドイツのワード研究所宿泊施設のロビーに備え付けられた固定電話の前で正太郎は、安堵の息を漏らしていた。


「そうか。エリカ達の事、助かった。お前に頼んでよかったよ」

『お礼して』


 まだあどけなさを残しながらも落ち着いた音色の少女の声に、正太郎は苦笑する。


「しょうがねぇな。何がいい?」

『大人デート』

「お前が大人になったらな」

『十五歳は大人』

「イギリス人は十八歳で成人だ」

『正太郎。例の件はどう?』


 尋ねる少女の声に、先程までの幼さはない。


「大方予想通りだ。悪い方にな」

『私なら力、いつでも貸すから』

「頼むよ。じゃあな。マリー」

『うん』


 正太郎が受話器を置いた途端、安堵の表情は一転、自己への嫌悪に染まっていった。


「結局いざという時、俺は役立たずだな。今でも中途半端でどっちつかずのクズかよ」


 自分自身に落胆し、


「美月……俺は、どうしたらいいんだ?」


 ただひたすら、己の無力を呪った。

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