第61話 何もかもが変わっていく

 ルーツをぐいぐい引っ張っていたユリの足が止まったのは、曲がりくねった細道の先に、ようやく光が見えてきた頃だった。また、群衆に取り囲まれて、身動きが取れなくなるのを避けるべく、違う道を模索しているのかと思ったが、そうではないようだ。道の先には、大通り、そして大きな門が見えている。ルーツたちが七日前にくぐった場所、王都の外へと繋がる門はすぐそこにあった。にもかかわらず、ここにきて初めて、ユリはルーツの手を離した。

「少し、此処で待ってて」

 ユリはルーツの肩にポンと手をのせると、一人で道の先へと歩いて行く。ルーツは訳が分からずキョトンとしているだけだった。この先は、いままでと違い、一本道。ようやくこの小汚い細道も終わりを迎えようとしているところなのに、どうしてユリは張りつめた顔をしているのだろう。

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 疑問があるなら聞けばいいのに。こんなことすら聞き返せずにいるうちに、ユリは、ルーツが居る場所から十歩ほどスタスタと足を進めた。そして、何も無い空間に向かって、問い詰めるようなきつい調子で、こう言い放つ。

「そこの三人、用があるなら聞くけど、そこで何してるの?」

 ルーツはまじまじとユリを見た。辺りを見回すが、誰もいない。両目を擦ってみるものの、やはり誰もいない。

 ということはもしや、心労でユリはおかしくなってしまったのでは――? そんな失礼なことを考えていると、前方から若い女性の悲鳴が聞こえてきた。

「痛い、痛い。そこ、足上げて! 分かったから!」

 ユリの体が宙に浮いている――。

 だが、その奇天烈な光景は長くは続かず、どこからともなく、顔を土足で踏みにじられた状態の女性が、ユリの足元に現れた。驚く間もなく、ユリの左右からも、ルーツよりも少し背が大きいくらいの二人の少年が現れる。

「すいません。姉ちゃんが、次通る人を驚かせたいって言って聞かなかったので」

「そうそう。でも姉御、だらしねえや。こんな小さいのに負けるなんて。俺、姉御のこと尊敬してたのに、幻滅しちゃうなあ」

 ユリに踏まれたままの女性は、手足をバタつかせて逃れようとしていた。だが、ユリの力が意外に強いのか抜け出せずにもがいていた。

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「ちょ、ちょっと。もしかして、どかない気でいるの? このままだと、綺麗な私の顔がぐっちゃぐちゃになっちゃうんだけど」

「まあ、喋れるなら、しばらくは平気でしょ」

「姉ちゃんなら大丈夫です。頑張ってください」

 女性は遠回しに少年たちに助けを求めたように見えたのだが、少年たちは随分と素っ気ない。

「そんなことよりさあ! 俺たちの魔法を見破るなんてどうなってんの? これ、本当なら六年生にならないと教えてもらえない呪文なんだよ! 開校以来の天才である俺でも成功するのに半年かかったのに」

「そうだよ。折角なら人がたくさん集まる日に悪戯しようと思って、計画の真っ最中だったのにさ……姉ちゃんが、事前に練習が必要だ、なんていうから」

 少年たちはユリの傍に駆け寄った。どちらも、女性を気にかけることは無く、目をキラキラさせながらユリを見ている。ルーツはまたも、置いてけぼりだった。一人だけ何が起こったのか分かっていない。それどころか、この場にルーツが居るということを誰も気にしていないように思えた。

「見破るって……あんたたち二人は普通に、そこに突っ立ってただけじゃない。もっとも、こっちの人が、道を塞ぐように寝っ転がってたから不審に思ったんだけど」

「やっぱり、姉ちゃんのせいでしたね」

「そのまま地面に飲み込まれちまえばいいのにな」

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 どこまでが冗談のつもりだったのだろうか。ふとユリの足元に目を向けると、そこに先ほどまであったはずの女の人の顔は無く、代わりに一本の手が地面から、許しを乞うようにしょんぼりと突き出ていた。

「それは、やりすぎだと思います。反省してください」

 大人しそうに見える少年が、言葉遣いが荒い少年をたしなめた後、その手を掴んだ。地面がぐっと盛り上がり、女性の全身が現れる。

「うわーん。本当に一生、土の中で過ごさなくちゃいけないのかと思ったよー」

「抱き着かないでください。気持ち悪いです」

 土まみれのまま、少年に向かって飛びつこうとした女性は、なぜか次の瞬間、不自然な角度で首から落下し、またも地面に埋まった顔を抜こうと躍起になっていた。

「ああ、何度もすいません。この人は放っておいて構いませんから。恥ずかしながら、いつもこんな感じなんで……それはそうと、本当に僕たちの姿が最初から見えていたんですか?」

 そう聞かれたユリは、首をかしげる。

「まるで、見えていない人が居たみたいに言うのね」

 少年たちは顔を見合わせた。

「今の聞いた? これが強者の余裕って奴だよ!」

「聞いた聞いた、すげえよな。流石って感じだぜ!」

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 ルーツはただ戸惑うことしか出来なかった。ルーツには見えていなかった彼らの姿を、ユリが最初から捉えていた。発言から推測するに、どうやら少年たちはそのことに感心しているらしい。これは、魔法が使える者と、使えない者の差なのだろうか。しかし――、

 ルーツが知っているユリは、一番簡単な魔法でも、使えこなせず苦労していた。実際、選考会でリカルドたちと戦った時も、ユリは一切魔法を使っていない。ルーツと同じように、ただひたすら相手の魔法を躱すことに専念して、言い方を悪くすれば逃げていただけである。それだけに、魔法を見破るなどという芸当がユリに出来るとは思えなかった。

 ユリは一瞬、困った顔でルーツを見た。が、すぐに目を逸らす。今のルーツから有益な助言が得られるわけがない。そう思ったのだろう。それは癪だが懸命な判断だった。事実、ルーツはユリ以上に事の次第が分かっていないのだから。

「そういえば、何でこんな人気のないとこ歩いてたの? 後ろの男の子は……君をつけまわしているわけじゃないんだよね」

「なわけないだろ。あんな気弱そうな奴に女子をつけ狙うなんてこと、思っても出来るわけがねえ。派手な悪戯は、姉御ぐらい頭がぶっ飛んでる人の特権なんだ」

 少年たちにあれこれ聞かれてはいるが、

「もちろん、私が連れまわしてるのよ」

 ユリはその都度、堂々と受け答えている。こう、傍から会話を聞いているだけだと、ユリはどう見ても人見知りには思えない。村にいた頃とはまるで別人だった。ルーツの知らないユリの一面、いや、もしかすると段々とルーツに出会う以前の記憶が戻ってきているのだろうか。記憶が戻るなら、それは良いことであるはずなのに、なぜだかルーツの心の中はざわつき始めていた。

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「悪いけどそろそろ行くわね。門の所に人を待たせてるから」

 上手く会話を切り上げる姿も、以前とは異なる。

「ま、待ってよ」

「そうだぞ、何でここを通ったのか、まだ聞いてねえぞ」

 ユリはルーツを手招きして、その場をさっさと立ち去りかけたが、少年たちはしつこくユリに食い下がった。ユリは一つため息をつくと、また一瞬だけルーツを見る。面倒に巻き込まれた、と言いたげな顔をしているが――どことなく嬉しそうでもあった。ルーツと二人でいる時よりも、ずっと。

「まあ、いっか。別に一刻を争うってわけでもないんだし」

「やったー! 流石、姉御! よ、太っ腹!」

「器の広さが、世界一!」

「けなされてるってわけじゃないのに、無性にムカつくのは何故かしら」

 姉御の地位をあっという間にユリに奪われた女性は、先ほどより激しくもがいていたが、地盤が固いのか、よっぽど奥まで埋められたのか、未だに抜け出せないようだった。……というより先ほどより深く埋まってしまっている気がする。既に、肩の辺りまでが土の中に消えていた。

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 ユリがどんどん離れていく。初対面であるはずの少年と楽しそうに談笑しているユリを見て、ルーツはそんなことを考えていた。何もかもが変わっていく。ハバスもリカルドも、気が付いた時には、魔法を習得していた。村長は心の中に悪意を隠し持ち、ユリも以前の自分を取り戻していく。そんな中で、ルーツだけが以前と同じ、泣き虫のままだった。


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