キセキの価値
字書きHEAVEN
Op
『……このため、右手での握手には十分に気を付けてください。以上最新ニュースでした。ニュースの後は今日の運勢のコーナーです』
ああ、もうこんな時間だ。今日の運勢は気になるけどそろそろ家を出ないと。
そう思いながら僕はテレビ画面の右上に表示された時間を確認しながら食パンの最後の一切れを口に放り込み、牛乳で流し込む。
食器を片づけ、玄関にある折り畳み式電動自転車を抱えて家を出る。
空は今日もいつも通り青く代わり映えしない。
自転車をこいで三〇分。
大きな木造建築調の戸建に着く、表札には鑑定事務所とだけ書かれている。
ここが僕が働いているこの島唯一の鑑定事務所だ。
時計を確認する、よしまだ先生は起きていない時間だ。
僕は自転車を畳むと入口に手をかざして門扉の鍵を開け、玄関のドアを大きな音をたてないように開けた。
「おはようございます」
「遅いぞ、我妻。一時間遅刻だ。私が起きてからもう四〇分経っている。私の起床時には濃いめのコーヒーを一杯用意しておくようにと言っていただろう」
中に入ると、既に先生はデスクに座りながら新聞を読んでいた。
いつもこの時間はお気に入りのソファーでいびきをかいているはずなのに珍しい。
「すみません。急いでコーヒーを淹れます。でもいつもよりお早いんですね。何かあったんですか?」
「ふん、お前が私が起きるぎりぎりにここに来ているということがわかったよ。まあいい、今日の私は機嫌がいい。こいつを読んでみろ」
荷物を置いて急ぎキッチンに向かおうとする僕に対し先生は嬉しそうに新聞記事の一部を見せてきた。
「『検査結果は自家製品。総合鑑定機関の御堂教授は判断理由を黙秘』。ああ、本物騒動まだ続いていたんですね」
新聞記事は数か月前から話題となっている。
宝石の真贋鑑定に関する記事であった。
確か鑑定機関に持ち込まれた宝石に対し検査機関が判断を一旦保留にしたため、依頼人が本物の可能性大としてオークションに売り出したことに端を発した騒動だったはずだ。
仕事柄状況を気にしてはいたが、ここ数か月は新聞やゴシップ雑誌にも載っていなかったので、忘れかけていた。どうやら進捗があったようだ。
「それで、この記事がどうかしたんですか?」
「お前はここで働いて二年だろ。よく見てみろ、ここだよここ。鑑定依頼人の写真。こいつはちょうど一年程前にうちに来た奴だ。私が自家製品と言ったら顔を真っ赤にして、エセ鑑定人だの、無能だの言って出ていった。私の判断が信じられず勝手に御堂のとこへ持って行って、世間を騒がせて間違ってましたとは。ああ、なんという愚か。あの時私の言葉を信じていればこんな恥ずかしい思いをしなくて済んだのにな」
そうまくしたてる先生の顔はにこやかだ。
自分を無能だといったことで覚えていたのかもしれないが、自身の口の悪さから依頼人に悪口を言われることは日常茶飯事のくせに、よく覚えているものだ。
きっと宝石の持ち込みだったのも関係しているんだろう。
日々様々な依頼人が来るこの事務所で一年前に一度だけ来た人をそこまで覚えられていることには驚きである。
「で、我妻。コーヒーはまだか?」
「え⁉」
「え、じゃない。お前の一日の初めの仕事は私にコーヒーを淹れることからだろう。急いで淹れてこい」
「はっ、はいただいま」
砂糖多めでなと言ったリクエストを背に急いでキッチンに入る。
たしか、朝のコーヒーはこの粉末を使えばよかったはずだ。
先生にどやされる前に持っていかなければ。幸いお湯はすでに用意されている。
「不味い。おい、今日は一段と不味いぞ。急いで手を抜いたな。何度も言っているだろう。インスタントタイプを淹れるときは、粉を一度水でしっかりと溶いてから九〇°のお湯をゆっくりとかき混ぜるようにだ」
急いだことが裏目に出てしまったようだ。早く話題を変えなければ。
考えろ。先生があんなニュースだけで機嫌がよくなるはずがない。
もう一つ何かあるはずだ。あたりを見回す。
すると新たな違和感に気づいた。先生の机が昨日と変わっていたのである。
昨晩確認した新作のカタログにもこの形の机はなかった、自分も見習いだがわかる。これは市場に出回っているものではない本物だ。
「ところで先生、その机、本物ですか?」
「お、気づいたか。そうだ、ちょうど昨晩九時ごろに届いてな。届ける時間帯が遅すぎることに文句は言ってやったが、なかなかいいだろ。この手触り肌触り、そしてなんといってもこの香り。自家製品や見てくれだけの物にはまねできない代物だよ。我妻、家具を買うんなら木製か本革にしろ、そのほうが味がある」
よかった。合っていた。コーヒーのことなど忘れたかのように木製の机を頬擦りしながら言う。三〇代の男が机ににこやかに頬擦りする姿は正直言って気持ち悪い。
「やっぱり本物でしたか。凄いですね。見習いの僕には到底手が届かないですよ」
「馬鹿を言え。私のところで働く見習いになれた幸運な奴がしっかりと自立すれば、本革や木製の一つや二つ簡単に買えるだろうさ。まあ、お前がいつ自立できるかは別問題だがな」
「まだまだ、先生にはかないませんよ。でもほら、人間は大型3Dプリンタ一台と原料さえあれば生きていけると言いますし。実際引っ越しするときは美術品以外は全部原料に分解処理して缶詰めにして輸送する時代ですよ。僕は家具とかはそんな庶民的な物で十分ですから」
「設計図さえあればなんだってできるからな。だがな、家具というのはその人の歴史だ。汚れたら分解して再印刷できるようなもののどこに歴史がある。いつも新品? 馬鹿馬鹿しい。だいたいなぁ」
また始まった。どうやら先生は僕の返答がお気に召さなかったらしい。
この人は根っからの自家製品嫌いだ。
使わないというわけではないが、どちらがいいかと言われたら本物を選ぶ人だ。
この先生の事務所兼家の家具のほとんどは本物だし、最近の家には珍しいことにキッチンまで用意されている。
僕だってトースターくらいなら持っているが、料理なんてのは生まれてこの方先生の家以外でしたことはない。
先生の愚痴を聞き流しつつ、今日の予定を確認する。
よかった、あと数分で依頼人がくる。
僕は自分の世界に入っている先生に準備するよう声をかけた。
「残念ですがこちらは自家製品です」
玄関近くに用意された応接室にて本日三人目の顧客に対し先生の言葉がむなしく響いた。
依頼人は五〇代中ごろの男性。
身なりはしっかりしているが、服に皴がついており最近服を作っていないと思われる。
腕にはめた時計はアナログタイプで、先月配信されたオールドモデル。
靴も一昨日配信だったと記憶している。
特定の品物の設計図をロイヤリティが高いうちに買うことを生きがいとするタイプだ。
こういうタイプは特定のブランドの商品には詳しいが、美術品に疎い人間が多い。
実際依頼人は落ち着きがなく、鑑定事務所を頼るのは初めてのようであった。
どうやら数か月前にネットオークションで有名な陶芸家の湯飲みを購入したらしいが鑑定書等の湯飲みの価値を補償する物がなく気になったとのことであった。
自分の住む島には陶器類の鑑定士がいないことから、長い時間をかけてはるばるやってきたらしい。ネットオークションなんかに本物が流れているわけないのにと思って話を聞いていたが結果は案の定であった。
「いいですか、絵画や陶器などの美術品は基本的に『価値保存協会』作成の目録にすべて記載され管理されています。目録作成の当初は追加が毎日のように行われていましたが、ここ百年で目録の追加は年に一回程度です。専門の検査機関に電話でも良いから問い合わせればわかったことでしょうが、まあ、首都への連絡や渡航費は高額でしょうしね。さて、今回の鑑定料は規約に則り首都への渡航費用の五%でいいですよ」
「でも購入したときは本物だって言われたんです。それに私が昔博物館で見たこの作家の作品にはこれと似たような色合いや形がありましたし……」
「いいですか、基本的にこのような美術品は鑑定書と共に政府から所有者番号が設定されています。そして売却の場合は協会に売却の申請をし、協会所有の販売ネットワークにて販売されます。ネットオークションなどで個人間で売買を行うこともありますが、その場合は協会に対し所有者変更の申請を売却者が行い、協会から購入者への受領確認が美術品到着後一月以内に届くようになっています。購入したのは数か月前と言っていましたが届きましたか。美術品の購入にあたって、こういったことはごくごく当たり前の部分です。インターネットで美術品を鑑賞するのではなくその購入ルールについて調べてみてはいかがですか。まあ、そういった基本的なルールも調べずにネットオークションなんかに手を出す時点で、あなたは本物を手にするに値しない人間だったということです。さあ、さっさと鑑定料だけ払っておかえりください」
そう言われた客は何も反論できず、うなだれながら鑑定料を払い帰っていった。
調べればわかることを調べずにいたために起きた出来事だ、かわいそうではあるが同情する気は起きなかった。
「我妻、本物を持ってくる奴ってのはこの島にはいるのかね、俺が事務所を開いてから毎日のように人は来るが本物になんて滅多にあたりゃしない。どいつもこいつもろくに自分で調べないで持ってきて、結局自尊心を自分たちで砕いてく奴らばかりじゃないか。この島は金払いのいい老人が多いから鑑定料に関しては申し分ないが、こう外ればかりを引かされると、やる気も下がってくるよ」
そんな無知な老人しかいないから騙されて自家製品を買わされているんじゃないのかとも思うが、本物の管理が徹底されている今、自家製品以外を持ってくる人はそんなにいない。持っていたとしても既に本物と分かっているのだから。
そんなこと、先生だって承知の上で言っている。
結局協会の本部から遠いこの島で、唯一の鑑定士だから体よくつかわれているんだろう。
そんな時だった、玄関のチャイムが突然鳴り女性が入ってきた。
今日の予約はもうすでに終わっているのでこの女性は飛び入りだろう。
玄関から入ってきた女性は長い黒髪で先月首都限定で配信された有名ブランドの赤いワンピースを着ており、老人が多いこの島には若干不釣り合いな姿をしていた。
「あの、すみません。こちらの宝石を鑑定してほしいんです」
そう言って女性は鞄の中から小さな木箱を取り出し、中から指輪を取り出した。
作りはとてもシンプルで、リングに青い小さな宝石が付けられているだけであった。だが僕の顔はこわばった。
先生も心底嫌そうに、それでいて興味津々な目でその指輪を見ていた。ああ、面倒な依頼が来た。そう僕は思った。
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