5話 ラズベリーフィールズ 2/3
「さてと。」
誰も聞いていないが、勢いをつけて自分とチャルカの食器をもってキッチンへ行く。
みんなが食べた後の食器がシンクに浸けられていて、それをカチャカチャと少し寂しい音を立てながら洗い、テーブルを布巾で拭いて床の食べこぼしを掃除して、もう一度清潔な布巾でテーブルを拭いて回る。
キッチンも週に一度、すすを払ったり
それが日曜日のウッジの自分で決めた仕事だった。
手を動かしながら、考えるともなく考え出してしまう。
チャルカを迎えに来たヤーンさんというのは、街でテーラーをやっているご夫婦なのだ。
テーラーと言っても、そんな高級なものはそうそう需要が無いので、洋服の修繕などを主にしている。
それでも腕の良い職人さんなのか、
チャルカは、奉仕の日をテーラーで過ごしていた。
きっと、ヤーンご夫妻に子供がいないので、院から誰か養子に入れようと思っているのだろう。
前に見かけたことがあったチャルカを、手伝いによこしてくれないか要望したのだと思う。
院も
チャルカは自分が養子縁組される準備期間としてテーラーに行っているとも知らないまま(言っても分からないも知れないが)機嫌よく奉仕の日はテーラーに通っているのだった。
まぁ、チャルカはまだ5才とはいえ、とても整った容姿の女の子なので、大きくなったらとても美しい女性になるだろう。
そんなチャルカがテーラーで作った洋服を着て歩いたら、それだけでテーラーの宣伝になるのは容易に想像がつく。
自分の娘が広告塔になってくれるなんて、こんなに都合の良い事は無い。
…………。
そういう、いらない詮索してしまうのは、自分の心に汚れたところがあるからだ……。
そう思うのは、自分にもそういう心があるから。
実際、ヤーンご夫妻はとても優しく威張った所など全く無い、立派なご夫婦だった。
チャルカはヤーンご夫妻のところへ養子に行ったらきっと幸せになるだろう。
なんだか、これ以上は考えたくない。
五徳も洗い終えて、フキンの上に立てかけて、今日のささやかな居候の罪滅ぼしというか、埋め合わせの仕事はおしまい。
背伸びを一つした。
考え事もしたくない気分だし、街に出でてフラフラしようかなぁ。
部屋に閉じこもっていたら、嫌な考えばかりを堂々巡りしそうだった。
孤児院と言っても、すずめの涙程度のお小遣いは貰っている。
はじめは嬉しかったが、この居候の身分となっては罪悪感しかない。
院長先生はとても慈悲深い方で「あなたはまだ道が決まっていないのならラズベリーフィールズの子なのですから、その間は貰っておきなさい」と言ってくださる。
なので極力使わないで貯めて、最後にちゃんと返そうと思っているのだった。
そんな大切なお金なのだが、最近欲しいものがあった。
斧だ。
ここ数ヶ月、時々森に立ち枯れ木が見つかるのだ。
今までそんなことはほとんど無かったのに。
立ち枯れした木は倒壊する危険があるので撤去する意味と、まだ生きている木よりも伐(き)りやすいのでは? と思い、薪として利用したかった。
たくさん薪が出来たらみんな喜ぶだろうし、なにより毎回ウッジの薪をあてにしている、キエト夫妻のお宅に備蓄も用意してあげられるかもしれない。
キエト夫妻は高齢で森まで薪を採りに行く事が困難で、街の人たちも気にかけているが、薪を買っている人も多い中、キエト夫妻までなかなか手が回らないのが現状のようだった。
なのでウッジが薪を森から持ってくる土曜日は、とても喜んでもらえたのだった。
ウッジもそれが分かっていたから、いつもキエト夫妻の分は薪を別でとっておいた。
街の道具屋は数軒あるものの、そんなところで新品の斧を買えるお金は持っていない。
だが昨日、中古の斧が売りに出されていたのを見かけたのだ。
マシュー商店の店先だった。
マシュー商店は、街で捨てられた傘や包丁や鍋などを修理して売っている店だ。
それがまだ残っていたら良いのだけど。
とりあえず外出を決意したウッジは、大切に貯めてきたお金をポケットに詰め込みマシュー商店まで行ってみることにした。
「おや、珍しい。森の子だね。なんだっけか、薪を毎週持ってきている偏屈な……じゃなかった、失敬、失敬。なんだ、その子だろ?」
店主のマシューは、デリカシーにかけることで有名なので、さっと買って帰りたい。
「……そうです。昨日店先に立てかけてあった斧がいただきたいのですが、おいくらですか?」
「お、商売始めるのかね?」
「いえ、そういうわけじゃないんですけど……」
「違うのかね。じゃぁ残念だが、売れないなぁ。斧は代々、木こりをやっている家か、商売をはじめるのに役所で許された奴にしか売れないんだわ。まぁ、値段は15000マールなんだけどな。」
……そうですか、……それは知らなかったです、」
そりゃそうだよね……。それに思っていたよりもかなり高い。
「それに女の子にゃ、あんな大きな斧は振れんわな。まぁ、そんなに落ち込むこたぁない。ほれ、そっちにある薪割り斧だったら、売っても良い斧だぞ。」
とマシューの割れたアゴがくいっと指した先に目をやった。
片歯の黒ヘッドで80センチほどの柄の長さ。
自分が使うには丁度良さそうな斧だった。
買おうと思っていた斧よりもずいぶん小さいものの、立ち枯れの木を伐採するくらいなら充分かもしれない大きさだった。
言われてみればあんな大きな斧は振り回せるはずも無い。
「それだったら、3000マールでいいぞ。」
「本当ですか!それなら買える! あの斧、売ってください!」
持ってみると、2キデくらいの重さだろうか。見た目よりもずっしりと重かった。
うん、ギリギリ持って歩ける重さかもしれない。薪も持って歩かないといけないし。
「毎度あり。時々は、道具の手入れをしに持って来るんだぞ。安くしといてやるから。」
「はい、そうします。ありがとうございました。」
「伐採しちゃいけない木も有るから気をつけんだぞ。」
マシューが最後にそう言って送り出したものの、ウッジは肩に担いだ所有欲を満たす重みに気持ちがいっぱいで、耳に届いていなかったかもしれない。
とりあえず、あの木を試しに
使い心地を試すのに丁度良さそうな立ち枯れした木に心当たりがあった。
そんなに太くも無く背の高さも高過ぎない。お誂(あつら)え向きだった。
伐ったら、キエト夫妻のお家に持って行ってあげよう。
そう思うだけで、ちょっとウキウキした。
噴水広場を通って路地を抜けて、壁を乗り越えたら森までの近道だった。
広場の周りが街の一等地なのだが、ヤーン夫妻のテーラーもそこに面している。
店先が見えるくらいまでやってくると、店の前で見慣れない綺麗な洋服を着たチャルカが夫妻と、何かもめている様な雰囲気がうかがえた。
見つかっても都合悪くは無いのだが、なんだか胸の中がモヤモヤして広場の反対側に回って、見つからないように森に抜けた。
なんだったんだろう。
チャルカは帽子を押さえていた。
まぁ、いい。ウチの知ったことではない。チャルカはヤーンさんの娘になるのだから。
ウチに少しでも優しさがあったら、チャルカのところへ駆け寄って、間に割って入ったのだろうか。
まさか虐待されるている訳でもないだろうし、叱られていたとしても、それは
まただ。
また、ココがぽっかり開いている。隙間風が寒くも無いのに入ってくる。
私の体の中は、人並みには詰まっていないのだろうか。
ウッジは拳を作って、胸を強く叩いた。
「うっ……」
カランと頭の中で音がした。
そうこう考えているうちに、お目当ての立ち枯れの木まで来ていた。
何も考える事も無く、ただこの木を倒したい。
ウッジは買ってきたばかりのまだ手に馴染まないそれを、がむしゃらに木に叩き付けた。
何度目かの打点で木がこちらに倒れてくる。
慌てて飛びのいて尻もちをついた。
「痛っ……」
地面で擦った手のひらが痛い。
知らない間に、手にマメが出来て潰れてそこへ土がついてヒリヒリと痛かった。
ボロボロになった手のひらから土を払って、もう一度見つめると、ウッジが知っている言葉では説明できない感情に襲われて、訳も分からず泣き出してしまった。
大きな声で。
こんな日曜日の森の中。誰も見ていない…はずだった。
いくらか泣いて、顔を上げると切った木の切り株の上に、小さな光が浮いているのに気がついた。
びっくりしたウッジは、泣いていたのも忘れて、光から目が離せず見ているとブワッと光が人位の大きさになった。大きさというよりも、人の形そのものだ。
この人知っている……
光の人は目を瞑って涙を流していたが、やがて目を開いた。
目が合ってしまったウッジは恐ろしくなって、逃げ出してしまった。
通いなれたラズベリーフィールズまでの道なのに、まるで夢の中で走っているように足が重たかった。
知らない道を延々と走らされているような感じだった。
なんとか孤児院に着いたウッジは慌てて、礼拝室へ入りドアを閉めた。
恐る恐る壁にかかった絵を見上げる。
(さっきの人と同じ顔…やはりあれはロード様…?)
何をどうすればこの事態を説明して心を落ち着かせる事が出来るのか、この事態があの場所を離れたことで
そうしているうちに、家畜の世話の時間になったのか、院児たちが鶏舎などに集まっている気配が外でした。
とりあえずウッジも新しい
その日の夕食が終わってもチャルカは帰ってこなかった。
そのかわり夕食の片付けの後、院長室行くようにグラス先生が言いに来た。
とうとう、この日がやってきたか……と、チャルカの座っていない席を見て、ウッジはまた自分に平静を飲み込ませた。
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