第15話 雇用問題

 午後――庭先に用意されたテラスに腰を下ろし、燦々と降り注ぐ太陽の下、俺は世界地図をめつけていた。


「う~ん」


 俺が何をしているのかと言うと、単純明快。いざとなった時の避難経路と隠れ蓑を念入りに調査している。


「まっ、さすがジュノス殿下! お勉強熱心ですね! そういうところもとても素敵です♡」


 世辞を言いながらレベッカがいつものアールグレイをそっと出してくれる。

 が……鼻息と目線が少し気になる。


 なんだろうと彼女の視線の先に目を移すと、お茶菓子として今しがた出してくれたイチゴの乗ったショートケーキに喉を鳴らしていた。


 食べたいのかな?


「ゴクリッ……」


 弧児院で育ったという彼女からすればショートケーキはとても高価な物だろう。

 いやいや、例え弧児でなかったとしても、一般庶民が口にする機会などそうそうあるものではない。

 近頃は特に砂糖の値が高騰していると聞くしな。


「食べる?」


「へぇええっ!? そそ、そんな……滅相もありません! これは貴重なジュノス殿下のおやつでございますから……ゴクリ……ッ」


 いや、食べづらいわっ!

 それに、確かに甘い物は俺も好物だけど、いつも一生懸命広い屋敷を掃除してくれているレベッカに、恩返しできることが何も思いつかない。


 こういう時、本当の王子様だったら遠慮とかせずにパクパク食べるのかも知れないが……何分、俺は小心者のクズニート。そんな鋼のメンタルは持ち合わせていない。

 何より、彼女への忠義に何一つ報えていないのだ。


 まぁ、労いと感謝がショートケーキというのもどうかと思うのだが、今はこれくらいしかしてやれない。


「俺はいつも王宮で食べてたから、たまにはレベッカが食べなよ。仕事で疲れている時に甘味はとてもいいんだよ?」


「で、でも……ジュルリ」


「レベッカが疲労困憊の末、倒れられたら俺が困るからね。仕えてくれる家臣の体調管理は主人の務めなんだよ。だからほら、食べて!」


「い、いいのですか?」


「うん。レベッカに食べてもらいたいんだ!」


「そ、それでは……ゴクリッ、お言葉に甘えて……」





「お、美味しいです! ジュノス様!」


 キラキラと瞳を輝かせている。こういうレベッカの表情を見ることはあまりないから新鮮だな。

 年相応の女の子らしくて、おっさんほのぼのするよ。


 特に、レイラとステラの2人に挟まれた後だと尚更癒される。


 とても美味しそうに涙を浮かべながらイチゴのショートケーキを食べる彼女を見ていると、俺もとても幸せな気分になることができた。


 しかし、そんな呑気なことを考えている場合でもない。

 ステラ・ランナウェイに引き続き、リズベット・ドルチェ・ウルドマンまで現れたとなると、失敗した時のことを考慮して置いた方が賢明だろう。


 確か……エンディングでは兄弟を国から追放し、信頼を置いていた一部の家臣達を殺された後、貴族達の裏切りによって俺はアメストリアに差し出される。

 その後……多くの民衆が見守る中、処刑台で首を刎ねられジ・エンド。


 この時、もしも俺に味方をしてくれる仲間が居れば他国に亡命することも、或いは援軍を出してくれるといったこともあったのかも知れない。


 残念ながら、ゲームの中では他国と関わるということができなかった。

 しかし、これはゲームではない。

 これまでだって俺の意思で、ゲームでは決して来ることのできなかったポースターに来ることができたし、魔法学校にも入学できた。


 それらを踏まえた上で、俺の行い一つでまったく別のエンディングへ向かおうとしているのかも知れない。

 ただ、物語収束説が正しければ、そう簡単に未来が変わらないのも事実。


 万が一、帝国がアメストリア……もしくは別の国に攻め込まれ敗北してしまった時ッ! その時こそ俺のこれまでの行動が試されるという訳だ。


 そこでこの世界地図が必要となってくる。


 帝国の王都セルダンを中心点として作られた世界地図。

 西には宿敵アメストリア国……龍の背骨と呼ばれる巨大な山脈地帯を挟んだ向こう側に位置している。

 書物によると、山脈には龍の口と呼ばれるトンネルがあり、そこが両国の通り道となっているらしい。


 このトンネルを通って商人達は馬車などで物資を運んでいるという訳か。

 もしくは迂回して南西の海から船で運ぶのかな?

 何れにせよ、軍隊を龍の口から移動させるには少しばかり無理がある。


 と、なると、重要なのは南……。

 南には数多くの小国が連なっている。書物によれば海住かいじゅ連合という独自の組織形態を有しており、一つ一つは小さな島国の集まりだが、その力は決して侮れるものではない。


 中でも、武党派と呼ばれるのがオルパナールと言われる島国。

 オルパナールの先住民は元々海賊業を生業にしていたと書物に記載されている。

 そのため、多くの国々からは正式に国としては認められておらず、差別的な見方をする者も少なくないらしい。


 どこの世界にもこういう偏見の目というものがあるということか。

 過去は過去、現在いま現在いまとならんもんかね。


 それに、考えるのは民草の集まり……革命軍の存在だ。

 革命軍がいつ発足されるのか、俺には皆目見当もつかない。

 既に革命軍が存在するのか、或いはこれから帝国に嫌気が差して作られるのか……謎だ。



「ああ、さっぱりわからん!」


「何か勉強でお困りですか? ジュノス殿下?」


 と、小首を傾げるレベッカの口元には、先ほど食べたショートケーキの生クリームがついている。

 その愛らしい見た目と仕草に、僅かばかしの英気を貰い。思わず頬が緩んでしまう。


 本当に仕方ない子だな。

 娘を持ったような気持ちで、彼女の顔についた生クリームをハンカチでそっと拭ってあげた。


「ひぃっ!?」


 ――ボッ!


「ん……?」


 またレベッカの顔が真っ赤に染まり、頭頂部から煙が上がっている。

 本当に機関車みたいなだな。

 太ももを擦り合わせているところを見ると、お花でも摘みに行きたいのかな?


 そうだよね。年頃の麗しき乙女がおトイレに行きたいとは中々言えないかも知れないな。

 おっさんはその辺が抜けているのかも知れない。

 何せ彼女いない歴イコール年齢だからな。


「陽が暮れてきて少し肌寒くなってきたね」


「にに、西風邪・・・が流行ってると聞きますからね」


 西風邪……? そういうのがあるのかな? まぁいいか。


「屋敷に入ろうか?」


「は、はい……」


 それとなく、屋敷にレベッカを誘導して、おトイレに行く時間を作ってあげる。

 これだって立派な主の務めだ。

 尿意を催しておトイレにも行けないなんて、とんだブラック企業だからね。


 そういえば、レベッカのお給料とかってどうなっているんだろう?

 それに、ずっと俺に付きっきりで休暇とかあるのかな?

 なければ黒も黒、真っ黒なブラック企業のクズ社長(俺)じゃないか!


 気になる……。

 雇い主としてはその辺しっかり把握しておくべき案件なんじゃないか?

 給料や休暇といったことは、働く上で最も危惧すべき事柄だろう。


「レベッカ、一つ気になったのだけど、お給金とか休暇はどうなっているんだ? その辺の契約内容に関しては……雇い主として申し訳ないほど俺は無知でね」


「お給金でしたらメイド見習いとは思えないほど頂いております。逆に申し訳ないほどですよ! これもジュノス殿下のお側にお仕えさせて頂いているお陰です。休暇は……ジュノス殿下が学園に通われている間に休ませて頂いているので」


 う~ん、これは参ったな。

 給料面に関しては俺の専属メイドということで、一般の王宮メイドの3倍ほど貰っているらしいが、休みがないのならブラックだろ!

 この問題に関しては早急に手を打たねばな。


 レベッカが倒れてからでは遅い!

 しかし、何かいい策がある訳でもないし、困ったな。

 一応求人募集の張り紙でも作って街に貼らせて貰おうかな?


 うん、それがいい。

 条件は……そうだな……。


 部屋のテラスから街を一望する。

 この屋敷は貴族街のその奥に位置する高台――キングストリートにある。

 そこから見渡す街並みはとても素晴らしいのだが……街の一角、北側は民草すら近寄らないスラムだとレベッカが言っていた。


 帝国を改革するに当たってもっとも必要なのは、スラムで生きる者達だろう。

 彼らの暮らしを知るためにも、積極的に関わりを持たなければならない。


「と、なると……」


 求人条件はスラムに住む子供だ!

 なぜ子供かというと、単純に大人は怖いからだ。

 もし間違ってギャングみたいなのが来てしまったら……多分俺は家出する。

 よって怖くない子供がいい。


 子供は素直だから取り繕ったりもしない。

 だから、忌憚のない意見が聞けるだろう。

 彼らの生活や不満に耳を傾けることが、改革への第一歩だと思う。



「よし、そうと決まればチラシを作るのは間違いだな。スラムで暮らす彼らが文字を読めないかも知れないからね」


 俺が学校に行っている間に、レベッカに頼んで街の人達に喧伝して回ってもらうか。

 彼女の仕事が増えてしまうのが心苦しいが、すべてはレベッカに休暇を与えるためだ。

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