【First Album】5th Track:もみじふみわけ


  伊織が三味線を手に取ってから早一週間が経過した。良い音も出ないし、ひのと京介はとっくに諦めるだろうと、互いにこっそりと博打を打っていた。ひのは三日で飽きるだろうと踏み、京介は一週間と踏んだ。その読みも外れ、泣く泣く、伊織の妹の一颯(いぶき)にお金を取られたのが、ここ最近のダイジェストである。

 「へへっ、儲けたわ!」

 「親から根こそぎ毟(むし)りやがって!中学生が万札持つなんて、『猫に小判』じゃないか!!」

 京介は賭けの結果がニアピンだったことを悔しがった。

 「だいたい、俺が楽器屋に連れてったのが間違いだったんだよ。あの野郎……妙に色気づきやがって」

 

 京介の収入は「シノギ」の一部から賄われていた。楼雀組の収入は「薬物の売買」に手を染めないようにしているのか、とても乏しい。屋台出店の収入と、風俗店、闇金融が少し絡んでいるが、あくまでもグレーゾーンな線を辿っているのがこの組の良さでもあった。

 薬物に手を染めてしまったら、内部組織が腐ると先代から教えられていたことでもあったからだ。

  

 さて、伊織の三味線に興味を持ったのは、琉球出身の組員である比嘉(ひが)だった。

酒に強く、浅黒い焼けた肌にがっちりとした体格で、年齢は京介とさほど変わらぬ四十代の男性だった。

 彼の出身地である琉球にも「蛇尾線(じゃびせん)」と言う蛇皮の三味線が存在し、さほど扱いは変わらないらしい。本土に来て三味線を触ったこともあったのか、彼の教え方はとても丁寧だった。

 「若、弦楽器はチューニングからするんす。それに姿勢もなってない。何度言えば分かるんすか!」

 「あ、わりぃ」

 比嘉はもともと幼い弟妹が多かったのか、面倒見が良かった。組長の長男である伊織にも容赦しない厳しい口調で叱責をしながら指導をし、伊織はそれに従った。

 比嘉は手の掛かる伊織のことを面倒にも思わずに、黙って三味線の調弦をしていた。伊織はその様子を黙って見つめていた。

 この一週間、比嘉の撥(ばち)の持ち方や糸の叩き方一つ一つを食い入るように見ていたが、一週間経ってもいい音が出せないのがとても悔しかった。


 「三味線はウチ、スクイ、ハジキ。いろんな動きがあって、撥の持ち方によっても音の締まりがなくなってしまうんさ」

 「……だからか。脇の締め方が甘かったり、手首の動かし方も悪かったりして、いい音が出ないもんな。お前、詳しいな。どっかでやってたのか?」

 「あっしの実家は、沖縄で『三線(さんしん)・蛇皮線(じゃびせん)』ってのが主流だったんさ。三味線みたいに張ってある皮が猫の皮じゃなくて、蛇の皮を使ってて、男子の嗜(たしな)みとして弾けることを強要されてたんさ」

 「流れ流れてうちの組に来たのもなんか変な縁だよな」

 「俺の出身地は、ぶっちゃけ年頃の奴はギターよりも蛇皮線が弾けた方がモテる。そんな噂もあってな。血眼になって楽曲も練習したんさ。でも役に立ったかと言えば、疑問だけどな。ただ、この組の祭儀に必ず和楽器が用いられる。奏楽者としてあっしが使われるのはちょっとした誇りなんさ」

 比嘉がかかっと笑った。伊織はそれが羨ましかった。誰かの役に立てることがとてもとても。今までそんな生き方を意識してきたことも無かったのだけれど。

 伊織は寒気がして、周囲を見渡した。どうやら、庭にある松の木の物陰から殺気に満ちたオーラを感じた。

 一瞬身震いをして、飛び退いた。すると薙刀(なぎなた)が伊織の座っていた位置に振り下ろされた!幸い、模造刀だったから良かったものの、それでも着ていた袴(はかま)の裾が少し裂けた。床にはくっきりと刃物の跡が付いている。

 「……いーおーりぃ……アンタ、いつんなったら!!竹刀の稽古するのさ!!」

 屋敷内に響き渡る凜とした声。伊織はその声に背筋が凍る思いで寒くなった。心当たりはあった。何故なら三日以上、朝の竹刀の特訓をサボっていたからだ。賭けの負けも相俟っていたのか、かなりお怒りのご様子だった。


 楼雀組の血筋のものは、護身の為に、古流武術を身につけるしきたりになっており、婿養子として入ってきた京介は空手の腕前を黒帯まで上げたようだ。また、ひのは幼少期から握らされた薙刀を負けなしに磨き上げ、伊織の妹である一颯(いぶき)もそれに倣って薙刀の稽古の真っ最中だ。そして、伊織は竹刀を握るように両親から義務づけられていた。

 毎朝五時に稽古場の床磨きと素振りをするように命じられているのだが、彼も反抗期で年頃の高校生。移り気な性格でもある。

 「お袋、俺は……その……」

 しどろもどろに言葉を絞り出したが、ひのは燃えるような口調で、矢継ぎ早に言った。

 「竹刀もろくに出来ないアンタに、三味線なんて出来るの?アンタは今まで習慣にしてきたことも片手間に出来ないほどの愚か者だったの?いいかい?私が、アンタの歳の頃に、お袋に早朝四時に叩き起こされてね、血豆が出来るほど、薙刀(なぎなた)握らされたのよ!!そうやって、アンタはあれに手を付け、これに手を付け。そうして何もかも中途半端に放り投げる。そうじゃないの?」

 「うるせぇよ、クソババア」

 「あ゛?!文句があるってんの?!下品な言葉しか言えないってことは図星なんでしょうがっ!」

 「…………」

 何も言えなかった。何故ならグサッと胸に突き刺さる一言だったから。生まれてこの方、伊織は今まで何一つとしてやりきったことがない。自分の中にある煮え切らない感情はこれから来ていたのかも知れないのだと改めて感じて拳を握っていた。やり始めた三味線もこれまでやってきた竹刀の稽古も、伊織にはどちらも選ぶことが出来なかった。

 「ふん。私はアンタのお婆さんのように無理強いはしないよ。ただね、この先、あっちに手をつけ、こっちに手を付けして、代々うちが守ってきたお稽古事も果たし通せないんだったら、一生後悔するだろうね。勉強もそう。『あのときやっておけば良かった』だなんて思った時には遅いんだから。……勝手にすればいいよ」

 ひのは冷たく言い放つと背を向けて行ってしまった。言い返せなかった。彼女が現役時代に築き上げてきた生徒会長としての働き。愛する男をライバルと賭けて奪い取り、家庭をこの歳まで築いてきた。そして楼雀組のお嬢としての生き様にも恥じることが無い。堂々と去りゆく彼女の背中には、小さいながらも「虎のような勇ましさ」が刻まれていた。

 

**

 ひのの叱責を真に受けたのか、伊織は意気消沈してしまった。二、三日続いた無気力状態に組員は愚か、友人も呆れていた。朝稽古の竹刀にも身が入らず、三味線にも触れる気力がなく、ぼーっとするような日々だった。ひのも叱りすぎたかと頭を抱えていたが、黙っていた。息子に甘い態度を見せるわけにはいかないと。


 学校で相変わらず男子の馬鹿騒ぎに付き合わされたのだが、空元気がそう一週間持つわけがなく、気がついたらいっぱしの性欲だけを残して、もぬけの殻になってしまったようだ。

 「伊織!!いい加減元気出せよ!!つい最近な、お前の好きな女優の『Sion(サイオン)』の『乱れ髪』って写真集が手に入ったんだぞ。一緒に見ようぜ」

 「俺はいいや……一人で見てくれ」

 友人がスケベな顔をして励ますが、伊織は無関心だった。あまりに素っ気ない態度だった為、彼は失恋を疑ったがそんな様子もなく。友人は頬を掻きながら言った。

 「珍しいなぁ……お前が女に興味がなくなるなんて、明日、雪が降るに違いない」

 馬鹿なことを呟く友人。伊織はいつもなら、狼のように鼻息荒くポルノ雑誌を見るのだが、頭のネジがすっかり緩んだようだった。それだけ痛いところを突かれたからだろうか。

 真夏の蒸し暑い日に、雪が降る。想像しがたいことだった。それだけ彼の様子がかわるというのは奇異なことだった。。


 **

 授業中にぼーっとペンを回しながら、伊織は考え込んでいた。

 「このまま何にも残さずに卒業していくのか……俺の身体には『若虎の嬢』の破天荒な血が流れているはずだったんだけどな」


 不意によぎる、うつむき気味の紫吹の顔。物憂げに伊織の目の前から去って行き、霧のようなもやの中に埋もれて見えなくなった。

 頭の中にガツンと衝撃が走るような感覚を覚え、ペンを落とした。

 「あーさーぎ!!聞いているのか?何をぼーっとしているんだ!お前は」

 「た、体罰で訴えますよ!!」

 「馬鹿なことを言っていないで、顔を洗ってこい」

 周囲の友人も伊織の変化に顔を見合わせていた。チカチカする視界でふらふらとしながら伊織は教室を出て行った。

 鏡を見ると悩んでいた自分の姿が映っていた。俺は、何の為に三味線を弾いて来たんだろうか。濡れて滴る虚ろな目を見ながら悩んできたことを考えた。――答えは明確だった。紫吹のことが知りたかったのだ。あの少女の唯一の逃げ場にして、夢中になれるもの。それが三味線であり、それを通してつながりを持ちたかったのかも知れない。


 「父親が厳しかったり、不良で授業をサボってる癖して、学校に来て三味線弾きやがって。話しかけたら無視するくせに何なんだよ。厳しい家庭に育ったもの同士で……同じ境遇だと思ってたのに……」

 伊織は教室に向かおうとしたが、向きを変えて屋上に向かっていった。教員が戻ってこない伊織を心配して、廊下から顔を出すと、既に遙か彼方にいたようだった。

 

 「……俺はなにを遠回りしていたんだろうか!」

 「おい、浅葱!!早く戻ってこい」

 教師が叫ぶも、伊織は顔をしかめながら言った。

 「腹と頭が痛いので、保健室に行ってきます」

 「逆方向だぞ!!おい、待ちなさい!!」

 教師が呼び止めるも、伊織は走り出していた――。

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