悩める大学生の放蕩日記

柳なつき

営んで、いきましょう。鈍感にならずに、敏感なままに。

(考え考え、書きました。勇気が要った。でも公開します。よろしくお願いします。)


 人ひとりの身になにかがあった時点で、それはもう、災害だ。


 被災した人数がすくないからよかったって言いかたは、見方によっては残酷な言いかただと私は思う。だってそれでも、被災した人は、確かにいるんだ。それでもなお、よかった、って言えるのか。

 人ひとりっていうのは、重いんだ。とっても。それは私自身や、家族や友達や周りの人や、つまり大事な人たちを思えば、すぐにわかる。

 被災した人は、いるんだ。確かに。それは事実だ。悲しむ人が、いるだろう。怒る人が、いるだろう。途方に暮れる人が、いるだろう。それだって事実だ。ひとりひとりにそれぞれ大事な世界が存在して、その世界が破壊された、踏みつけられてめちゃくちゃにされて、消滅した、それだって、れっきとした事実だ。

 数千人、何万人、と簡単に言うけれど、そのひとりひとりに無限の重みがあるわけで、だから私は、もうくらくらとしてしまう。ねえ、これ、どういうことなの。

 だからと言って、単純に人数に、「数」に今回のことを換算したくはない。そうすれば、楽だろう、確かに。でも、そうじゃない。そういうことじゃ、ないんだ。ひとりひとりに重みがあって、それは私の重みとおんなじ重みで、それは束として考えてはいけなくて、ちょっとずつでいいから、ひとりの重みをひとりの重みとして、受け止めていかなきゃいけないんだと思う。

 気が狂うようなことだと思う、それって。でも、それでも。私は無機質に、被災をデータ化してしまいたくない。

 どうかこんなときであっても、あたたかみを忘れないで。人ひとりはとっても重いっていう、当たり前のことを忘れないで。ひとりひとりに世界があり、物語があり、大切な人が、あった。そのことを、忘れないでいたい。ぜったいに。


 なぜ、人というのはこんなにも無力なのか。

 そう思い、立ち尽くすときがある。今回は、とくにそうだ。

 でも。でも、人はただ災害に立ち尽くすだけではない。そこから生きようとする。災害に、立ち向かうことができる。戦うことができる。それは人の、素晴らしい営みだ。

 言ってしまえば、人は運命に抵抗することができる。

 私も、その人の営みに参加したいと思っている。人として。だって自然現象に負けるなんて、そんなの信じられないことだしぜったい嫌だもの。だからまずは、募金だ。お金。人のもつ、観念的だけど普遍的な力。そしてそのあとは、また考えよう。人の営みに、いかに参加することができるか。こういうときにはなんの力もない私だけれど、それだけは、ずっと考えようと思う。

 それと今回思ったのは、勉強って、つくづく大事だってこと。こういうときになにか強い知識や経験があれば、多少は役に立てたのかもなあって思った。私はまだ、そういった力に欠けている。だから一生懸命勉強しようって、改めて思った。それも人の、営みだから。

 人は、営んでいける。私はそう、強く思う。


 とりあえずかたちとしては、日常を維持しようと思う。ここで私がパニックになっても、しょうがないから。そして大切な人たちが無事だってことを、おりおり確認していきたい。最低限の備えと最低限の情報、それだけを確保して、あとはじっとしている。勉強やら、読書やらしながら。あ、あと、買いもの行く。なんかおいしいものでも買ってこよう。

 それがたぶん、今私にできることのほとんどだ。おいおい、必要とされる力がわかってくるだろう。そのときまでは、ただ日常を維持していたい。無駄に混乱しないように。

 でも、人の営み。それには常に、参加していたい。微力だけど、私も人だから。


 営んで、いきましょう。鈍感にならずに、敏感なままに。

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