第2話 病室の1日
清水…、舞台…、稽古中…おぼろげな記憶が、森一の頭の中で一気に鮮明になる。
「そうか!あの時!」
森一は、有名な脚本家と映画監督が見にくると言われていた舞台稽古の最中だった。
その時の状況を思い出して、思わずガバッと上半身を起こした森一に、遥がベッドの半分を斜めに起こしながら
「しばらく安静。でないと今度の舞台本番、本当に間に合わなくなる。」
と声をかけて、森一の両肩を抑えて床に付くように促す。
「慢性的な胃炎から来たことみたいだから、念のために胃がん検査もしてもらうことになってます。」
小さな子をたしなめるように遥が森一に言葉をかけた。
「胃がん?」
「そうよ、ちょっと痩せすぎ。ちゃんと食べてるの?」
「うん、まあ。」
「気分は?」
「大丈夫。悪くない。」
「よかった。じゃあ『目覚めました』って報告に行ってくるね。」
と言って、森一に掛けたふとんを整えて、遥が病室を出て行った。
目覚めたら病院のベッドの上。
それはすごく不安な状況のはずなのに、自分を知る人間が身近にいるということがこれほど心強いことなのか、と改めて森一は噛みしめた。
「俺はどれだけ眠っていたんだろう。今何時だ?何日なんだ?」
森一が見渡すと、窓を覆った白いカーテンから日差しが漏れている個室。
枕元の棚には、水差しにオレンジのガーベラが一輪挿されていた。全部遥が誂えたものだったことを森一が知ったのは、ずいぶん後である。
森一は窓際に置かれたベッドに寝かされて、左腕に点滴の管をつけられていた。
「点滴が付いてたのか。」
と、それにすら今まで気づかなかったことに森一は、一人で苦笑いした。
しばらくすると、遥を含めた数人の看護師を従えた先生が来て、往診が始まった。
たいした時間はかからなかったはずだが、森一には意外と疲労感があった。
「あとは血液検査用に採血させていただいて、今日のところは終わりです。もう点滴も終わりますね。河合さん、点滴が終わったら外してあげてください。」
と、にこやかに森一に告げた病院の先生は、遥を除く数人の看護師と一緒に、病室を出て行った。
残った遥が、採血用の注射器を準備して、森一の右腕を握った。反射的に森一が腕に力を入れてしまうと
「怖がらないで大丈夫よ。こう見えても他の患者さんから『うまいね』って言われてるんだから。力を抜いて。」
と遥が笑う。
「そういうわけじゃないんだけどさ。やっぱ注射器って恐怖感があるよな。」
と、遥に右腕を預けて注射器の先を見ないように、一瞬真剣な顔に変わる遥の表情を見ながら森一が本音を言う。
森一はその夜、意外なくらいよく眠ることができた。
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