2話 秘密の書庫の秘密 2/3
あれから、どれくらい気を失っていただろう。
朝日に照らされて目覚めるようなそんな、爽やかな気分でメイシアは目覚めた。
「ん……ふぁ~」
(あぁ、そっか。この絵の前という事は……アレは夢ではなく現実に起こったことなんだ……)
自分がいくら家の手伝いを怠けるような子だったとしても、緊急事態で無い限りこんなところへ足を踏み入れるわけがない。
(そうだ、ロード様の目……)
と、恐る恐る顔を上げてロードの顔を見てみる。
ロードは目を閉じて祈りをささげていた。
(私の見まちがいか……そうだよね。)
ホッとしたらお腹が減ってくる。
きっと良く寝たのだろう。
どれくらい寝たのか定かではないが、仮に一晩寝たとしても一昨日の三時のおやつから何も食べていない事になる。
こんな時によくお腹が減るもんだ、と思うもののどんな時でもお腹は減るものだ。
それとも、この光には癒しの効果があるのだろうか。ただ単に良く眠ったから?そんな事を考えながら、持ってきた堅パンとマーマレードをここで食べる事にした。
こんな聖域と言ってもいい場所で、食べ物を広げているのを牧師さまに見つかったら、どんな叱られ方をするか想像に硬いが、一晩しかもたない
お腹を満たすには、まず書庫の入り口付近に置いてきた食べ物を取りに行かないといけない。
10番の棚から外れると、違う部屋にでも来たかのように暗くなる。
一度は体験したものの、不思議さは変わらない。
少し暗闇に目を凝らす。数秒。暗闇に目が慣れると、書庫の入り口に仄かな明るさを感じた。やはり外は昼間で、扉の穴から少しの光が入ってきているのだろう。
書棚に手を添えながら、メイシアはほの明るい方へ向った。
(あれ?なんか大きな影が動いたような……)
仄かな明かりが大きな影で時々途切れる。
(牧師様かもしれない!牧師様じゃなくても、村の生き残りかもしれない!)
「牧師様?!」
なんの返事もない。
「……誰?誰かいるの?」
影が動いて、慌てて外に出ようとしているのが分かった。
「待って!私はシスター見習いのメイシアです。あなたはカップ村の人?何か知っている?外で何があったの?」
外向けにはシスター見習いという事になっているから、そう言うしかないのだけど、口に出すと馴染まない。本当は歌を歌う人になりたいのだけど……と、こんな状況下ですら心の中で付け加えてしまう。
影の主はそんなことを知る由もないだろう。
動きが一瞬止まって、おずおずとこちらを振り返る……ように見えた。
振り返られても顔は分からず、ドキドキが増す。
「……ご、ごめんなさい……オラ、何も知らなくて……」
聞き覚えの無い声だった。
「……女の子?」
落胆と喜びと混じった何とも言えない気持ちだった。
知り合いだったらどれだけ良かったか。しかし、一人で居る事のどれだけ心細い事か。
まず、女の子が村をあんな状態にした犯人とも考えにくい。心細さだけはこれで解消される。
とっさにそこまで考えて、声の主のところまで駆け寄った。
「……失礼な事を聞くかもしれないのだけど許してね。ここは暗くて全くあなたの顔が見えなくて。あなたは誰ですか?」
「オラは……あの……、北の集落からやってきた旅の者です……」
「旅の途中に、その…巻き込まれたの?」
「いえ、ここが目的地だったのですが、今朝着いたらあんな状態で……。
オラ、この教会は無償で勉強を教えてくれるって聞いて、村を出てやってきたんです。
とりあえずどこかに隠れて、今後どうするか考えようと茂みに入ったら、ここを見つけて……誰かが居るなんて思わなかったので、ごめんなさい、」
とても不安そうで細い声だった。嘘を言っている様には聞こえなかった。
「……。いいわ。とりあえず、私も一人なの。ここじゃ顔も見えないから、奥に行きましょう。奥は明るいの。……と、その前にこれこれ。」
と、バスケットに入れたあった堅パンとマーマレードを持った。
「ちょっと奥に行くまで暗いけど、何とかついてきてね。」
振り返ると相変わらず、落とし穴があったとしてもわからないくらい真っ暗。何処まで続くの分からない暗闇のほうへ歩き出した。
「書棚に手を添えて歩くと、まっすぐ歩けるわよ」
少女は頷いたのかもしれないが、何も言わず、そのままついてきている事は気配で分かった。
突然視界が真っ白になって、網膜がじゅわっとする。
10番の棚より奥の領域に入ったのだ。
今の自分の心の中のような暗く、いつまで続くか分からないトンネルから、急に世界が開けた。そんな感覚だった。
「さ、ついたわよ。」
数歩後れて入ってきた少女は、驚きのあまり分かりやすく息を吸い込んだ。
目を丸くしている気配を感じながら、メイシアが振り向くと、声から想像するよりも背の高い、ヒョロっとか細い女性だった。
見たこともない出で立ちだった。
青いチュニック。
立て襟になっているので寒い所からやってきたのだろうか?切れ込みの入った襟ぐりから肩にかけて、赤を基調にした直線的な刺繍が帯状に施してある。
同じ刺繍がチュニックの裾と太めのベルトにもあった。
ズボンは元は黒だったのだろうがくすんでグレーっぽい色になっていた。
それに毛皮が履き口に付いたブーツを履いていた。
髪は柔らかそうなくせっ毛の赤毛で左サイドでポニーテールにしている。
そして、ものすごく大きなリュックを背負っていた。
「驚いたでしょ。私もよ。……とりあえず奥に行きましょう。お腹すいていない?少しだけだけど、パンとジャムがあるのよ。一緒に食べましょう。」
と、一番の棚の前まで誘導した。
「とりあえず、その大きな荷物をおろして。重たいでしょう?」
本当は村の人間でない人をここまで入れることは、村の
とりあえず床に直に座り、バスケットの中身を確認する。
(……いつもの、堅パンだ。)
あんまり好きではなかった堅パンだが、こんな異常事態にまみれると日常の匂いがするものに触れるだけで、懐かしく暖かい気持ちになった。
「椅子はないから仕方ないのだけど……座って。これ食べましょう。」
促されると、所在なさそうに女性は腰を下ろした。
メイシアも腰を下ろして、マーマレードの瓶を開けた。
ふわっと太陽のにおいがした。
「こんなものしかなくて、ごめんなさい。教会のパントリーに行って探したらもう少しまマシ物があるのかもしれないけれど、これくらいしか持って来ることが出来なかったの……」
「……いいぇ、十分です。分けていただくなんて、申し訳ないです……。オラ、お水とトーヴァだけ少し持っているので、それも食べてください。」
「トーヴァ?」
「この村では食べないのですか?オラの村ではよく食べるんだけど……。魚の皮を干したものです。」
「この村にはそれは無いわね。でも、ありがとう。トーヴァも頂くわ。あと、喉がカラカラなの。」
そういうと、女性の顔がちょっと柔らかくなった。
「ちゃんと自己紹介しなくちゃね。私はこの村に住んでいるメイシア・フーリーよ。教会のお手伝いを時々していて……一応シスターを目指していたのだけれど……あんまり、優等生じゃないわね、」といって、少し笑ってみせた。
女性も少しつられてにっこりする。
「じゃぁ、オラの先輩ですね。オラは住み込みで、この教会の仕事をさせてもらいながら勉強をさせてもらおうと直談判しに来たんです。……もうその夢もなくなりましたが、」
そういうと目線を落とした。
「……まぁとりあえず、これ食べて。」
咄嗟にバスケットからパンを取り出し、半分にちぎって差し出した。
「マーマレードもいっぱい付けてね。太陽の味がして元気が出るわよ」と。
人の事を励ましている場合ではないのだ。
でもこの女性の顔を見ていると自分がしっかりしないといけないと思えた。
「いただきます。……美味しい。オラの村ではこんな華やかな味のジャムは無かったです。」
本当にその通りだ。
マーマレードの甘酸っぱくて、少しほろ苦い味が、太陽のエネルギーを食べているような気がして、いつもよりも美味しく感じられた。元気を補充しているような、こんな感覚だった。
「オラ、ストローといいます。ストロー・プリセズ。15才です。」
ポツポツとストローは自分の身の上を話し始めた。
「オラの村は名前も地図に載っていないような小さな集落です。なので、みんなとても貧乏で、どの家庭も日々暮らしていくのがやっとで……。でも街との交流もほとんどないような田舎なので、村の人たちは時々はお金に困るものの、そこまで苦には思わずにすごしてきたのですが、最近作物が育たなかったり魚が捕れなくなる事が続いて……。
オッカァが貧乏から脱却して村や家族を救うには勉強しかないと言っていて、旅の方にカップ村の教会なら、勉強をタダで教えてくれるかもしれないと聞き、旅立つ決心をしてやってきたのです。
……本当はここで勉強して、次は街で勉強して、ゆくゆくはロード様のところで村のために何か出来るような、そんな職に就きたいと…叶うはずもない夢を思い描いていました……」
とても落胆した様子だった。
「……そう」
いつものメイシアなら、適当に「なんとかなるわよ、きっと叶うわ」などと返すのだが、今の自分の置かれている状況はかなり厳しいもので、軽々しく口にする事が出来ない。ストローの話に相づちをうつのが精一杯だった。
同時にストローの、未来を決める決断と行動力がすごいと思った。
メイシアは、歌を歌う仕事がしたい。
でも、そんな事こんな田舎で口に出せない。
村という揺りかごが心地いい事もあるが、何よりこの村と村の人が好きだった。
ゆえに、それ自体を理由にして村の外に出るという選択肢をうやむやにしていた。
一番良いのは、何かに自分が求められて村の外に出て、歌を歌う状況下に落ち着くという事だったが、そんなこと万が一にも起こるはずがなく、そのことはメイシア本人もよくわかっていた。
なので純粋に歌が歌いたいが、村で人前で歌を歌うとなると讃美歌くらいしかない。
妥協と折り合いの結果、生温い流れに流し流されてシスター見習いという着地点に甘んじていた。
そんなメイシアにとって、ストローの行動力が眩しすぎて、比べようのない事なのに、どこからともなくやって来そうな惨めな気持を、無視する事で精一杯だった。
「メイシアさんは…」
「メイシアで良いわ。だって、私ストローさんより年下だもの。」
「え、でも先輩になるはずだった人だし……」
「でも、もう教会もなくなったしね……」
と何げなく言ったその言葉が、急に心に響いた。
もう教会はなくなったんだ。お母さんもお父さんにも一生会えなくなったのかも知れない。
あんなに良くして下さった牧師様にも。
あの川で水遊びをする事も無いのかもしれない。
出来たとしても、もうあの時のように何も背負わず一から十まで全部楽しいなんて、気分では遊べないだろう。
大好きだった教会の鐘の音を聞く事も無い出来ない。
一番低い音が出なくなっていた粗末なオルガンの音で歌う事も無い。
物心ついた時からメイシアは歌うことが大好きで教会で村の子供たちとよく歌っていた。
ある日、牧師様がみんなにメイシアのように歌うと上手に歌えると、お手本のように褒めてくれた。
それがとても嬉しくて誇らしくて、より一層歌うことが大好きになったのだ。
それから教会へ毎日通い、手伝いをするようになっていった。なのに歌を褒めてくれた牧師様ももういない。
お母さん……お手洗いで紙がなくなって、補充しないでそのままにしていて叱られる事ももう無い。
お父さんの何度も繰り返される
10才の誕生日の夜、お母さんが今までで一番大きなケーキを焼いてくれた。
嬉しくて半分も食べたら気分が悪くなって、10才になって早々叱られてしまった。
6才の夏、お父さんが蛍を捕まえてきてくれた。
夜は外に出ることはできなかったので、初めて見る光が珍しくて嬉しくて、蛍を捕まえてくれたお父さんが誇らしかった。
毎朝、ほとんど黒に近いマロンブラウンの髪をポニーテールに結ってくれたお母さん。
森に出かけたら、イタドリの茎を「これ食べられるよ」と採ってくれたお父さん。
全部もう二度と手に入らない「ありふれていた日常」。
一瞬にして、当たり前だった日々がどれだけ幸せで、もう二度と同じものは手に入らないと理解して涙が止まらなくなった。
ストローが黙ったまま、頭を何度も撫でてくれた。
その手が優しくて、余計に心が痛くなる。
でも、その手のぬくもりだけが、メイシアの心のよりどころだった。
しばらくして、ストローが優しく話しかけた。
「じゃ、こうしよう。オラもメイシアって呼ぶ。だから、メイシアもオラの事ストローって呼んで。」
メイシアは、言葉に出さず頷いた。
「マーマレード美味しいな。もっと食べて良い?メイシアももっと食べたほうが良いよ。元気の味でしょ。」
「……うん。」
そういって、二人で粗末な食事を済ませた。
トーヴァという食べ物は食べた事が無かったが、良く似た乾物はいつか食べたような気がして、嫌いな味ではなかった。
塩味で喉が渇いたのか、泣きすぎて喉が渇いたのか……水も分けてもらって、ぐぐっと飲んだら、なんだから体全体がホッとした。
よく考えるとずっと何も飲んでいなかったのだから、本当に生き返ったようだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます