魔王城モールへようこそ!

かがち史

魔王城モールへようこそ!

第1章

第1話 魔王の書庫



 ――かつて世界には、大陸を統べる偉大なる帝国が存在していた。


 不死鳥の加護篤きかの帝国は、帝王を支える〈聖火導師せいかどうし〉の導きのもと、大いに栄え、華やかなる時代を築き上げた。

 海を臨む帝都には百万を超える民が住まい、広大なる港湾には帆船マストが林のごとくそびえ立った。街道には旅するものが行き交い、各地の文化は爛熟した。

 人も人でないものも、友好を築き、平和を謳歌していた。


 しかし、それは四百年の昔。

 栄華を誇ったかの帝都は、一夜にして、灰燼と帰してしまった。


 魔王が率いる魔物の群れが、帝都を攻め滅ぼしたのだ。


 時の帝王は骨となり、〈聖火導師〉は姿を消し、不死鳥の加護をなくした帝国はまさに灰の山が崩れるようにして崩壊した。

 残骸そびえるかつての帝都。その沖合に突如として現れた魔王城に近付けるものは、長く存在しなかった。荒れ狂う海と数々の水妖に阻まれ、船は沈み、英雄たちは散っていった。

 悪しき魔物が大地を跋扈し、空を埋め尽くして人々を恐怖に陥れた。善良なるものは彼らの暴挙に怯え、日陰に暮らす日々が何百年と続いた。

 されど――我らの希望は、潰えてはいなかった。


 暗き絶望の時代に終わりを告げたのは、異世界より来たりし一人の少年。

 〈聖紋〉の戦巫女を含む3人の仲間とともに、各地に蔓延る魔物を倒し、海原を越えて魔王を追い詰め、ついにはその首を討ち取ったのだ。


 悪は滅び、善が満ちた。

 人も人ならざるものも、善良であるものはみな異世界よりの勇者を讃えて、新たなる国の指導者として迎え入れた。

 不死鳥の加護は失えど、善きものたちの世は再び栄えゆく。




 ――そんな叙事詩の時代から百年。


 主を失った、かの魔王城は、今――





          *





「――ちょっとどういうこと!? 今日発売の本が、なんでないのよ!」


 爽やかな初夏の昼下がり。

 過去一ヶ月分の新刊が並んだ平台の前で、わたしは今、己の過失ではないことについて、お客にしこたま怒られている。


「申し訳ございません。そちらの商品は、明日の入荷予定になっておりまして……」

「そんなわけないでしょ!? 今日発売って雑誌にもウェブにも書いてあったのよ!? バカにしてるの!?」


 キャンキャンとやかましく吠え立てるのは、大陸一の観光地でもあるここに合わせてだろう、リゾート感満載のワンピースをお召しになった竜人リザードマンのご婦人だ。……ご令嬢かな? 爬虫類系の顔立ちは、あまり見慣れないせいで、年齢層すらよくわからない。

 わたしにわかるのは、このお客のお怒りの原因が、首都での発売日が本日付になっている漫画本コミックスだということだけだ。


 確かにその作品は今の売れ筋で、既刊新刊ともに多数の入荷を予定している。そのためのコーナーだって、すでに準備済みである。けれど。


「申し訳ございません、お客さま。ご存知の通り当店舗、海上に孤立してございますので、首都および副都周辺より、大海蛇シーサーペント便でも最速一日は商品入荷が遅れてしまいまして……」

「そんなのわたしたちには関係ないじゃない! そっちの職務怠慢でしょ!? もう、アンタみたいな小娘じゃ話にならないわ! 責任者呼びなさいよ、責任者!」

「…………大変申し訳ございません。少々お待ちくださいませ」


 平身低頭しておいて、足早にその場を後にする。

 周りのお客からは同情的な視線をいただいているが、正直な話「責任者を呼べ」の一言は、我々平社員にとって救いの言葉だ。なんといっても、面倒くさい客を上に丸投げすることができるのだから。


 ……管理職は大変だ。わたしは絶対、昇進だけはしたくない。


 とはいえ今日は、店長がいない。間近に迫ったお祭り騒ぎの準備のために、ここ最近、城内の店長会議に出ずっぱりなのだ。わたしであれば一日でギブアップするような面倒スケジュールをこなしているのはすごいと思うけれど、こういう時には、ちょっとばかし恨めしくなる。あの堂々たる姿で出てきてもらえたら、こんな厄介も一発で収まるはずなのに。


 ……なんて。


 いない相手を恨んでいても仕方がない。「店長がいなければ、副店長に縋ればいいじゃない」ということで、絵本売場にいるはずの彼女を探しに行く。

 が、そこまで到達する前に、副店長に遭遇した。どうやら、売場中に響いていた件のお客の大声に、心配して出てきてくれたところらしい。

 とっても美人な副店長は、とってもお上品に小首を傾げる。


「大丈夫? ユッテちゃん」

「すみません、副店長。あちらのお客さまの対応、お願いします」

「あらあら。それじゃあ代わりに、こちらをお願いしてもいいかしら?」


 こちら、と下ろされた視線を追って、そこに子どもがいることに初めて気づいた。ぱっと見では断言できないが、おそらく種族は人間だ。まだ幼児らしく、副店長と繋いだ反対の手指を不安げにしゃぶっている。……汚い。


「迷子ではないのだけど、お母さんが『ここにいてね』と言ったまま、もう一時間、帰ってこないそうなの。城内放送と警備の方への連絡、お願いしますわ」

「……わかりました」


 状況の引継ぎを簡潔に終わらせて、子どもの片手を引き受ける。しゃぶっていないほうの手を取ったはずなのに、じっとりと熱く湿っていて思わず鳥肌が立つ。


 ……うええ。早く終わらせよう。


 とりあえずレジカウンターまで一緒に戻り、小さな生き物を見下ろした。真っ直ぐ見上げてくる目に少し怯みながら、にこりと笑って聴取を始める。


「お名前、言えますか?」

「……とっど」

「トッドくんですね。トッドくんのお父さんとお母さんは、人間ですか?」

「……にんげん?」

「あー……わたしみたいな感じですか? それとも、あの人みたいに角や尻尾がありますか? それか、あんな風に髪が緑だったり、花が咲いていたりしますか?」


 副店長やレジ係の木の精霊ドライアドを指差しながら、意思の疎通を試みる。種族によっては幼体の間、身体的特徴があまり出ないものもいるので、素人判断で決めつけてしまうのは危険なのだ。

 その言い方でようやく理解したらしく、トッド少年は「つのない。おはなもない。ねーちゃみたい」と、唾液でべとべとの指をわたしに向ける。汚い。

 どうにか種族はわかったものの、それ以上のこととなるとコレには無理だ。あとは服装の描写とうちにいるということだけで、なんとか保護者に辿り着いてほしいところだが。


 ……本当に、こういう基本常識のない生き物を一人にしないでほしい。


 深々と溜め息を洩らしたいけれど、トッド少年の手前、笑顔を崩さずカウンターの通信用水晶へと向かう。魔力を動力源に生体登録がしてあるので、従業員にしか使えないものだ。もちろんわたしは登録済み。

 城内インフォメーションへ迷子放送の依頼をして、警備室にも連絡する。城内警備兵に来てもらって、トッド少年を預かってもらわなくてはならない。こっちも仕事中なのだから、業務外の託児受付などするつもりはないのだ。


 ……まあわたしの場合、業務としてお給金を足されたとしても、子どもの相手なんてしたくもないけど。


 警備に通信を繋いでいると、軽やかなチャイム音が空間に流れる。


『……本日は、ザ・フィーンド・モールにお越しいただきまして、ありがとうございます。ご来城のお客様に、迷子さんのお知らせをいたします……』

「すみません、迷子の引き取りをお願いしたいんですが。ええ、今の放送の……」


 インフォメーションが早速、放送してくれているのを片耳に、警備室のおじさんとやり取りする。この通信がわたしは未だに苦手だけれど、もっと苦手なものが片手に繋がっているのだから、まさに背に腹は代えられない。


「はい、北館三階の〈魔王の書庫〉です。お願いしま――」

「――トッド!」


 警備室との通話を終えようとした矢先、飛んできた声に顔を上げる。

 店の出入り口に、人間の女性が立っていた。人間だけれど、人間に見えない顔立ちだ。美醜という観点ではなくて、怒り心頭といった表情が。鬼人オーガかな?

 そんな恐ろしげな相手に、トッド少年は「まま!」と顔を輝かせる。


「あ、お母さまですか……」

「もう、おとなしく絵本読んでなさいって言ったでしょ! なにしてるの! ほら、行くわよ!」

「あの……」


 こちらを一瞥すらせずに、騒々しく子どもの手をもぎ取っていく女性。その勢いが怖かったのだろう、火がついたように泣き出したトッド少年にすらろくに構わず、逃げるように店を後にしていった。

 その後ろ姿を、店内一同でしばしポカンと見送った後。


『……迷子は解決かい?』

「あ、はい。そうですね。嵐のように解決しました。親子ともに、もう二度と来られないことを願うばかりです」


 まだ繋がっていた警備室に苦笑されて、思わず本音がポロリする。


「ユッテちゃん。営業時間中のお店でしてよ」


 副店長の慣れた相槌に、「おっと」と慌てて口元を隠す。

 その一方、どうやら今の荒々しい人間親子の一部始終が、竜人マダムが己を顧みるきっかけとなったらしい。そそくさと退店していく彼女を見送って、こちらに来た副店長が、色違いの双眸をお上品に細める。


「ご来店くださった方は、みなさま大切なお客さまですわよ。たとえ、己の過ちを認めたくないがために店員を怒鳴りつける恥知らずでも、託児所代わりに子どもを放置する無責任な愚か者でも、お客さまはお客さまですわ」

「……そんなこと言って。副店長だって、もしも商品を盗まれたり荒らされたりしたら、原身に戻って相手を半殺しの目に遭わせるでしょう」

「いいえ、まさかそんなこと」


 この世のなによりも本を愛する玉眼竜ヴィーヴルは、にっこりと、この上なく不穏で物騒な笑顔を浮かべる。


「そんな輩、八つ裂きにして水妖ウォーター・リーパーのエサにして差し上げますわ」

「……営業時間中のお店ですよ、副店長」


 店内の体感気温が一気に下がるような威圧はやめてくださいね。

 あらあらうふふ、と微笑む副店長に、それはともかくお客対応のお礼を告げて、インフォメーションにも迷子解決の連絡を入れる。すぐにその旨の城内放送が流れるのを聞きながら、わたしは、自分の作業へと戻っていった。


 例の竜人マダムに声をかけられるまで、わたしがしていたのは、入荷商品の店出しだ。通常船便の箱から出した新刊既刊が、山のようにワゴンに残っている。


 ……今日中に終わるかなあ、これ。


 今日はまだ火の日、平日半ばにもならないけれど、いつもに増して入荷の数が多い。あさって金の日から六日間、国家規模での大々的な祝祭が行われるその影響だ。学院や工房、公的機関などが連休になるため、その期間にガッツリ売ろうな!と出版各社が頑張るらしい。現場はつらい。


 だけど……うん。今日のものは、今日のうちに終わらせないと。


 後に残せば、自分が痛い目を見ることになる。

 就職して一年たった今のわたしには、それがわかっている。





 ――明後日から始まる〈魔王討伐百周年記念祭〉。


 かつて主を失った魔王城を、伝説の勇者主導で改装した商業施設〈ザ・フィーンド・モール〉――通称〈魔王城モール〉。

 そのメインテナントのひとつとして、わたしたちの本屋は、当時もかくやの戦場となる未来を背負っているのだった。




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