ヒロイック・エンデ・フォアアベント

【ヒロイック、終演前夜】



 ヒロが振る舞った夕食はどれも精がつくものだった。決戦に備えて、少しでもエネルギーを蓄えようという配慮だった。

 まだまだ若い少女たちは、たらふく食べてすぐ眠気に襲われる。


「布団敷いて、眠れるだけ眠りましょう。目覚ましはセット済みよ」

「なんで人数分の布団があるの?」


 あやかの質問は黙殺された。

 英雄の一声で方針は決まった。やいやい賑やかにリビングに布団一色がセットされる。洗い物をしながら、ヒロはその光景を感慨深そうに見つめていた。彼女だけはいつも寝室のベッドで一人だった。


「今日は、私も一緒に寝てみようかしら⋯⋯?」

「ダメ」


 一番弟子からの却下が入った。ヒロはみぃなを見る。


「お前、寝相がすこぶる悪いじゃんか。メッタ蹴りにされるのは嫌だぞ」


 そんな理由が。

 あやかと真由美とえんま。三人の視線が突き刺さって英雄が縮こまる。あやかは一間に耳打ちした。


「⋯⋯⋯⋯そんなにすごいの?」

「すごい。てか、やばい。しかもすぐ脱「その話はもうやめましょうかさっさと寝ましょう!!」


 怒らせない方がいい相手もいる。相変わらずマイペースなえんまが何かを言おうとしたが、みぃなが羽交い締めにして阻止する。


「⋯⋯あの、お片付け私も手伝います」


 寝惚けまなこで舟を漕いでいる真由美が手を上げた。健気な申し出だが、今にも夢の世界に旅立ちそうな少女に食器を洗わせるわけにもいかない。ヒロはやんわりと断った。

 ちなみに、先程から妙に静かな寧子は、敷布団を敷いた時点で爆睡していた。面倒見が良いみぃなが布団を掛けてあげる。ハードな特訓に疲労困憊みたいだった。


「ルーチン、て言ったらいいのかしらね? いつもやっていることをいつも通りやっていると落ち着くの。だから私にやらせて頂戴。真由美ちゃんは⋯⋯⋯⋯あらら」


 正座のままかっくり首を下ろす少女。近くにいたあやかが寝かせ、布団を掛ける。穏やかな寝顔だった。その様子にあやかも安心する。


「俺も寝ますよ。しっかり休んで、バッチリ決めてやる」

「よろしくね。貴女なら、きっとやれるわ」


 急に睡魔が襲ってきた。あやかも疲れが溜まっていたのは変わらない。すぐに意識が暗転した。







 ノックに、ベッドに入る直前だったヒロは振り返った。扉は開いていた。脱ぎ捨てたばかりのパジャマを慌てて抱き寄せる。


「ちょ、ちょっと⋯⋯なんで気配を消すのがそんなにうまくなってんのよ」

「英雄様の裏を取れたのは自慢だね。クセになってんだ、音を殺して歩くの」


 悪戯っぽい表情。軽く弾んだ口調から、彼女なりの冗談だと判断した。一度寝室から追い出そうとするが、みぃなはお構いなしだった。


「あーもー、相変わらず寝るときゃ裸族か」

「ぃ、言わないでよぅ⋯⋯⋯⋯」


 身体を隠す腕を、みぃなは強引に剥がした。抱えていたパジャマが落ちる。


「抵抗、しないんだな。悪い英雄様だ」

「⋯⋯⋯⋯もぅ、ふざけるのはやめなさい!」


 頰を膨らませて、顔を真っ赤に染めて。そんなかつての相棒を、みぃなはベッドに投げ捨てた。


「ブラくらいつけとけ」

「寝苦しいんだもん⋯⋯それより! みぃなもきちんと寝なきゃダメよ! ずっと寝たフリしていたでしょう?」

「なんだ。それはバレてたんだ」


 耳元で囁く。面白いように真っ赤になる彼女に、赤の少女は小さく笑った。自分の色に染め上げているようで気分がいい。


「だが、収穫はあった」

「収穫?」

「ジョーカーの奴がめっふぃと会話していた。わざわざ全員寝静まった後にな。お前、あのウサギと最後に会ったのはいつだ?」

「⋯⋯⋯⋯そう言えば、全然見ないわね」


 みぃなはベッドに腰を下ろした。スプリングが効いているのか、少し跳ねる。


「厳密に」

「何が言いたいの?」

、じゃねーのか?」

「⋯⋯⋯⋯確かに」


 今まで気にも留めていなかった。


「あたしもそーだ。ジョーカーとツルんでから奴を見ていない。ジョーカーは関係を密にしてたみてーだが」

「目的が分からないわ。めっふぃも、えんまちゃんも、『終演』を倒したいのは一緒のはずでしょ?」

「そこはあたしも疑っていない。だが、それを為すためにやたらトロイメライに拘っていた。思い返してみれば、ずっとそーだった。そして⋯⋯メルヒェンをずっと警戒、敵視してきた⋯⋯⋯⋯よーに感じる」


 ヒロは首から下を掛け布団でガッチリとガードする。その一方で、考える。みぃながこのタイミングで打ち明けてきた意味を。わざわざ声に出して伝えにきたことの意味を。


(めっふぃ⋯⋯いるのね、ここに)

「メルヒェンは⋯⋯しょーじき、怪しい。あたしならこの隙に潰しておく。ヒロは、どーしたい?」


 どうしたい。意向を汲んでくれるのか。ヒロの心が小さく跳ねた。

 ジョーカー一派は敗れ、同盟の主導権はヒロイックが持つ。だが、デッドロックの言葉にはそれ以上のものが含まれていた。戦友として、戦う理由を問うている。


「本当に真由美ちゃんだけが怪しい? えんまちゃんの方がめっふぃと何かを企んでいて、彼女がそれを止めようとしている構図にも見えるわ」

「それはトーゼン。けど、どっちかを選ぶなら、あたしはさっき言ったとーりだ」

「解った。その上で言わせてもらうけど、やっぱりこのまま行くわ。全員で『終演』に臨む」


 誰一人欠けることなく。それを本気で目指していた少女が、きっと決着の一撃を決めてくれるだろう。運命を抉じ開ける突破力。ならば、その通り道だけはせめて。


「リスクを残すのか? どー転ぶか分かんねーぞ?」

「いいわ。私がいる。貴女もいる。リスクなんて、みんなで背負えばいいじゃない。誰かを切り捨てて勝っても、それは本当の勝利じゃないもの」

「⋯⋯⋯⋯あんたに言って、本当に良かったよ」


 道は決まった。後は突っ走るだけ。

 立ち上がろうとしたみぃなが、手を掴まれて止まる。振り払おうとするが、離してくれない。どころか、強引にベッドまで引き摺り込まれた。


「ちょっと、一緒に寝てて」

「⋯⋯⋯⋯⋯⋯はいよ。蹴るんじゃねーぞ」

「うん」


 あれだけ、強くて強くて仕方が無かった女が、小さく震えていた。


「『終演』、今度こそあたしらが倒すぞ」

「覚悟、決めたわ。思い出したの、私の願いを。

 だからもう――――何も手離したりなんかしない」







 運命の至る空。最果ての時。

 荒れ狂う空模様に、満天の星が覆われてしまった。全てを薙ぎ払う暴風圏が少しずつ近付いて来た。その真正面に立つ英雄ヒロイックの頭に声が響く。


『トロイメライは配置についた。ジョーカーも予定どーり追随している』


 デッドロックの声。彼女の『幻影』の魔法を応用させた、幻聴という形でのテレパシーだった。相手は結界を展開する必要すらない規格外の呪詛。尋常ではない規模の戦場でコンタクトを取るためには、彼女の魔法が必要だった。


『了解。遊撃よろしく』


 見上げる空に、無数の矢印が浮かぶ。想定通り、『M・M』も戦場に現れたようだ。ヒロイックはゆったりと踊り始める。リボンを鎧に、鎖を翼に。

 既に展開された布陣は、トロイメライの最大の一撃を通すため。彼女らに想いを馳せる。


(独りじゃない。心強い。こんな気持ちで戦えるなんて、夢みたいだわ)


 夢。

 それはかつて、郁ヒロがヒロイックになった時に抱いた魂の願い。ぼんやりとよぎる記憶。忘れたままの日々に、一つの光が煌めいた。


「私がマギアになった理由。その時の願いが、今ならはっきりと分かる」


 自縛城塞ヒロイック。

 全力全開で挑んでも不足の無い相手だ。今まで培ってきた全てをぶつける。


「私の願い、それは――――――――――」


――――独りになりたく無い。



 両親を失い、その命も落とそうとした時。少女はそう願った。他の何よりも、独りになることを恐れていた。

 そのために、戦い続けた。

 誰かのために戦ったのも。そのために戦う力を身につけたのも。相棒を作ったのも。弟子を作ったのも。誰かと暮らすための環境を整えてきたのも。

 全て、この願いのため。

 今ならはっきりと分かる。


「私⋯⋯解ったよ。だからもう、絶対に手離さない。たったそれだけの願い。だから――」


 仲間を。一緒にいてくれる人たちを。守ってみせる。

 それがマギア・ヒロイックの戦いだ。



『他にはなにもいらないの』








『ラストコール・エンドフェイズ』


このネガは「終演」の性質を持つ。

世界に終焉を報せて幕を閉じる、そんな舞台装置。

彼女の役割は後片付けであって、本来であれば登場人物ですら無い。

煌めきに満ちた夢想舞台に幕を下ろして現実を呼び戻す。

終わった世界には、当然、何一つ残らない。

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