6話 ラズベリーフィールズ 3/3
いつもの感情に整えてドアをノックする。
「……ウッジです。」
「お入りなさい。」
冷たく湿った手でドアノブを回して、中に入った。
「失礼します」
部屋の中は、院長先生一人だった。
これからチャルカが自分の手を離れる事が告げられて、チャルカの荷物をまとめるという最後の仕事が言い渡されるのだろう。そして、ウチはもっと肩身の狭い居候……
と「クールに見繕った表情とは裏腹な想い」を巡らせているウッジの耳に届いたのは、予想もしなかった言葉だった。
「今日、どこで何をしてたのですか?」
思っていた言葉というか、まず質問される事を想定していなかったので、面食らってしまった。
「とても重要な事なのです。答えてください。」
日常において、院長を見かけるときはたいてい笑顔だった。
なのに今ウッジの前にいる院長はとても深刻な顔をしている。
思わず息を飲んでしまう。
「ぇえっと、朝は朝食の後片付けをしていました。その後は、街へ出かけて……森へも行きました、」
「森へは、何をしに行ったのですか?」
ウッジはそこまで聞いて、血の気が引いていくのが分かった。
あの光の一件に違いない。絶対あれだ。
それに気づき覚醒したかのように頭はすこぶる冴えているものの、もともとアレは何なのか状況がつかめない体験だったのだ。
しかし院長の表情からは良いことだったのか悪いことだったのかくらいの察しはついた。
「答えてください。先ほども言った通り、非常に重要なことなのです。」
どこから説明したらいいのだろう。どこから言えばウチの罪は軽減されるのだろう……
「大丈夫ですよ。事は急ぎますが、最初から全部聞きます。時間を費やしてもかまいません。焦らず全部話してください。」
笑顔ではなかったものの、その声から感じ取れる何とも言えない深い愛情を感じて、こんな場面で絶対泣かない、誰かと深くかかわったり気を許したりなんてしないと思っていた心が音を立てて崩れていくのが分かった。
今日はなんていう日なんだろう。
ラズベリーフィールズに来るずっと前から、泣くことなんて忘れていたのに、鉄壁のダムが崩壊してしまったかのように今日は二回も泣いてしまっている。
冷静なウッジが泣きじゃくりながら今日の出来事を順番に説明をするウッジを観察していた。
「………。わかりました。あの木のことは知らなかったのですね。」
実際知らないから、頷くしかないのだけど、それ以上何も知りたくない気持ちが先に立ち、頷くのが
「あの木は、印の木なのです。」
「シルシの木?」
「そうです。ロード様の手足と同じ。あの木はロード様とつながっているのですよ。」
なんていうことをしたのだろう……まだ理解ではないが、それが大変な罪になるだろう事は理解できる。もう嫌だ、死にたい。
『ウチの両親はどうして、ウチを愛していないのならウチを殺さなかったのだろう。もし愛していたのなら、どうして殺してくれなかったのだろう』
いつも寝る前に思うこと。
今日は寝る前でもないのに、この呪文を心で唱えてしまう。
「あなたのしたことは、罪深いことです。ロード様お体を傷つけてしまったのですから。」
院長の伏し目がちの目が涙で潤んでいるのがウッジにもわかった。
「……ウチはこれから、どうしたらいいのでしょう、」(もう死ぬ覚悟はできています。ウチを必要に思っている人なんてこの世にいないのですから……)と言いかけた時、
「私にもわかりません。今までこの町でそのような事が起こったことがないのです。印の木はそれ自体が大きな力で守られているので、伐ろうとして伐れるものではないのです。あなたが木が枯れていたというのも、ありえない話なのです。しかし木を切ってしまった今、それは本当の事のようです。……ただ、どうしてそうなったのか私にもわかりません。
「では、ウチはどうすれば……」
院長は首を横に振った。
「先ほど、木が伐られているとわかり、町中が災いがあるかもしれないと疑心暗鬼になっています。明日には、何らかの方法で事情を知った町の人があなたを突き出すように言ってくるかもしれません。木が枯れていたなんて言っても、聞く耳を持ってくれないでしょう。」
そういうと、立ち上がり机の足元からあの斧を出してきた。
「今晩のうちに、この斧をもってロード様のところへ向かいなさい。そして、許しをもらってくるのです。……町のすべての人たちを納得させるには、それしか方法はありません。」
「その斧……」
逃げるのに無我夢中で今気が付いたのだが、確かその斧はあの現場に忘れてきたはずだった。
「実はお使いを頼んでいたシダーが、あなたがあの木から走って行くのを見ていたのです。その時に斧が落ちていたので、持って帰ってきたのです。あなたのもので間違いないですね。」
「はい……」
「シダーがとても心配していましたよ。」
シダーにも謝らないと……、
「とにかく、出発は早いほうがいいでしょう。用意ができたらすぐにでも発ちなさい。今、シダーがある程度用意してくれているはずです。少ししか持たせてあげられませんが、少しの蓄えもあります。」
言われるまま、ウッジは自分の部屋へ向かった。
部屋へ戻ると、同室のチャルカが帰宅していた。
チャルカは昼間に広場で見かけた時の格好だった。
目が真っ赤で、部屋の中なのに帽子をかぶったままでなんだか様子がおかしい。
しかし今は、それに気が付いてあげられる余裕がなくて、いきなり荷物をリュックに詰めだした。
「ウッジー、今日ね……」
「チャルカ、ごめんね。今ちょっと忙しくて。また後でね。」
と、いつものように軽くあしらう。
部屋の扉からノックの音がした。
「ウッジ、いる?」
シダーの声だった。
「はい。ちょっとまって、今すぐ……。じゃ、チャルカ、賢くしているんだよ。……。ヤーンさんの言うことをよく聞いて……」
「ウッジのばーか!ウッジなんて知ら無い!」
何を怒っているんだろう。チャルカがいきなり怒り出して、被っていた帽子をウッジに投げつけて、ベッドにもぐりこんでしまった。
「……じゃウチ、行くからね。おやすみ、チャルカ。」
これからの事を考えると、何とも言えない重い腰を上げてドアを開けた。
勢いよく飛び出さないと、チャルカのようにベッドにもぐりこんでしまいそうだった。
「遅くなってごめん、シダー。」
「いいの?チャルカにちゃんと、お別れしなくて。」
「いいよ。だって、あの子にとってウチはただの担当だったし。それに、これからはちゃんとパパとママができるんだし。」
「……そう。あなたがいいなら何も言わない。とりあえず、これ。」
とシダーが包みを一つ差し出してくれた。
「パンと水が入っているわ。一食分くらいにしかならないけど。あと、これ…」
差し出された封筒。中身は大体見なくてもわかる。
「こんなのもらえないよ。大切な院のお金だし、院長先生にも受け取れないって言っといてほしいな。」
「そんなに大した額じゃないの。本当にちょっとしか用意できなくてごめんね。……ずっと、あなたのことは本当の妹のように思ってきたし、長年一緒に暮らす家族なのに、こんな一大事にこれくらいのことしかできないなんて……」
シダーが優しいことはみんなが知っている。
みんなに優しいシダーだから、それが当たり前だと思っていた。
シダーがウチのことを家族だと思ってくれていたなんて思ってもいなかった。
「とにかく、これは私の気持ちでもあるの。持って行って。そして、ロード様に許しをもらって、ちゃんと帰ってくるのよ。」
そういうと、シダーはウッジの手に封筒を握らせた。
「……うん、ありがとう…これ、借りとくね、」
「さ、できるだけ早く出たほうがいいわ。」
「でも、ウチがいなかったら、院のみんなが困るんじゃない…?」
「大丈夫よ。院長がうまくやってくれるから。そんなことより、ロード様までの道、知っているわよね。黄色のレンガの道よ。間違えないでね。」
「うん。わかった。ちゃんと許してもらって……」
ぐっと拳を握った。
「帰ってくる」その一言が喉に何かが詰まったかのように発する事ができなかった。
「私はまだ子供たちが寝るまで仕事があるから、見送りができないけど……元気でね。ずっと待っているから。ロード様にもウッジが毎日元気でいるようにお祈りするから。」
「シダーそれは駄目だよ、だってウチ、ロード様に許してもらいに行くのに」
と言って、少し口角を上げる。
「あはは…そうだったわね、」
シダーも少し柔らかい表情になった。
「じゃ、毎日、ウッジを許してくださいってお願いするわね。」
「うん、ありがとう。じゃ、そろそろ行くね。」
それから鶏舎の裏から森へ抜けて、黄色いレンガの道を目指して
とりあえず、そこまで出たら何かいい策でも見つかるかもしれない。
もっと都会まで出たら、何かが変わるのかもしれない。
歩きながら、ふとチャルカのことを思い出した。
また、ここに隙間風が入っていくる。
ロード様のところへ行けば、この隙間だってもしかしたら埋まるのかもしれない。
行くべき場所にさえ行けば……
時折遠くで、
これからの事を考えると不安で仕方ないので、あまり考えないように。
いつも感じている胸のがらんどうが、今日は何処までも引き摺り込もうとする底無し沼のようだった。
とりあえず日の出まで歩いた頃、休憩するのにちょうど良さそうな泉があったので、一休みすることにした。
ラズベリーフィールズに来てから、町の外に出る用事なんてなかったし、こんな場所に泉があるなんてことも知らなかった。
悪ガキ連中とつるんでいたら、ここまで探検もしたかもしれないが、ウッジは極力そういう付き合いを避けてきたので、そんな経験もなかった。
もしかしたら、町から追手が来るかもしれない。
簡単には見つからないような場所で少し眠りたい。
見渡すと、倉庫だろうか。小さな崩れかかった汚い小屋があったので、覗いてみた。
炭焼き小屋なんだろうか。すぐ横に煤けた窯が一個。しかしそれもレンガが崩れてしまっていて、使われていない様子だった。
泉側の壁も派手に崩れ落ちている。
今は使われていない炭焼き小屋だろう。ここだったら、夜露と人目は避けることができそうだ。
「お邪魔します……」
昼くらいまで休ませてもらおう。
普段、薪を集めて森と広場を何往復もしていたので、体力には自信はあったのだが、昨日のあの神秘体験からずっと神経をすり減らされる事の連続と、一晩中歩いたことで思っていた以上に体と心は疲労しているようだった。
もう何年も使っていなさそうな片足の壊れた籐で編んだ揺り椅子に腰を掛けたら最後、意識を吸い取られるように眠りについた。
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