第64話 悪者扱い

「姉御に何をした!」

「姉ちゃんに何かしたら、許さないからね!」

 少年たちはそう言うが、ルーツはまだ何もしていない。それどころか、ルーツはこの女性に好き放題言われ、心の傷を深く抉られたのだ。加害者の立場で罵られるいわれは無かった。しかし、彼らの眼には、ルーツが一方的に女性に危害を加えていたように映ったらしく、ルーツの肩は勢いよく揺さぶられた。

「おい! 何したって聞いてんだよ! ……早く言え! 事の次第によっては、今ここで消し炭にしてやる!」

「待って、カルラ。この子は何も……」

―――――――――428―――――――――

 特に、カルラの怒りは凄まじかった。女性のとりなしも耳に入らないようで、ルーツを無理やりに立たせると、喉元を掴み、背中を壁に乱暴に叩きつける。目を開けると、眉間に皺を寄せたまま、ルーツの額に右手の人差し指を突きつけているカルラの姿があった。例え、魔法のことをほとんど知らなかったとしても、それが、少しでも動けば魔法を撃つ、という意思表示であることは自然と伝わってくる。心なしか、引き攣った頬だけでなく、周囲の空気までもがピリピリと震えている気がした。

 少年たちに遅れて、ユリが此方に向かって走ってくる。ルーツは助けを求める目でユリを見た。少年たちが勝手に勘違いしただけで、ルーツは女性と、取り留めのないことを話していただけなのだ。だから、何も謝ることなんてない。そもそも、一つ一つ追及していけば、人の表情から心を読もうとしたこの女性の方が問題で――。

「ごめんなさい!」

 だが、ルーツの方をろくに見ようともせず、ユリは深々と頭を下げた。女性が面倒くさいことになった、とでも言いたげに頭を掻いているのが見える。

「まあ、ユリがそう言うなら、今回だけは許してやらないことも無いけど……でも、お前もちゃんと謝れよ」

「そうだよ、姉ちゃんを殴ろうとするなんて」

 喉を押さえつけていたカルラの力が緩み、ルーツの口から気の抜けた声が漏れた。

 何故、この少年たちはルーツの言い分を聞こうともせず、ルーツを悪者扱いしようとするのだろう。そしてどうして、ユリは会ったばかりの相手の肩を持とうとするのだろう。

―――――――――429―――――――――

「本当にごめんなさいね。今この子、ちょっと精神的に不安定みたいで……」

 ユリの次の言葉に、ルーツは笑いさえこみ上げてくるような気がした。勝手に病人にされている。確かにこの七日間、ルーツはユリに迷惑をかけはしたが、ここまで信頼されていないとは思ってもみなかった。理由も無く人を殴ろうとする異常者。ユリはそんなふうにルーツを見ていたのだろうか。

 ――君が知ろうとしない限り、あの子のことは分からない。

 先ほどの女性の声が頭の中を駆け抜けた。だがルーツは、必死で他のことに思いを馳せ、何も聞いていないふりをする。

 ――君は、うわべだけしか知らない。

 違うんだ。ルーツは、心の声を否定した。

 しかし、それで運よく自分を騙すことができたとしても、現実世界からやってくる言葉を、全て聞き流すことは出来なかった。

「ねえ。とりあえず謝っといたら? ……少なくとも、殴ろうとしたことについては、アンタの方が悪いんだしさ」

 冷たい事務的な声が上から降ってくる。違う、こんなのはユリじゃない。ユリはもっと優しくて、ルーツが何も言わなくても理解してくれるようなそんな――。

―――――――――430―――――――――

「ユリはお前の代わりに、謝ってくれたんだぞ。……ってか、何で俺がこんなこと、言わなきゃなんねーんだ?」

「そうだよ、カルラ。僕たちは謝られる側なんだから、もっと堂々としてないと」

 違う。そんなはずはない。ユリは今、自分たちが置かれている境遇が、決して楽観視出来るものではないと分かっているはずだ。なのに、こんな時に、素性もしれない奴らと楽しそうに喋るような奴がユリであるはずがない。

「姉御、こんな奴、放っておいて、そろそろ行こうぜ。ぐずぐずしてると、ラードルの奴が探しに来るかもしれないし」

 黙ったまま下を向いているルーツを見て、カルラが舌打ちをした。 

「ユリちゃんも来なよ、今日は、街の人も集まるパーティーなんだ!」

「ごめんね。さっきも言ったけど、帰らなきゃいけないから」

「ええー」

 誘いを断ったユリに、カネルは駄々をこねる。しかし、その後ろにはいつの間にか、土の中から脱出していた女性が立っていた。カネルの頭の上に、見覚えのある黒い虫がポンと置かれる。カネルはニコニコ顔の女性に耳を摘ままれ、顔をこわばらせながらユリから遠ざかっていった。ユリは名残惜しそうな顔でその様子を眺めた後、ルーツのすぐ近くまで戻って来る。そして再び、ルーツの手を握った。

―――――――――431―――――――――

「じゃあ、そろそろ行くから。ちゃんとついてきてよ?」

 念を押すようにそれだけ言うと、ユリは少年たちに向かってもう片方の手で挨拶を返す。あんなに楽しそうにしていても、時間が来ればスパッと別れてしまうのはルーツが知っているユリらしい行動だった。しかし、いままで散々笑顔を見せていたのに、歩き出そうとしたユリの顔は暗い。

 記憶の中で見たリリスのように、ユリも幾つかの顔を隠し持っている。ユリの変わりようは、ルーツにそんなことを思い起こさせた。

 自分の知らないことを耳にしたときの真剣な顔。大人にあれこれ質問している時のかしこまった顔。ルーツと話している時の呆れ顔、そして今さっき少年たちと笑っていた時の顔。全部違う。でもそれって結局――、

「……って、アンタ、なんで立ち止まってるわけ? 遂に、自分の足で歩くことも出来なくなったの? お願いだから、これ以上面倒起こさないでよ。あとちょっとなんだから。疲れてるんだったら、集合場所についてから寝てちょうだい」

 不満そうな顔で振り返ったユリを見て、ルーツは、いま考えていたことを頭の中からすっ飛ばしてしまった。でも。その後に何を言おうとしていたのだろう。何か、凄く大事なことだったような気がするのだが……。それともルーツは何の根拠も無く、ただ事実を否定したいと思っていただけだったのだろうか。しかし幸いにも、その泥沼化しそうな思考は、あっけらかんとした三人組によって断ち切られた。

―――――――――432―――――――――

「じゃあねえ、ユリ! 楽しかったよ! またどこかで会えるといいねえ!」

 大声を背中に受けたユリは、少し顔を赤らめていた。だが、人に無実の罪で謝らせておいて、あの笑顔。結局ルーツは謝っておらず、実害を被ったわけでもないのだが、その陽気な態度が癪にさわった。

 あの三人は、ルーツが決して手に入れることが出来ない、貴重な何かを持っている気がする。そう思うと、ずるい。羨ましい。妬ましい。やっかみを越えた、悪意さえ混じるどす黒い感情が自分の内側から湧き出てくる。

 僕だけ苦しむなんて不公平だ。ユリだって同じだけ苦しむべきだ。そしてあいつらも――、特に僕を突き飛ばしたカルラのもとに、酷い不幸が訪れればいいのに――。

「おう、カルラにカネル。十分楽しんだか? 俺の授業をすっぽかして、こんなところで呑気にお喋りとは、随分偉くなったもんやのう」

 そんなルーツの悪意ある感情は、三人組にも、そしてルーツにも最悪の形となって、細道の中に現れた。


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