ととんた節

直初叶奈

ととんた節

ととんた。とたん。たんととん。

ととんた。とたん。たんととん。

僕は階段の踊り場で太鼓を鳴らし、ととんたぶしの練習をしていた。

遠くの蝉時雨しぐれがじわりじわりと僕の身体に染み付いてくる。

涼しくて広い階段の踊り場は僕のととんた節の練習場所だった。


どどんだどんた。どんだ。

ふと上の方から、足音が響いた。

咲子さくこ義姉ねえさんだ。

兄さんと喧嘩したのか、涙を流しながら僕の隣を駆け抜けていった。

そのすぐ後、兄さんが慌てて追いかけていった。


その後下の階からお姉さんがひょっこりと顔をだしてきた。

「ねぇ咲子ちゃんの顔見た?」

「ううん、見てない」

「咲子ちゃん酷い顔だったわ。お兄さんてば婆さんが子供せっつくのに無神経な事言ったのよ。」

「へぇ。」

「あんたはまたととんた節?」

「うん。」

「婆さんに嫌がれて追いやられてるのに、好きね、あんたも。」

「うん。好き。」

「秋祭りになったら、あんたが叩くの?」

「今年は笛口さん家のみよ婆さんだよ。僕はまだまだ先になるよ。」

「あら、そう。」

お姉さんはいなくなっていた。

悲しくなったので、太鼓を叩いた。






ととんた。とんた。たんととん。

ととんた。とんた。たんととん。

暦の上では夏は終わりかけていたけどまだまだ暑かった。

僕は兄さんに呼び出されて広間にいた。

婆さんの遺影と少なくなった蝉の声が僕の脳裏に焼き付く。


義雄よしお今年の秋祭り。ととんた節の太鼓をお前に頼みたい。」

兄さんは苦虫を噛み潰した顔で僕を見た。

「今年は佐藤さん家の雅彦さんじゃないの?」

「…久方ぶりにお告げがでた。義雄、お前が名指しで呼ばれた。本来ならば老人の役目だ嫌なら嫌でいい…」

「うん。わかった引き受けるよ。」

兄さんは僕の返事にびっくりして声を荒げた。

「…義雄!?わかっているのか!秋祭りの太鼓の担い手は…」

「死ぬんでしょ?」

僕の台詞に兄さんは言葉がでなくなっていた。

「僕は叩くから。じゃあ、部屋にもどるね。」

僕は部屋から出た。


きしきしきし。ぎしり。

階段を上がって自室に戻るとそこにはお姉さんがいた。

僕に気が付くとふっ、と微笑んでくれた。

綺麗だ。

「あら、お兄さんいじめはもういいの?」

「うん。」

「いじめてたのは否定しないのね。」

「うん。兄さんは僕にととんた節を叩いてほしくないみたいだし。」

「やめてあげればいいのに。」

「それはいやだ。」

「あら、頑固ね。」

「だって、僕は早くととんた節を叩きたいから。」

「…一応聞いておくけどなんでそんなに叩きたいの?」

「それは…」

瞬きの間にお姉さんはいなくなっていた。

悲しくなったので布団に潜った。






ととんた。とんた。たんととん。

ととんた。とんた。たんととん。

僕は布団の中で、目を閉じた。

ぼんやりとした闇の中で僕はカラスの声を聞いた

今でも鮮明に覚えている、大事な思い出だ。


かぁーかぁーかぁー

僕は、秋祭りの日にいつも封鎖されている山に入っていた。

秋祭りの準備で忙しい兄さんに構ってもらえるかと思ったからだった。

そうして、当時の幼い僕は迷子になっていた。


夕日で赤く染まった空を飛ぶカラスがとても怖かった。

僕はずっと泣いていた。

「ねぇ。あんた。こんな所でどうしたの?」

声がして、僕が顔を上げると、とても綺麗な女性ひとがいた。

「今日は秋祭りだってのに…勝手に入って道にでも迷ったの?」

綺麗さに涙を引っ込ませて、僕はうなずいた。

「そう、なら安心なさいな。あたし村に用事があるから、ついでに送ってあげる。」

「…ほんと?」

「本当よ。さ、手を繋いで行きましょうか。」

「…うん。」

お姉さんの手は冷たかった。


「へぇ、お兄さんに構ってもらう為に。」

「うん…」

「やり方がまずかったわねぇ。それで迷子になってたら駄目じゃない。」

「…そういえば、お姉さん、村の人?」

「話逸らしたわねぇ。んー…そう、ね。山に住んでるけど、村の人よ。」

「そうなんだ。今日はお祭りだから来たの?」

「ええ、祭りの際はあたしの役目をやらなくちゃ…と山の出口よ。」

「…!ありがとうお姉さん!」

「お兄さんのところにはあんたで行きなさいね。」

「うん。わかった!」

僕がうなずいた時にはお姉さんはいなくなっていた。

悲しくなったが兄さんの呼ぶ声がしたのでそこに向かって走っていった。


その後は兄さんに叱られたがすぐに許してもらい、一緒に祭りを見てまわった。

そうして祭りのシメ…ととんた節の披露の時間が来た。

舞台の上で叩き手が神へのととんた節を叩くのだ。


ととんた。とたん。たんととん。

ととんた節の披露が始まった。

しばらくして、僕は舞台袖に立っているお姉さんを見つけた。

兄さんにその事を教えたが、兄さんにはお姉さんは見えていないようだった。


お姉さんを気にしていたら、ととんた節の披露が終わっていた。

そうして舞台袖にいたお姉さんが叩き手に近寄る。

とても綺麗な笑顔で、ぽんぽん。と二回お姉さんは叩き手の肩を叩いて、消えた。


僕はその笑顔に、心を奪われて、その行為が何だったかはわからなかった。

祭りから二日後。叩き手だったお爺さんが亡くなった。


その時、僕は気が付いた。

お姉さんがこの村の『神』なのだと。


カラスの声が聞こえた気がした。






ととんた。とたん。たんととん。

ととんた。とたん。たんととん。

太鼓を叩く音で現実に引き戻された。

練習中にぼうっとしてしまうとはよくない。

本番が近いから緊張してしまったのだろうか。


ととたん。たとんた。とんたたた。

練習の続きをやる。

「ねぇ。」

綺麗な声がした、お姉さんだ。

「…あんた、勘違いしてるわよ。」

「何を?」

「あたしがあんたに会いに来てたのは反応してくれたのが嬉しかっただけ。」

「それで?」

「それでって…だから、あんたが太鼓を叩く必要はないのよ。お告げなんてあんたをあたしから引き離す為の方便だから。」

「うん。知ってるよ。」

「知ってるって…じゃあなんで、あんた太鼓を叩くのよ…!」

「死にたいなら…別の方法で…」

「違う。」

太鼓を叩くのをやめてお姉さんを見る。

「だって僕は、貴方を愛しているから。」

「…は…?」

「こうすれば、ただの人間でも貴方の傍に入れるだろう?」

「…」

「義雄。」

兄さんの声がした。

「出番だ。」

時間がきたようだった。

「わかった、すぐ行くから待ってて。」

「…ああ」

お姉さんはいなくなっていた。

悲しいのはあと少しで終わりだ。





舞台の上はおごそかに空気を保っていた。

暗闇の中、僕と観客の呼吸音しか聞こえない。

僕はゆっくりと、ととんた節を叩き始める。


とん。とん。とんたたた。


ととんた。とんた。たんととん。

ととんた。とんた。たんととん。


太鼓を叩く度に、昔の記憶が蘇る。


ととんた。とんた。たんととん。

ととんた。とんた。たんととん。


お姉さんと出会ってからずっと太鼓を叩いていたからかな。


ととんた。とんた。たんととん。

ととんた。とんた。たんととん。


今、このととんた節を聞いてどんな顔をしてるかな。


ととんた。とんた。たんととん。

ととんた。とんた。たんととん。


ああ、早く、早く、会いたいな。


ととたん。たとんた。とんたたた。


ととんた節の最後の部分を叩いて、僕は意識を失った。





僕の目の前にお姉さんがいる。

「ねぇ、義雄。」

「あ、やっと名前で呼んでくれたんですね。」

「…本当にいいの?」

「本当にいいんです。」

「悔いは。」

「ないです。」

「…そう。」

「ええ。」

「義雄。今日からはあたしの配下よ。」

「はい。」

「絶対に、離れないでね。」

お姉さんは僕を抱きしめた。

僕と同じぐらいの温かさだった。

「はい。もちろんです。」

「それでね。貴方にはあたしの名前。教えてあげる。」

「本当ですか!」

「とっても嬉しそうね。耳貸して。よく聞きなさい。あたしの名前は…」


こうして僕は貴方のものになれたんだ。






りーん。

仏壇に手を合わせていると、咲子がやって来た。

義郎よしろうさん。佐藤さんから伝言が。」

「ん、なんだ?」

「今年は去年できなかった佐藤さんが秋祭りの太鼓をやるそうです。」

「そうか、わかった。」

「…もうすぐ一年になるんですね…」

「ああ、早いな…」

「なぁ咲子。」

「どうしました?」

お腹をさする妻を抱き寄せた。

「もしかしたら、腹の子は神からの、賜り物かもしれん。」

「義郎さん…?」

「…いや。忘れてくれ。義雄が死んで、弱気になってるのかもな…」

「そうですか…」


ととんた。

家の中で太鼓の音が聞こえたような気がした。

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