因果応報の天狗祭
七星
前
太鼓囃子の音が鳴り響く。
暗闇のなかにぽっかりと浮かぶ灯篭に導かれ、大きな神輿が進んでいく。神輿を運ぶ男たちは無言だが、その脇を進む巫女服の女性たちは
だが違和感が消えることはない。
男たちからは表情が抜け落ちていた。ただ神輿を運ぶ傀儡と化しているような動きで、黙々と歩を進めていく。ここが軍隊ならよほど似合っただろう。
そして囃子の音はどう考えても不協和音に近いものだった。短調も長調もめちゃくちゃで、ゆったりした四拍子がいきなりアップテンポな三拍子に変わり、かと思えば二拍子なんだか二・五拍子なんだかよく分からない調子に移っていく。もう安寧とは程遠く、そこまで聞いたところで
なるほど、確かにこれは奇祭らしい。
***
東北の奥地に妙な奇祭を開催する村があるらしい、と言ったのは、紫乃の先輩である
紫乃は胡乱げに本を閉じて辰巳を見やる。
「……はあ、奇祭ですか」
「なんだ、その興味なさそうな視線と声は」
「興味無いですからね」
「なるほど。正直でよろしい。まあ興味がなくても連れていくが」
普段から傍若無人なこの男は、爽やかとは程遠い悪役じみた笑顔でそう言った。紫乃は大きく嘆息してふっと視線を逸らし──瞬間、バッグを引っ掴んで椅子を飛び越え、一気にドアへと走りよる。女子らしからぬ行為だが、辰巳の前でそんな気遣いは無用だ。油断して彼に人間らしからぬ行為をさせられるよりマシである。
しかし、彼女の目論見はそこであえなく水泡に帰した。
思いっきりドアノブを捻ったが、扉が開くことはなかったのだった。忌まわしい金属音に、紫乃は愕然として振り返る。
「内鍵つけたんですか!?」
「お前が逃げるからだろう」
「先輩が捕まえるからじゃないですか!」
憤然と抗議する。大学の所有する部屋に一体何をしているのだ。
紫乃はゆっくりと自分の方へ近づいてくる男を見た。割と背が高い紫乃でも見上げるほどの身長と、目つきの悪さを上手く隠している長めの髪。背筋がしゃんと伸びているからか軽薄な印象は受けず、好きな人は好きだろうな、といった見た目だ。
辰巳は罠にはまって逃げられない羊を愛おしそうに見つめ、節くれだった手でぐるりと紫乃の手首を覆った。
「行くぞ。既にグリーン席を取ってある」
流れるように差し出されたのは新幹線のチケットだった。手首を掴む腕の、有無を言わさぬ力加減に、紫乃は目を見張る。
「今から行くんですか……!?」
「人間は学習する生き物だろう、紫乃」
そう言って、辰巳はうっそりと微笑んだ。
「なんとか逃げようとして、すんでのところで俺が捕まえる、という事態が三度ほど続いていたからな。そろそろお前が、あの手この手を使って逃げようとする時期だろうなと思っていた……逃げ道を塞いでおくのは当たり前だろう」
インフラは心配しなくていい、と言われ、紫乃は久しぶりに頭が痛くなるほどの目眩を覚えた。
***
いくら三時間あまりで着くとはいえ、出発時にはもう十五時を回っていたので、どう考えてもその東北の僻地に泊まることになるのは確定だった。そして、辰巳という男はここでも計算ずくなのである。
「突然申し訳ありません。急に雨に降られまして、道にも迷ってしまい、どうにか一晩だけでも泊めていただけないかと……」
ゆっくりと丁寧に頭を下げ、殊勝なことをのたまう辰巳を、紫乃は白い目で見つめていた。二人とも濡れ鼠なのは、ここに来るまでに本当に急な豪雨にさらされたからだ。しかし当然、その家の細君は困ったような顔で頬に手を当てる。
「あ、ええと、どうしましょう……」
それはそうなるだろうな、と紫乃が思ったとき、奥からのっそりと初老の男性が現れた。紫乃と辰巳を見つけた瞬間、怪訝そうに眉をひそめる。
「誰だ、こんなときに」
「ああ、あなた」
どうやらこの家の主人のようで、二人を見るなり男の厳格な顔にしわが寄った。
「おい、家には誰も入れるなと言っただろう。こんな得体の知れない輩を通しおって……それに、今は梢のこともあるというのに」
「ああ、名乗りもせず申し訳ありません」
普段絶対に見せないであろうにこやかな微笑みを浮かべて、辰巳が頭を下げる。慇懃無礼とはこういうことをいうのだろうな、と紫乃は思った。彼の一挙一動には他人を凍らせる要素がひそんでいる。
「私の名前は鞍馬辰巳と申します。地名の鞍馬に、辰年と巳年を合わせて辰巳と書きます」
辰巳の瞳が意味深に光る。
「どうぞ、お見知り置きを」
すらすらと並べたてられた口上に、二人の目が大きく見開かれた。
「……お前、お前今、なんと……?」
「鞍馬と言いました。ご主人。私の姓は鞍馬です」
回りくどい応酬などせず、ぎょっとするくらいの速さで言ってうっそりと微笑む。ああ、いつもの先輩だ、と嘆息した紫乃の向かいで、初老の男性が小さく舌打ちをした。
呻いて何度か頭を振り、絞り出すように呟く。
「いや、駄目だ。どこの馬の骨とも知らんやつに敷居を跨がせるなど……」
「お客人かい、父さん?」
そのときだった。すうっと、奥の間から出てきた影があった。誰もが一拍対応に遅れる。それほどに、気配もなかった。
紫乃は目を見張る。その人は、目もくらむほど眩しい白無垢姿だったのだ。
「梢……! お前、準備をしていろと言っただろう!」
体が震えるような怒号にも何処吹く風で、彼女はひょいっと肩をすくめる。
「もう終わったよ。父さんの声はよく通るからね、気になってしまって。それに……」
美しい瞳がつい、と紫乃たちを見る。
「さっきは本当に酷い雨だったからね……二人ともずぶ濡れだ。泊めてあげなよ、父さん。鞍馬の姓を持つなんて縁起がいいじゃないか。私は構わないから」
彼女は眼力があった。大きく吸い込まれそうな瞳を見て、男性は気圧されたように口を噤む。
渋面を隠そうともせず、舌打ちをした。
「……勝手にしろ」
「だってさ、お客人。さ、客間に案内するよ。二階だからね」
彼女は美しく微笑んで、紫乃の腕を引いた。女性が慌てて声をかける。
「こ、梢! あなたは部屋で大人しく……」
「これくらいやらせてほしいんだ、母さん。もうすぐいなくなるんだから」
女性はぐっと息を詰まらせる。何が何だか分からない紫乃は困惑していた。この女性はなぜ白無垢を着ているのか、辰巳の姓が一体なんだというのか。
「さ、ついてきて」
しかし、彼女の声は有無を言わさぬ響きがある。言われるがままに二階へ通されたところで、彼女は困ったように苦笑した。
「私はこの家の娘だ。名を梢という。両親がすまないことをしたね」
「え、あ、いえ、それは大丈夫ですが……」
これはどういうことなのか、救いを求めて辰巳を見る。彼はタオルでガシガシと頭を拭いていたが、紫乃の視線に気づくと、相変わらずの意地の悪い笑みのままですっと口を開いた。
「この村にはな、紫乃。天狗が出るんだよ」
「天狗?」
「そう。数年に一度、天狗が現れ、この村から一人巫女が選ばれる。その巫女というのが、おそらく彼女だ」
白無垢姿の女性を見る。彼女は驚いたように目を見張った。
「驚いた。お客人、なんにも知らずにここに来たわけじゃないみたいだね」
怒るかと思いきや、梢は楽しそうに笑った。
「鞍馬辰巳さん……といったかな。面白い人だ」
「それは光栄だ」
おどけるような素振りに呆れる紫乃にも、梢は同様に呼びかけた。
「あなたは……紫乃さん、といったかな。あなたの姓も鞍馬なのかい?」
紫乃はぎょっとしてむせかけた。
「ちが……ただの後輩です!」
冗談じゃない。辰巳と同じ姓など、全くの偶然でもごめんである。
「私の名字は蓮見です。鞍馬という名字の人とは絶対に結婚しないと決めています」
「なんだか伏線でも張っているようだね」
さらりと言われて絶句した。やめてほしい。洒落にならない。
梢はひとしきり笑うと優しい瞳になった。
「ここに人が来たのは久しぶりだ。鞍馬さんはその様子だと知っているようだけれど、儀式の間は他人は家に入れない決まりになっているからね。だが、あなたは天狗と縁がある姓を持つようだから」
にこりと微笑む彼女の言葉に、紫乃は気づく。
鞍馬……そして天狗といえば、それは鞍馬天狗のことだろうか。辰巳に連れ回される間に増えてしまった知識をさらう。牛若丸に剣技を教えたという伝説上の天狗。それと姓が同じだから、この家に入れてもらえたのか。
呆れはしたが、驚きはしなかった。辰巳という男の悪運は人一倍強いのである。
「さて……今日は儀式の日だけれど、儀式のことは知っている?」
「いいや、そこまでは」
「なら、まだ少し時間もあるし、説明しておこう」
こくりと頷き、彼女は話し始めた。
曰く、この村では十数年に一度、天狗が現れることがあるらしい。不思議なことに、天狗はこの村の人間の形を取って現れ、入れ替わりのようにその人間は死んでしまうのだという。そして天狗は一人の少女を選び、その少女は巫女として、とある儀式を行う必要があるのだそうだ。
「儀式?」
紫乃が問いかけると、梢はしかつめらしく頷く。
「天狗にこの身を捧げるんだ。私が生娘で良かった。でないと天狗はお怒りになる」
ぴしっと固まってしまった紫乃を楽しそうに見つめて、辰巳が口を開く。
「天狗の、花嫁ということか」
「まあ、そんなようなものだね」
うっすらと微笑む彼女の目に、一瞬だけ闇が走る。紫乃はぴくりと眉を震わせた。
梢は白い指をすっと窓の向こうに向ける。
「七日七晩、あの山の上の神社でひとりきりで過ごすんだ。とはいえ、数時間いるだけだけれど。そうして七日目の夜に、天狗に純潔を捧げる。そうすればこの村は次の天狗が生まれるまで安泰なんだ」
滑らかな肌が白無垢の袖から見える。張りのある美しい手足、一切荒れていない綺麗な顔。あまりに完成されすぎていて、どこかちぐはぐな印象を受けた。
「儀式中は誰であろうと家の外には出てはいけないことになっているけれど、窓から神輿くらいは見えるだろう。良かったら見ていてくれ」
「はい」
「ああ」
二人同時に頷くと、彼女は美しい肢体を優雅に動かしてその場を去っていった。甘やかな花の香りが鼻腔をくすぐった。
彼女が去って気配もしなくなってから、紫乃は口を開く。
「……異様ですね」
どう見ても成人を少し超えたばかりの女性を、一人で神社に置き去りにするなど……
「まあ、奇祭だからな」
至極当然といった態度だった。思わず呆れてため息をついたとき、どおんと音がした。太鼓の音によく似たそれに導かれ、二人は同時に窓の外をのぞき込む。
外には眩い女性がいた。見覚えのない面をつけているが、白無垢ということは梢だろう。
奇妙な面だった。能面とも天狗とも違う。強いて言うなら狐だが、それとも微妙に異なる、形容しがたい不気味な面だ。彼女はゆっくりと神輿に乗り込み、綺麗な姿勢でそこに座る。その瞬間、再び鳴り響く太鼓の音。鈴の音、笛の音、人の歌声。
「へえ、綺麗な
辰巳がぽつりと呟いた。
「
「あの神輿だ。正確には神輿の原型だな。花嫁を乗せて花婿の元へ運ぶために昔用いられたものだ」
説明を聞きながら紫乃は下をのぞき込む。確かに、神輿ならば人間が乗るようなスペースはないだろう。あれは輦輿というらしい。
太鼓囃子の音が響く。祝詞を歌う女性たちは皆、梢と同じ奇妙な面を付けている。どおんどおんと太鼓が響いて紫乃は体を震わせる。響く曲には不可思議なほどに音の調和がなかった。なのにぎりぎりのところで歌として成立していた。
全てが不気味だった。あの中で梢だけが人間だ。背は凛と伸びていて悲壮感のかけらもない。
「……異様ですね」
「まあ、奇祭だからな」
図らずもさっきと同じ会話になってしまい、馬鹿にされているような気さえする。しかし、辰巳のぎらりと光る瞳を見て、紫乃はふいと視線を逸らした。時たま辰巳が人間ではない別の生き物のように見えてしまうときがあるから、そこから目を背ける癖がついてしまっている。
どこまでも異常に包まれた雰囲気の中で、一人だけ黎明のような強さを放つ女性が遠ざかっていく。紫乃はその様子をじっと見つめ続けていた。
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