ウミガラスの福音書

文化振興社

第1話 邂逅 その①

ウミガラスの福音書 第一話 邂逅


 薄暗がりの中、ハンス・ヴァルター・ヨアヒムは目の前の光景にデジャヴを感じながら、深いため息をついた。


 いや、実際彼は時間や場所が異なるというだけで、何度も同じ光景を目撃していた。最初に出くわしたときはコクピットの中で震えているしかなかったが、今は状況を整理しながら戦闘糧食を食べる余裕さえある。


 どこかで戦っているのだろう、新米パイロットの悲鳴がヘルメットに木霊する。が、弾薬の尽きたハンスにはただ祈る事しか出来ない。機上レーダーの捜索範囲を広げる。いたいた、どうやら二機に追い回されているようだ。


 その回避起動は逃げるのに精一杯と言った有り様で、そうこうしている間にも撃墜されたらしい、さっきまで元気に飛び回っていた反応が一つ、消えた。

 

 チッと舌打ちすると、ハンスはレーダーの捜索範囲を広げた。敵も引き上げるらしい、動態反応は戦闘宙域から離脱していって、今では数えるほどしかいない。周囲に漂っているのは敵味方の艦艇の残骸とデブリ、そして自分と同じ航宙機の生き残りだ。ハンスはレーダーの画面に表示される艦影を数えた。

 

 キルレシオは七対三といったところか。むろん敵が七、味方が三である。しかしこんなデータは実際、何の役にも立たなかった。敵は撃沈された艦よりも多くの船を生み出すだろうし、こちらはなけなしの艦隊のほとんどを失った。どれだけ敵を減らそうが、多勢に無勢だった。

 

 ハンスは深く息をすると、無力感に身を任せてシートに深く腰掛ける。今の自分に、いや人類に、できることなど何もないのであろう。打ち寄せる波を体で受け止めようとするのに似ている。

 

 彼にもかつて人類を守る盾となろうと誓った熱い時代があったが、そんな自信はすぐに恐怖がとってかわり、焦燥からやがて絶望へと変わっていった。次々と押し寄せる過酷な現実が、情熱を持った若者を抜け殻のようなものに変えていった。

 

 敵方の動態反応が焼失したことを確認してハンスはエンジンの推力を挙げる。数分吹かせばこの機体は月の軌道を離れ地球へと進路をとる。月の重力を利用してスイングバイすれば、四日で地球に戻れる計算だ。

 

 戦場跡を離れ、指定されたコースをとる機体の中でハンスは一人安堵する。戦闘での緊張感から解放されると、今後についての様々な考えが浮かび上がった。この戦いで艦隊は壊滅したことだし、宇宙軍の任務は地球軌道上の監視になる。そうなるとパイロットは少数で事足りるわけだから減らさなくてはならなくなる。

 

 そうなったら真っ先に退役願を出すつもりだ。ハンスの撃墜数は五十機。エースとしては並みだから誰も咎めやしない。死んだ家族の遺産と今までの給料を合わせればまとまった金になる。人類最後の時を悠々自適に過ごす。そんな最後も悪くない。

 

 

 

 暗く締め切った部屋に目覚まし時計のアラームが鳴り響く。ハンスは手探りで目覚ましを止め、重い体を起こした。時刻は〇八〇〇。しかし地下に築かれた非難区は毎日薄暗く、朝の訪れを感じさせない。ハンスは新鮮な空気を入れようと窓を開いた。とはいえ室内は空気循環されているので、屋外との違いは大して無い。部屋のほうが若干埃っぽい気がするが気のせいだろう。

 

 照明をつけると太陽光と同じ波長の光が照射され、脳に覚醒物質の分泌を促す。しかし、どんよりとした気分は依然として晴れる気配がない。ハンスは目を覚ませと静かに訴える照明を恨めしく思いながら今日の予定を思い出す。〇九○○時に人事部に出頭、受け取った事例に基づいて行動を決める。

 

 ついに来たかと、ハンスは頬を叩いて身を引き締める。今の連邦政府には予備のパイロットを食わせている余裕はない。きっと今月分の給料といくらかの退職金が支払われてお払い箱だ。戦争の当事者から気楽な傍観者に成り下がる、そう考えると軽く考えていた将来が現実となって重くのしかかってきた。

 

 宇宙にいたころはこんな仕事こっちからやめて、気ままなやもめ暮らしに突入してやると息巻いていたが、多くの品が配給品となった今、官職につかない人間の生活が良いものかは甚だ疑問だ。人類最後の日々を物乞いとして過ごす可能性もある。

 

 その可能性は考えなかったなと心の中で突っ込みながらハンスは制服の上着をハンガーから外す。開発区なら家を買うにも安く済むだろう。少なくともホームレスになることは無さそうだ。

 

 外に出ると相変わらず外は薄暗く真夜中ではないのかと不安になる暗さだ。暗闇に支配された街路を街頭や部屋の窓から漏れる光、表通りのネオンが照らしてかすかな抵抗を試みる。

 

 ハンスは少し歩いて後ろを振り返り、士官用宿舎を仰ぎ見た。おそらくこれで最後になると思われるが不思議と名頃惜しさは感じない。所詮宿舎は宿舎か、ハンスは一人納得すると通りを歩き始める。自分にも昔は暖かい家があった筈だが、かなり曖昧な記憶となりつつあった。確か、石造りの小さな家だったはずだ。

 

 表通りに出るとネオンに彩られた歓楽街が広がっている。今いるキール第二十七避難区は竣工時郊外だったこともあり、宇宙軍の基地が建設されそこで働く兵士をもてなすための怪しい店も多く立ち並んだ。

 

 如何わしいサービスに対するあまりに多い需要によって、宇宙軍の街として始まったこの場所は、今では快楽と不浄の街としてその名をはせている。

 

 その証拠に、朝にも拘らず裸体をあらわにした女たちが、ショーウィンドウの向こうから手招きしている。こういった店は精神保全法で規制の対象となっているが、この週末の世に鐚一文にもならない紙くずに書かれた法律を気にする人間はいない。今も一人、警官が制服のまま表口から姿を現した。

 

 実に強烈な街だ。ハンスは一人嘆息する。休暇にはもってこいだが暮らすには向いていない。

 

 脂っこいステーキのようなものだ。たまに食べるのはいいが毎日では胸焼けがする。ハンスはここに宿舎を立てたやつに感謝のしるしとしてこの街の永住権を与えてやりたい気分になった。毎日この騒音と悪臭にさらされれば、感激の涙を流すに違いない。

 

 道に停まっていたタクシーに乗り込み行き先を告げると、ハンスは物思いにふける。議題はもっぱら自身のこれからに関してであった。

 

 職無しの儘でやっていけるのだろうか、できないとして一体何の職が良いのか、軍はどこまで面倒見てくれるのか、といった答えの出ない問いを延々と繰り返していった。考えても仕方のないことだと割り切ることも出来たが、ハンスは思い切りのよい性格ではなかったのだ。

 

 ふと、鏡に映った自分の姿が目に入った。今日でこの制服も最後になると思うとさすがに感慨深いものがある。感傷に浸っているとハンスは無意識に、自分が初めて制服を着た日を思い出していた。誇らしく敬礼をする自分と笑いながら温かい言葉を送る家族。家の近くの湖まで行って木陰にテーブルと椅子を設けて夜が更けるまで騒いだあの日。

 

 自分と遊ぶようせがんできた兄弟、夕食の支度が済んだことを自分たちに呼びかける母、グリルで焼き上げた牛肉のブロックを切り分け皿に持っていく父。戦争が盛んでなかった頃の懐かしい安らぎに満ちた日!

 

 忘れかけていた素晴らしき記憶にハンスはほくそ笑み、そしてその顔を心の苦痛に歪めた。やめよう、湖は今やただのクレーターで、林も家も家族も、あの地獄――地表に舞う灰の一部に過ぎない。

 

 家族だけではない、今やや彼を形作る過去の多くが、燃え尽き、灰となって大空を舞い、重苦しい過去として地表に堆積していった。友人、戦友、恩師、上官、宇宙艦隊…

 

 ハンスには、自分の力すべてを勝利のためにささげても構わないという覚悟があった。あの忌々しい蟲どもに自信の身に起こったすべての不幸を味あわせることができるのならば、いつでも自分を死地に放り込んでほしい!

 

 しかし人類の希望たるべき連邦政府はいよいよ迫った自らの死に絶望し、指導者たちは残り少ない生を安らかなものにしようと贅の限りを尽くした自分たちの世界に引きこもっていた。

 

 むろん、一パイロットに過ぎないハンスにはどうすることも出来ず、今や戦闘機までも取り上げられようとしている。運命は自分に復讐の機会を与えないつもりなのだろうか、ただ復讐だけを望み、一縷の望みを託して仕えてきたこの俺に!

 

 くそ!とハンスは拳を握り締め振り下ろそうとしたが、振り下ろすべき場所が見当たらず、力なくその手を膝の上に戻した。もう全ては終わってしまったことだ。一介の少尉にはどうすることも出来ず、ただ人類とともに終焉を待つだけの身。

 

 そしていよいよ、軍隊からも見限られ少尉という身分さえ失われようとしている。自分の人生をかけた一大事業がただの徒労に終わろうとしているのを、彼は指を咥えて見ている事しか出来なかった。

 

 ハンスは考えることをやめ、座席にうずくまる。せめてつらい現実を頭の片隅に追いやり、温かな夢を見ようと心掛けたが、空調の利きすぎた車内は寒々としてそれすら難しかった。

 人事部からの辞令を受け取り、次の任地に向かうバスの中でハンスは思考を巡らせていた。辞令に書かれていた内容が、彼の頭の中を支配していた憂鬱を一時的に片隅に追いやるほどには辞令の中身は奇妙奇天烈な元なっていた。

 

 ハンス=ヴァルター・ヨアヒム少尉

 本日〇九○○時をもって、ベルリン第十一避難区グスタフ陸軍基地への転任を命じる。臨時として陸軍三等軍曹の階級を付与し、現地での任務は任地に到着次第追って沙汰する。

 二一七七年七月八日 ウルリッヒ宇宙軍基地人事部

 

 ベルリン、陸軍、三等軍曹と、彼を混乱させる言葉が目白押しだ。受付ターミナルから辞令を受け取ったので任務について質問することすらかなわなかった。大昔、軍隊は自分を骨までしゃぶりつくすものだと思ったものだが、この事例を見るにどうやらしゃぶりつくした骨の活用法まで、軍隊は熟知しているようだった。

 

 彼が今までいたキール避難区とベルリン避難区は隣同士だが、ハンスの所属は宇宙軍であり宇宙軍のための施設などないベルリン避難区にはほとんど足を運んだこともなかった。

 

 そんな自分がベルリンの、それも陸軍の基地で一体どんな任務に就くというのか?今までで一番の難解な疑問にハンスは頭を抱えることになった。

 

 彼が今まで行った陸軍的訓練と言えば、行進と射撃訓練ぐらいでそれも訓練生時代に兵士としての精神を養うためのものとして行ったのであった。陸戦における立ち回りや戦術など知る由もない。よって歩兵は除外しても構わないだろう。

 

 砲兵や戦車兵も同じく。こちらは歩兵よりも多くの専門知識を必要としている。さらに三つの兵科に特徴して言えることは、パイロットよりも密接な連携が必要とされる点だ。戦闘機乗りもバディを組んで行動することがセオリーとなっているが、この三つの兵科はそれを上回る数の人員と連携しなくてはならない。であるから、ここに配属される可能性はまず間違いなくない、と断言して構わないだろう。

 

 では次は、航空機というのはどうか。確かに先の三つよりは専門分野であると言えるだろうが、出撃が宇宙軍より少ない陸軍のパイロットはさらに損耗率が少ない。座学を教えるにしても航空機よりパイロットのほうが多い現状ではわざわざ宇宙軍から人を呼んでくる理由がない。よって之も無し

 。

 となると、ハンスは残り少ない選択肢について考える。バスが進む幹線道路は節約のため照明が取り外され真っ暗闇で、バスの運転手にとってフロントライトのみがハンスの目的地であるベルリン避難区への道を知るための僅かな手がかりだった。

 

 事務か補給部隊…おお補給部隊!

 

 ハンスは思わず天を仰いだ。補給部隊に軽蔑の念があるわけではないが、ハンスには前線部隊として、戦わぬ者たちを守る盾としてのプライドがあった。補給部隊に転属となれば自分の戦士としての誇りは粉みじんとなって何処へ消えていってしまう。

 

 考えてもみろ、同僚たちが宇宙を舞う一方、フォークリフトを操作し貨物のデータとにらめっこをする自分。長年にわたる国家への奉仕の結果がこの所業とはあまりに残酷ではないか!

 

 傍観者のほうがまだましだ。ハンスは苦々しく思った。同僚たちの活躍を横目に見ながら、ちまちまと荷物を運ぶ日々は実に爽快で冒険に満ちた日々であろう。

 

 事務という可能性も考えたが、まずないだろう。事務の仕事は民間人に任せることも多く、地球の基地となればその損耗率は地を這うように低かった。ハンスがウルリッヒ基地で聞いたのは兵站部の人員の一人がモチなる食べ物をのどに詰まらせ、死んだという話ぐらいだ。

 

 補給部隊…ハンスはネガティブなイメージを振り払い、前向きに考えようと努めた。そう、ハンス、これは朗報なのだ。この就職難の時代に野に放り出されることもなく、楽な仕事にありつけただけでも幸運なことだ。

 

 ベルリン…そうベルリンでの任務だ!娯楽の質も量もキールとは天と地ほどの差がある。女の質も高く、金を使うに足りる人と物で満ちている。おまけに補給部隊であれば娯楽のために咲くための時間もたっぷり出来る。

 

 まさにこれは、今まで苦労してきた自分に対する贈り物に他ならない。決して左遷だとか体のいい厄介払いだとか、そういったものではない。断じて!

 

 ハンスが妄想に近い無理やりな理屈で、自信を一種の洗脳状態に陥らせようと苦悩していると、誰かからの視線を感じて顔を上げた。誰だと思いあたりを見回すと通路を挟んで反対側にいる兵士が、こちらを物珍しそうに眺めていた。宇宙軍の制服を着ていたからだろう。

 

 しかし、ずいぶんと小さい。ハンスは見た目こそ更けていたが、彼もまだ(もう?)二十六である。目の前の人物はハンスよりさらに若く見える。顔が見えれば年齢を特定できそうだが、足元のライトだけでは十分に明るいとは言えずおぼろげにしかわからなかった。

 

「ベルリンに宙軍の施設はないよ、旦那。」


 兵士が言葉を発した。女の声だ。若い、というか幼いと言ったほうがいい。未成年だろうか?皮肉めいた口調だが声色には若干の幼さが残る。


「休暇とは考えないのかい?」


 ハンスが答えた。


「陸軍の縄張りになっているベルリンにそんな恰好で休暇に来るやつはいないからな。だが待て、遊びに出るのでないとすると任地への移動中か?どこへ行くんだ?ナポリ?それともボルゴグラードかな?」


「ベルリンだよ。陸軍からの任務があるのさ。」


 ハンスは渋々といった様子で答える。


「船乗りに困っているなんて話はきたことがないなぁ。」


 間延びした声で兵士が言った。馬鹿にしているというよりは、コメディアンのような調子だ。


「どんな任務だと思う?」


 ハンスは調子を合わせた。


「そうだな…砲兵や戦車兵ではなさそうだな、専門知識も多いし。ふーむ、そうだな…あ、いや、まてまて、まだ考えてる。うーんさっきの様子や昨今の世界情勢etc…を複合して考えるにー……そうか分かった補給部隊だ!!」


 芝居がかった大げさなジェスチャーで兵士が手を打った。「多分、あたりだ。」とハンスがばつの悪そうな顔で答える。


「補給部隊か~。前線部隊にいる俺には耐えられそうにないなぁ。あの埃っぽい倉庫の中にいるって考えるだけで気が滅入っちまうよ。あっでも、ベルリン勤務ってことなら退屈はしなくて済みそうだなぁ。」


 さっきからハンスの心を読んでいるかのような兵士の発言に、ハンスは若干イライラしてきた。兵士本人に悪気があるとは思えないが、それでも自分が気にしていることをいちいち言われるとぶつけようのない苛立ちが募った。それが嫌なら行き先を聞かれたときにうまくごまかしておけば済む話なのだが、


「お前はどう思う?」


 兵士は隣に座る同僚にも話に参加するよう促したが、当の本人は乗り気でないのか棘のある口調で突き放した。


「黙って座ってろ。」


 また女の声だ。歳は皮肉めいた兵士よりも上のようだがやはり若さを感じさせる声であった。兵士のほうは同僚の辛辣な態度にもめげず、ひょうひょうと話し続ける。


「つれないねぇ~。まぁいいや、船乗りさん、気の毒だがここで会ったのも何かの縁だ。名前を教えてくれないかい?」


「ハンス。ハンス=ヴァルター・ヨアヒム。宇宙軍少尉で、陸軍では三等軍曹さ。」


「おっと将校様だったか、これは失礼。自分はマリー・ビゼラル一等兵であります。」


 マリーと名乗る兵士は敬礼をして、言葉遣いを丁寧なものに変えるが、そのおどけた口調は変わらない。暗闇の向こうでどんなにやけ面をしているか、容易に想像できるようだ。


 先ほど辛辣な態度をとっていた同僚も、マリー一等兵を小突いてからハンスに敬礼をする。ハンスは敬礼を返しながら、自分の任地にもこんな変な奴がいれば退屈はしなさそうだ、とかそんなことを考えていた。そう、まだこの時は。

 

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