7限目 教え子の腕前

「「いただきます」」


 そして今日も、俺は白宮と一緒に手を合わせた。

 遅めの俺たちの夕食が始まる。


 初めに箸を付けたのは、唐揚げ――ではなく、味噌汁だ。

 実は、今日は少し暑いからか。

 喉がカラカラだった。

 ちょうど汁物がほしかったのだ。


 角切りにされた豆腐と、青い細ネギが浮かんだお椀を見つめる。

 ステンレスボトルに入れられ、保温されたお味噌汁は、まだ白い湯気を吐いていた。


 まずは一口……。


「ずずっ……」


 ああ、堪らん。

 胃に……いや、五臓六腑に染み渡る。

 疲れた身体が、幸せになっていくのを感じた。

 出汁はしっかりと聞いていて、味噌汁の加減もちょうどいい。


 俺はそのまま味噌汁に箸を付けて、具を掻き込む。


 舌の上に、とろとろの白い絹豆腐が転がってくる。

 味噌と絡んだ素朴な甘みが口の中に広がった。

 青ネギもまだ新鮮だ。

 ジャキジャキという威勢のよい音が、耳の穴から漏れてきそうだった。


 気がつけば、半分減っていた。

 喉が渇いていたというのもあるが、お腹が空いていて、自分でも止められなくなってしまった。


 顔を上げると、白宮と目が合う。

 猫のように微笑んでいた。


「部屋に帰れば、まだおかわりがありますから。心配はいりませんよ」


 心が見透かされたようで、ドキリとした。

 二色乃高校の才女は、どうやら人の心を読む力も持っているらしい。


 いよいよ俺は唐揚げ――いやいや、待て待て。

 俺よ、待て。

 唐揚げはメインディッシュだ。

 もう少し落ち着け。

 1番食べたい物は、最後に食べるからおいしい。


 生姜焼きの時は、不覚を取ったが、今日こそは我慢だ。


 次に食べたのは、キャベツと厚揚げの和え物だ。

 こちらはよく冷えていた。

 味噌汁で熱くなった口内にはちょうどいい。

 柔らかくなったキャベツに、麺汁とごま油の汁がよくしみ込んでいる。

 加減は薄口だが、さっぱりしていて、自然と箸が進む。


 そして雑穀米だ。


 実は、俺は雑穀米が好物だ。

 白米よりも好きだといっていい。

 食感が苦手だという人はいるが、この色んな食感が混ざっているのが、俺は好きだ。

 俺は和え物の厚揚げと一緒にして食べる。

 噛むと、厚揚げから汁を溢れ出す。

 汁が雑穀米と絡んで、得も言えぬ多幸感に襲われた。


「くぅぅうぅぅう!!」


 思わず唸った。

 前に座る白宮がまた微笑む。


「雑穀米、お好きなんですか?」


「ああ。学生旅行に行った時のホテルの朝食で初めて食べたんだけど、それからはまってな」


「じゃあ、これから雑穀米にしましょうか?」


「それは嬉しいが、雑穀米って結構金がかかるだろ? ――あ、そうだ。食費? 材料費を払うよ。いくらだ。えっと、3日分だから」


「結構ですよ。1人の食費も、2人の食費もあまり変わりませんから。むしろ、食品ロスが少なくなって、助かってるところです」


「そうはいっても、教え子にタダ飯を食わせてもらうのはちょっと――」


「それにお金ももらっても、もったいなくてヽヽヽヽヽヽヽ使えそうにありませんから」


「は?」


「なんでもありません。それよりも、唐揚げが冷めちゃいますよ」


「あ、ああ……。そうだ」


「好きだから最後まで残していたんでしょ」


「な、何故、わかった?」


「ふふふ……」


 いや、何故笑う。


「玄蕃先生って、子どもっぽいところがありますよね」


「わ、悪かったな」


「ふふ……。さ、どうぞ」


 釈然としないが、唐揚げが冷めてしまうというのは事実だ。


 俺はいよいよ唐揚げほんまるを目指した。

 箸をそろそろと動いていく。

 狐色に揚がった鶏の唐揚げを箸で摘まんだ。

 こうやって持ち上げて、初めてわかる。


 重たい……。


 俺が疲れているからというわけではない。

 とても鶏肉自体が、肉厚なのだ。


 とにかく、俺は大きく口を開けて、唐揚げを迎え入れた。

 さすがに一口とはいかないが、とにかく齧り付く。


 ザクッ……。


 脳髄まで響く衣の食感。

 噛んだ瞬間、じゅわっと肉汁が飛び出してきた。


「うまっ!」


 思わず俺は唸ってしまった。

 目の前の白宮の整った顔がほころぶ。


 サクサクした食感に、柔らかくジューシーな肉厚なモモ肉。

 生姜醤油で味付けされていて、ピリッとした味に思わず箸が進んでしまう。

 これだけ肉厚に切っていても、きちんと中まで火が通っている。

 おそらく、二度揚げしているのだろう。


「油物って大変じゃないのか?」


「慣れてしまえば、特に……。油跳ねも、きちんと水分を取れば、問題ありませんから」


 上級者みたいなことをいう。

 いや、白宮は間違いなく料理上級者だろう。

 料理の味もさることながら、作る手際から見ても間違いない。


 さすがは著名な料理人を排出する白宮家の娘といったところだろうか。


 そういえば、白宮から家の話を聞いたことがないな。

 まあ、一人暮らしをしているのも、その当たりに理由がありそうだな。

 家族と喧嘩しているから、とか。

 教師として聞くべきか……。


 いや、俺が担任というわけじゃないしな。

 迂闊にプライベートなことを尋ねるわけにもいかないか。

 逆に警戒される可能性もあるし。

 折を見て、質問してみるか。


「「ごちそうさまでした」」


 俺たちはまた手を合わす。

 白宮の皿も空になっていた。

 不思議なのだが、白宮はいつ食べてるんだろうか。

 俺と目を合わせると、たいがい俺の方を見て微笑んでいるんだが。


 ともかく、お腹がいっぱいだ。

 帰ってくるまで、ぎぃぎぃと文句を垂れていたお腹も、寝静まった子どものように大人しくなっている。

 この中に、教え子が作った料理が入っていると思うと、ちょっと複雑な気持ちだった。


「ふわっ……」


 お腹いっぱいになったら、眠たくなってきたな。

 ははっ……。白宮の言う通りだ。まるで子どもだな、俺は。


 だが、それは白宮も一緒らしい。

 口元を押さえて、欠伸をかみ殺していた。


 時間はすでに0時を迎えようとしている。

 仕方ないだろう。


「タッパーは明日洗って帰すよ。白宮も疲れただろう。早く帰って休め」


「あら……。玄蕃先生の部屋に泊めていただけないのでしょうか?」


 白宮は目を細め、小悪魔のように微笑む。


 悔しいことに、俺は思わず「ドキリ」としてしまった。


「ふふふ……。冗談ですよ」


「お前な。教師をからかうのもたいがいにしろよ」


「はーい。では、また明日……」


「白宮!」


「はい?」


「今日はすまなかった。遅れて帰ってきて」


「最初に言いましたよ。気にしてないって。それでは――」


 ぎぃぃいぃいいいぃい……バタンッ!


 扉が閉まる。

 俺の部屋から白宮このりはいなくなった。


 白宮と食べるのは、これで3回目だ。

 なのに、いまだ慣れない。

 というか、現実感がない。

 何か夢でも見ていたのだろうか。

 そんな気さえしていく。


「変な病気でもかかってないよな」


 振り返ると、テーブルに白宮が置いて行ったタッパーが残っていた。



 △ ▼ △ ▼ △ ▼



 バタン……。


 私の部屋の扉が、魔女の笑い声を上げて閉まる。

 目の前には照明も何も付いていない部屋が広がっていた。

 私は口も脱がず、扉にもたれかかりながらその場に座り込む。


「は~~~~~~~~~~~~ぁ……」


 大きく息を吐き出した。

 これはため息なんだろうか。

 安堵の息なんだろうか。

 いずれにしても、感情がごちゃごちゃになっていたことは確かだと思う。


「良かったですね、お嬢さま」


 思わず悲鳴を上げそうになった。

 玄関に何故か金髪の少女が立っていた。

 宮古城ミネアだ。


「驚かせないでくれる。あなたの顔を見たら、夢から覚めた気分だわ」


 ちょうどその時、部屋の壁掛け時計が「ボーン」と鳴り、0時を知らせた。


「0時ですからね。シンデレラの魔法も解ける時間です」


「そういう文学的修辞はいいわよ」


「本当は不安だったのでしょう。玄蕃先生が食べに来てくれるかどうか」


 ミネアはストレートに私の心を抉る。

 反射的に私の心は泡立った。

 先生が帰ってくるまで浮かんでいた恐怖にも似た感情が、再び浮き上がってくる。


「そうよ。悪い?」


「別に……」


「でも、玄蕃先生はちゃんと私の料理を食べてくれた。それに――――」



 お前の作るご飯がおいしくて、正直外で食べてくる気がしないんだ。



 玄蕃先生の言葉を心の中で反芻する。

 今、思い出しただけでも胸が熱くなる。

 自分の顔が赤くなっているのがわかる。


「あ~~~~~も~~~~~~~! なんでああいうことを不意打ちでいうのかしら!」


 思わず私は吠えてしまった。

 心が暴れて、自然と駄々をこねた子どもみたいに手足が動く。


「玄蕃先生って、案外すけこましなんでしょうか?」


「ちょ、ミネア! そ、そんな言い方ないでしょ」


「本人に自覚はなくても……いや、むしろ天然の方が怖いですよ。そもそも、白宮このりのハートを掴んだのですから」


「黙りなさい。私、明日の予習やったら寝るから。自分の部屋に帰りなさいよ」



『お前の作るご飯がおいしくて、正直外で食べてくる気がしないんだ』



 突然、あの玄蕃先生の名言が部屋に響く。

 その声はミネアが手に持ったボイスレコーダーから聞こえた。


「あ、あなた……。いつ録音を……」


「1万円……」


「買った!!」


 私は即決した。

 ミネアからボイスレコーダーを奪い取る。

 自分の手で、再生ボタンを押した。



『お前の作るご飯がおいしくて、正直外で食べてくる気がしないんだ』



 その日、私は先生の声を聞きながら、夢の中に落ちていくのだった。

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