番外小話

魔王と本屋と〈こどもの日〉


 その日、魔王城モールの西塔の上に、真鯉と緋鯉が並んで泳いだ。


「…………なんですかアレ」


 昼休み。

 そのさまを前庭から見上げたヴァルの呟きに、意外そうにユッテは目を瞬く。


「あれっ? ご存知ないんですか?」

「ないですよ。どうして私の城に、縁もゆかりもない魚の旗が、ああも悠々となびいているんですか」

「〈こどもの日〉だからですよ」

「こどもの日?」


 なんだそれはと明確に訝しげなに、ユッテは野菜スープを渡す。今も木陰は涼しいけれど、そろそろ暑くなる時季だ。これも冷製スープか、いっそ野菜ジュースにしてもいいかもしれない、と思いながら。


「子どもの健やかな成長を祈る祭日です。あの魚の旗は〈鯉のぼり〉といって……ええと、なんだったかな……確か、子どもの立身出世を願う縁起物、みたいなものだったかと」

「一から十まで聞き覚えがありませんね……」

「ありゃ。百年前にはなかったんですか?」

「少なくとも私は知りませんね。あるいはどこかの辺境種族のものだとすれば、あったとして関知していないだけのことでしょうが」


 なるほど、と頷くユッテ。

 確かにこれだけの種族が混在するようになった現代、どの祭日がどこのなに由来かなど、いちいち言われることはない。ユッテにとっては、生まれた時から当たり前のようにあるもので、今となっては、当たり前のように職場に干渉してくる厄介事だ。

 ヴァルとの間にサンドイッチの包みを広げ、自身もそれを一つ手に取る。


「ここ最近、うちの売場でも子ども向けの商品が多めだったの、気付きませんでした? それとか、絵本売り場に紫アイリスや騎士の兜の壁飾りが貼ってあったのとか。あれも全部、この〈こどもの日〉関係なんですよ」

「ほう」

「まあそれも今日までなので、閉店後には全部撤去するんですけど……」


 イベント事の面倒は、この入れ代わり時期にあるとユッテは思う。

 グラデーション的な変更ではなく、ケーキにナイフを叩き入れるような、決定的分断を覚える変更なのだ。一夜のうちにガラリと変わる内装は、ただ見る分にはワクワク感を煽るけれど、行うほうとしては日常業務を圧迫する厄介事だった。

 その一方で。


「でも、売り上げもぐんと伸びる時機なので、まあありがたいイベントではあるんですよ。お父さんお母さんが子どもさんのために、おじいちゃんおばあちゃんがお孫さんのために、みなさんそれなりの金額を使ってくださるので」

「なるほど。商業施設としては、利用しない手はないということですか」

「身も蓋もないけどそういうことです」


 購買意欲を上げてもらうのは大事なことだ。「年に一度のイベントですから!」「この機会にぜひ!」と声を上げる理由が多い分には、ユッテとしても異存はない。少しの面倒事に目をつぶれば、十分なリターンがそこにはあるのだ。

 そんな話を交わしながら、お互いもぐもぐとサンドイッチの昼食を続ける。


 〈こどもの日〉は国の祭日なので、観光地たる魔王城モールは順調にごった返している。家族連れから友達同士、お一人様もいるだろうが、皆一様に楽しげだ。そういう時にはよく金が動く。だからユッテは真面目に働く。

 うむ、と午後からの気合いを入れ直したところで、サンドイッチを食べ終えた。

 ぱたぱたと手をはたき、ユッテはふと思い至る。


「あれ? それじゃあヴァルくん、カシワモチも知らないですか?」

「なんですか、カシワモチって」

「これですよー、これこれ」


 ユッテは鞄をあさり、特製のおやつを取り出す。


「これこそカシワモチ! 〈こどもの日〉の定番お菓子です!」


 ばばーん! と開いたランチボックスの一つには、丁寧に並べられたカシワモチ。

 しかしそれを一瞥して、ヴァルは眉根を寄せた。


「なんです、この白い物体は? それにこの植物の葉、生じゃないですか? とても食用には見えないんですが」


 そこまで警戒するヴァルを見るのは珍しく、しかも対象がカシワモチということで、ユッテは思わず笑ってしまう。すぐさま睨まれて澄まし返ったが。


「葉っぱは殺菌作用がある飾りみたいなものなので、確かに食用ではないですね。この白いモチモチした部分が、〈モチ〉って呼ばれるお菓子です。お米を蒸して潰して作るもので、いろんなお菓子に使われるんですよ。カシワモチは、モチ生地の中に、甘く炊いた豆のジャム〈アンコ〉が入っています。おいしいですよ」

「米の〈モチ〉と豆の〈アンコ〉……ですか。聞いたことがないですね」

「あ、それはそうだと思います。〈モチ〉も〈アンコ〉も、勇者ユウタロウが伝えたチキュウのものらしいので」


 おまけにそれが伝えられたのは、ユッテの先祖である菓子職人、パティスリー・トラヤの創始者だ。他にも〈ヨウカン〉や〈マンジュウ〉といった独自の菓子を展開する中、季節商品であるカシワモチは、子どもの祭日に欠かせない人気商品となっている。

 と、ユッテが言うのを聞いて、ヴァルが目元を押さえて息をつく。


「……ちょっと待ちなさい。それなら由来がどうのなど、考えずともわかるじゃないですか」

「へ?」


 百年前にはなかった祭日。

 それに縁付けられ、勇者から伝えられたチキュウの菓子。


「どう考えても、あの男が持ち込んだものですよ。この祭日」

「おお――なるほど確かに」


 ぽん、と拳で手のひらを叩くユッテ。言われてみれば納得である。

 しかしそれはそれとして、と渋面の相手にランチボックスをずずいと差し出す。


「でもほら、お菓子に罪はないでしょう?」

「まあ……それはそうですが」

「せっかく作ったんですから、一個くらい食べてくださいよ。一口食べて、よっぽどダメだったら、かじった残りはわたしが処理しますから」


 実を言えば、ユッテはこのカシワモチが大好きである。小さな元・魔王が食べないにしても、このランチボックス分はぺろりと食べるつもりで作ってきた。家にもまだ二十個ほどある。誰が食べなくても自分が食べる。

 そんな食い気からの発言だったが、ヴァルは一瞬、真顔でユッテを見た。

 そして、そこにあるのが無邪気な食欲だけなのを認め、残念そうに首を振る。


「まったく、貴女というひとは……可愛げの欠片もない」

「えっ、なんで唐突に罵られたんですかわたし。善意の塊なのに」

「食い気の塊の間違いでしょう」

「おっと図星」


 そんなアホみたいな会話をしつつ、警戒心も薄れたらしく、ヴァルはおとなしくカシワモチに手を伸ばした。小さな口で、ぱくりとかぶりつく。


「ね、おいしいでしょ?」

「…………まあ、悪くはないですね」


 もちもち、と口を動かしながら、もちり、ともう一口かぶりつく。どうやらお気に召したらしい。もちもち食べ続ける子どもを横に、ユッテも大好物を手に取った。

 そしてかぶりつく前に、ふと隣へとそれを掲げてみせた。


「ヴァルくんの、健やかな成長を祈って」


 驚いたような紅い双眸が、ふっとやわく細められる。


「……ユッテさんの、平穏無事な幸せを祈って」


 掲げ返された食べかけのカシワモチに、ユッテは笑って、自分のモチを軽くぶつける。


 もちん、とした柔らかな感触が、クセになりそうなほど心地よかった。





「そういえば、午後から広場で〈こどもの日〉のイベントがあるらしいですよ。子ども限定のゲーム大会をするとか。参加してみたらどうですか?」

「おや、いいですね。すべてのゲームで勝ちを攫って、参加者も運営側もまとめて阿鼻叫喚に陥れるのも悪くない」

「魔王の所業!」




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