⑤
「帰ったぞ」
先生の事務所で籠城を決め込んだ二日後、先生は帰ってきた。
外にはまだマスコミと思わしき人がいたはずだが、先生は彼らにインタビューを受けた様子はない。
「お帰りなさい。外は大丈夫でしたか」
「ああ、空港で何人かに質問されたがそれだけだ。家の周りの人間には警察に対応頂いたよ。こういう時くらいは役に立ってくれないとな」
そう言って先生は鞄の中から小さな箱を取り出した。とても見覚えがある。
「先生っ。それってまさか」
「ああ、ただの宝石紛いだ。そしてお前の考えている通りのものだ」
そう言って先生はあのニュースが偽装であり、この宝石自体の判断を協会もさじを投げたと説明してくれた。
これは一大事だ。
早く玲子に連絡し指輪はなくなっていないことを連絡しなければ。
そう考え僕は電話を掛けようとするが、先生が制止した。
「物はなくなったと思われているんだ。少しくらい返すのが遅れてもいいだろう。我妻お前も来い。こいつをもう一度調べるぞ」
そう言いながら先生は宝石を事務所内の奥にある検査室に持って行った。
僕もそれについていく。検査室と言ってもそのサイズはそこまで大きくない。
スキャン装置とデータベースの照合機械。
成分分析機と顕微鏡などが置いてあるだけだ。
先生はそこで前回玲子から預かったデータを呼び出し内容を確認する。
宝石の立体映像が部屋の中心にあるテーブルに表示される。
拡大されたその姿は確かに見事なブリリアントカットをしている。
小さな石をここまで加工する技術を発明した先人たちの凄さを感じた。
「とりあえず再度成分分析をする。それから屈折率、それに表面の検査、各面の面積、それから……」
協会が匙を投げた案件だったとしても、先生はお構いないのだろう。
それは先生のプライドか、意地なのかよくわからない。
でも真実を求めるいつもと違う先生の姿に少し感動してしまった。
「我妻、とりあえずその棚から宝石の資料を出してくれ」
「はいっ!」
答えが出るかわからないが、先生が諦めないなら付き合ってみよう。
一晩中検査を行ったが、何もわからなかった。
いや、調べれば調べるほど天然の宝石と同じようなものであることが証明されていった。
協会もさじを投げるわけだ。僕も先生もへとへとだ。
とりあえず気付にコーヒーを淹れることにする。
キッチンにはコーヒーの粉や豆が多く並んでいる。
一つ一つ違う銘柄らしいが、何が違うのか僕にはてんでわからない。
だが先生は曜日や天気で淹れる銘柄を指定している。
僕にはコーヒーの何が美味しいのかがわからない。
そもそもコーヒーをここでしか淹れたことが無い、ミル挽きなんてのでコーヒーを豆から淹れるなんてここで初めて知ったくらいだ。
コーヒーが豆からできていることすら知らなかった。
先生に雇われてからはほぼ毎日淹れているので、それなりに美味しく淹れられているとは思うのだが、先生からしたらまだ不味いらしい。
いつも飲み物はプリンタで選択してしまっている僕からしたらただ苦いだけで味はいつも一緒の気がするが先生からしたら違うのだろう。
その味がわかったとき、僕はもう少し本物というものを知れるのかもしれない。
そんなことを考えているうちに、コーヒーが出来上がってきた。
味見をしてみる。うん、今回も苦い。
「はい、先生」
「うん。……不味い。もう少し挽き方とかを学べ。これじゃ豆がかわいそうだぞ」
そんなことを言ったって、美味しいコーヒーというのを知らないのだから仕方ないじゃないか。
僕も疲れているのに褒めてほしいくらいだという言葉が出そうなのをとっさに飲み込む。
先生はいつも通りの反応だが、さっきまで疲れて眠そうにしていた姿から一変したのでこれでいいだろう。
まったく進捗の見えないこの作業をどうするのか。
まだ文句を言う先生の言葉を聞き流しながら僕もコーヒーを飲む。
うん。やっぱり苦い。
「まあ眠気が覚めたことだけは礼を言おう。それにしてもお前のコーヒーは本当に豆だけで淹れたのか? うまいコーヒーの淹れ方を学べとずっと言っているだろう。だいたいお前はまだ食事をプリンタで済ましているんだろ。少しは自炊というのを試して、食の楽しみを知ったらどうなんだ。ここまでコーヒーが不味いとなると、食品とは関係ない不純物でも入っているんじゃ……」
「そんなわけないですって。やり方は先生に習ったんですからそこは先生の教え方が悪いってことじゃないですか? 私の食事事情は関係ないですよ。それに私の家にも調理器具はあります。トースターっていう立派な調理器具が、……先生。聞いてますか?」
そう言って先生の方を見ると先生はカップを置き宝石の立体映像と資料を見つめていた。
「先生?」
「そうか、違和感の正体はこれか。でかしたぞ我妻。やはりこいつは自家製品だ」
「本当ですか?」
「ああ、チェックしてみないとわからないがほぼ間違いない。急ぎ御堂に連絡しろ。それと玲子にも宝石を返すと伝えろ。今はマスコミがいるからすぐには返せないので、日程はこちらで追って連絡すると言ってな」
そして一か月後、僕たちの前には玲子がいた。
「それでは、私の祖母の形見は無くなったわけではないのですね」
「はい。先ほど説明しました通り、所有者保護との観点から、宝石に対しては判断を見送らせて頂くための処置です。この宝石が本物かどうかの証明はできませんでしたが、貴方のおばあ様の大切な品をお返しすることはできます」
そう言って先生は指輪を玲子に返す。
指輪を受け取った玲子は嬉しそうではあるが、少し残念そうだ。
「それじゃあ、これは本物ではないんですか?」
「判断できないというのが回答です。3Dプリンタによる自家製品が氾濫してしまった昨今。成分が同じで姿がよく似ていればそれ以外の違いを見出すことができなければそれは本物とも自家製品とも判断できない。これは鑑定士としての限界です。誠に申し訳ない」
「そうですか」
そうして玲子は残念そうに指輪をしまった。
「最後に一ついいですか? 玲子さん。あなたはこの指輪をどこで入手しましたか」
立ち上がり帰ろうとする玲子に対し、先生は唐突に質問した。
玲子もいきなりの質問に戸惑っているようだ。
「それは何度も言った通り、祖母の形見です。このコロニーに住んでいた」
「本当にそうですか。貴女がこちらに来たのは自分の作品が完璧かどうかを知るため。違いますか?」
「何を言っているんですか? これは形見であり、私が作ったものではありません。自家製品かの判断ができないといったのはそっちじゃないですか」
「ええ、私です。ですが、それは一般的な話。私に言わせれば今回のケースは完全な自家製品。そしてその理由は至極簡単な理由です。それはそれとして貴女が私の事務所に来た日、近くで葬式が行われていました。そしてその家は数年前に旦那に先立たれた孤独な老婆の一人暮らし。確かに貴女の言う通りの人物だ。そして、その孫娘の名前も玲子に間違いはない」
「何が言いたいんですか」
いきなり始まった先生の語りに玲子は不機嫌そうだ。
そりゃそうだ、唐突に難癖をつけられ始めたのだから。
だが先生はそれを気にもせずに話を続ける。
「ですが、玲子さんは祖母の葬式に参列などしていない。そこに関しては首都の人間に確認してもらいました。確かに玲子さんは首都で働いていた。ですがその日は出張でこのコロニーに来ていない。そもそも玲子さんはこのコロニーに祖母がいること自体知らなかったそうです。では、あなたは何者ですか? なぜわざわざ身元を偽って私のところに来たのか。それは簡単なことだ。身元を明かすことができないということはそれ相応の理由が必ずある。盗品、違法な品等それら犯罪に類する関係だ。そして首都でそれを行わなかったのは戸籍データの管理がしっかりとなされているのに対し、ここのような初期開拓用コロニーは戸籍データの管理が煩雑なのは有名ですからね。簡単になり済ませるとでも思ったのでしょう。違いますか?」
「身分を偽っていたことは謝ります。ですが、私は違法なことをやっているわけではありません。それと、私が嘘をついていたからと言って、鑑定したいって依頼自体に偽りはないはずです。私の事情を事細かに話す義務はないはずです」
玲子の返答も最もだ。
確かに身分を偽っていたのは事実だが、それをすぐに犯罪につなげる先生の話は暴論に過ぎない。
これではただの決めつけでしかない。
そんなこと先生も分かっている。
だが、先生はどこか確信をもって語っている。
「それは結構。ですが、貴女は私に嘘をついた。鑑定を依頼しておきながら真実を話さなかった。それは到底看過することはできません。それと残念ですがこの自家製品のデータおよび判断基準は協会に通達済みです。判断基準に関しては重要な情報のため貴女に開示することはできませんが、私以外の鑑定士に駆け込んだとしても本物と判断されることはないでしょう。類似品を作っていたとしてもね」
「それが本当だとした場合。もう私たちの宝石は本物にはできないんですね」
少しの沈黙の後、玲子が口を開いた。半ば諦めたような、観念したような様子だ。外れていたらどうしようかと思ったが、どうやら玲子は本当に自家製品と分かって持ってきていたようだ。
「私たちですか、それにしてもそのまま帰らずに白状するのですね」
「ええ、私たちの作品を見破った相手ですから敬意を表するべきです。さすがは若手で有能と言われるだけのことはありますね。何人もの鑑定士が本物と判断した私たちの作品を見破ったその見識には感服いたします」
玲子は先ほどとは打って変わって楽しそうに話す。
見破られて嬉しかったのか。
まるで自分たちの作品が正当に評価されたのを喜ぶような姿だ。
「殊勝な心掛けだ。貴女の本音が聞けたのは収穫として、それではお帰りください。真実を見抜けたそれだけで私は満足です」
「あら、いいんですか私は犯罪者予備軍ですよ。また新しい自家製品を作って鑑定士をだまして本物を作り出すかもしれないわ。それでもいいの」
「本物ができたとき、確かに貴方たちは金儲けができるかもしれない。だが、どんなに自家製品を作ろうが、私が鑑定すればいいだけの話。それに、貴女も分かったでしょう。本物と判断がつかない時点で協会がどういう判断を下すのか。貴方たちはやり過ぎた。高性能なプリンタを作り、完璧な宝石を作ることに腐心し、結果的に金儲けにもならないところにたどり着いてしまったのです。それと違法プリンタの使用に関しては我々ではなく警察の管轄だ。私たちに逮捕権なんてものはない」
それだけ言うと、先生は席を離れていった。
彼女も少しして立ち上がり玄関に向かっていく。
このまま返していいのだろうか。
先生の方を見ると既に無関心だ。
結局自分のプライドが満たされた時点でこの件への興味はなくなってしまったようだ。
今更警察に連絡しても遅い。
それに彼女は鑑定を依頼しただけでプリンタの設計者でも何でもない。
彼女の自白があったからと言って彼女が違法プリンタの製造に関わっていたという確固たる証拠もない。どうする。考えがまとまらない。
「あの、……お疲れさまでした」
僕から出たのはその言葉だけだった。
彼女はありがとうと言った。
彼女はいずれまた来るだろう。完璧なものを用意して。
それは確信にも似たものであった。
宝石を作る価値はすでにない。
彼女たちはここに来る前に適当なところで本物の鑑定を得て売ればよかったのだ。
それをすればただの金儲けの犯罪者で済んだ。
でも彼女は鑑定士を渡り歩いてここにたどり着いてしまった。
そして見破られた。彼女たちの作品が認められてしまった。
だからこそ、彼女はまたやってくる。
先生もその確信があるから何も言わないのだ。
そうして彼女が玄関に差し掛かった。
「ああ、伝え忘れましたが。貴女が玲子でないことの確信がもう一つあります。貴女はブランド物を身に着けすぎている。うちの助手は配信されている設計図のカタログを暗記するのが趣味な変人でね。貴女がこれまで私のところに来た際の服装の値段を確認したところ、首都にある小さな企業に働いているような若い女性じゃ手の届かない値段ってことがわかりましたよ。そういうところがまだまだ甘いですよ。精進してください。それともう一つ。玲子さん本人のIDをスキミングして渡航記録を偽装したのは立派な犯罪ですので、その点については通報しました。今回は別の人のIDを使ったようですが、玲子さんのIDを今後使用した場合はすぐに警察に捕まると思うので気を付けてください」
そんな声が部屋の奥から響いてきた。
彼女は何も言わなかったが、ドアを大きな音をたたて閉めて出て行った。
台無しだ。
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