悪鬼であれ

ガラクタ

第一章 「人斬り」

一話「二人の関係」


道も建築物も石造りで統一された城下町を、夕日が紅に染め上げる。

その紅を背にしながら、少年は走っていた。肩で息をしながらも決して止まる事は無く。時折背後を確認しながらも駆けるその姿は、まるで夕焼けに追い立てられているようだった。


絶対に捕まってはいけない。父と母が命を懸けて守ってくれたんだ。その一心で少年は我武者羅に体を動かしている。もう足の感覚が無くなりつつあったが、奴らはまだ自分を探している筈だ。だからまだ、走らなければ。


少年の心と体はもはや限界だった。まだ十にもなってない子供が両親を失い。住む場所を追われ、さらには命まで狙われているのだ。


己には重大な使命がある。そう鼓舞せねば、立つことさえ儘ならなかった。目一杯涙を湛えて、それでも慟哭の衝動を必死に押し殺さねばいけない。


彼が動けなくなる程走りぬいた頃には、夕日はすっかり顔を潜めていた。

少年が無意識の内にたどり着いたのは、ずいぶん前に家族で歩いた大通り。

自分を守るために、命を捨てていった両親との思い出の場所。


もう我慢ならなかった。追手の事など気にも留めず。少年は声を張り上げて泣き叫んだ。こんな時父なら、何も言わずに頭を撫でてくれた。こんな時母なら、痛いほどに抱きしめて一緒に泣いてくれた。そう自分を慰めるように思い出しながら、会いたいと叫んだ。


その瞬間だった。背をし抜くような気配を感じ急いで振り返る。

ぼんやりとしか視認できなかったが、それが追手だという事は理解できていた。

心の奥底に押し込んでいた恐怖が汗と共に一気に噴き出してくる。今まで見ない振りをして来た‘’死‘’が眼前まで迫り、こちらを睥睨へいげいしているのだ。


額から流れた汗が地面に落ちたのと同時に、道に並ぶ街灯が灯った。


鬼だ。そこには黒い鬼が立っていた。それの片手に握られた重々しい刃は、鈍い光を湛えている。それで僕を引き裂くのか。少年は戦慄くように尋ねたが、返事はない。さらにはこちらの事などお構いなしに、乱暴な足取りでそれは距離を詰めてくる。少年は泣き叫びながら助けてくれと懇願するが、鬼は答えない。


「僕が、悪かったです……っ」


しかしその絞り出すような命乞いを受けて、鬼はようやく足を止め首を傾げた。


「本当に悪いと思っているのか」


抑揚のない声でそう投げてきた彼の瞳に、少年の顔が映った。年相応にぐしゃぐしゃになって泣く彼は、鬼の問いに一縷の希望を見出したのか、急いで涙を拭って叫んだ。


「思ってます! だからどうか――」


目にも留まらぬ早業で、少年の言葉は首と共に断たれる。刃に付着した血を外套で拭いながら、黒い鬼は忌々しげに吐き捨てた。


「だったら死ね」


その面から覗かせる双眸は、ひどく濁り切っていた。少年の持っていた手紙を回収し、その首級しるしを手持ちの布に包んで元来た道へと向かう。


近年激化しつつある革命軍との内戦は、首級かれの様な子供にまで命を懸けさせている。どの陣営も食うに困っている貧民を見つければ、その命を二束三文で買い叩く。買われた本人には適当な理由を持たせているので、指を何本詰められようが情報が洩れる事は無い。それどころか道端にぶちまけられる事自体が合図になっているのだと言う。


本当に辟易する。この国の人命は金貨よりも軽いらしい。


「懺悔するようなら最初から悪事など働くな。三人だ、お前と父母。そのみすぼらしい大義とやらで三人も死んだのだ」


腕の中の物言わぬ亡骸に向けて、男は無慈悲にもそう投げつけた。その言葉と同じように、彼の瞳には感情が一切籠っていない。しかし首級を抱えるその腕にだけは力が籠り微かに震えていた。



「遅いぞラセツ!」


丁度裏路地を抜け、持ち場である露店通りに出た所でその声は投げられた。ラセツと呼ばれた男はその声に答える事無く、呂色ろいろに染められた鬼の面に手を当てる。声の主は白い外套の女。鳥の面の所為で表情はうかがえないが、彼女の所作で大分苛立っているという事は理解できた。


彼らは剣兵けんぺいと呼ばれ、決められた区域を持ち場として二人一組で巡警する。白外套の女はラセツの相方だった。


「追いかけていた子供はどうした」


女は短く切りそろえた金色の髪を掻きながら、ため息交じりにラセツへと言葉を投げつけた。その問いは子供の安否を気にして投げられたわけではない。この国では、犯罪者の殺害には一切の法が適用されない。老若男女問わず。貧富問わず。殺した数だけ誉れとされ、場合によっては国王直々に褒美を送る事もある。


だからその機会の多い剣兵に皆憧れ、成り得た者は血眼になって犯罪者の命を狙うのだ。


彼女の問いは、ちゃんと仕事をこなしたかの確認に過ぎなかった。


「殺した」


ラセツは首級を女に渡すと、それだけ答えて背を向ける。彼女は首級を渡されたのが気に食わなかったらしく、立ち去ろうとするラセツの肩を掴んで引き留める。殺した数だけ誉れになるとは言っても、他人からのお零れはその限りではない。より気高くあろうとする者であれば、それは顔に唾を吐かれるのと同じ。最大限の侮辱に当たる行為に他ならなかった。


ラセツは振り向きざまに胸ぐらをつかまれ壁に押し付けられる。鳥の面で隠れていても分かるほど、彼女は怒っていた。それとは対照的にラセツの目には感情の色はなく。眼前の女が映っているかすら怪しかった。それが女の怒りに拍車をかける。二人は付き合いこそ長いが、その間には幽谷よりも深い溝があった。


「また一歩夢に近づけた。よかったなスワン」


眼前の鬼は目を細めて煽る。実の所彼が行動を起こしたのも、面の裏とはいえ表情が変わったのも初めてだった。しかしスワンと呼ばれた白外套は怒りの余りそんな事に気付く余裕すらなかったらしい。首級を抱えている方の腕を振りかぶり、目の前の男を睨みつける。首級が地面に落ち、鈍く湿った音と共に、布に滲んでいた血液が石畳を檜皮色ひわだいろに染めた。


「殴らないのか」


待てど暮らせど拳が飛んでくる事は無かった。しかしスワンの怒りが弛む様子は無く、待ちくたびれたラセツはついそんな言葉を零してしまった。彼女の握り拳が音を立てて軋む。


「貴様……!」


そして遂にスワンの拳が振り下ろされようとした直後、露店通りに叫び声が響き渡った。


「人斬りだ! 人斬りが出たぞ!」


二人はその声に聞き覚えがあるように感じた。一瞬それについて考えたが、剣兵になってから短いわけではない。おそらくは露店商の誰かが叫んでいるのだろう。と声の主について考える事はやめた。


最初に動いたのはラセツだった。己の胸ぐらを掴んでいる手が緩んでいる事に気付き、軽く払ってから声のした方向へと走り出す。人通りが疎らになり見通しが良くなっていた所為か、ラセツの注意は完全に前方だけに注がれていた。


次の瞬間。鈍く風を切る音と共に、凄まじい衝撃がラセツの背を襲う。あまりにも突然の出来事だった為か対応が利かず思い切り前のめりに倒れこんだ。通行人達は理解すら追いついていないようで、皆が立ち止まり状況を確認するべくラセツの周囲を取り囲んでいた。やっと状況を理解して心配の声を掛けられ始めたという所で、ラセツは顔を上げる。


少年と目が合った。そこで漸く自分を襲った鈍痛の主を理解した。


あの女はあろうことか首級を投げつけたのだ。ラセツは伏臥ふくがのまま周囲を見渡して彼女の名を叫ぶ。


「それはお前のだ! お前が屯所とんしょに運ぶんだ、いいな!」


その声は遥か前方から聞こえてきた。今から走って追いかけても間に合わないだろう。ラセツはようやく観念したのか、ゆっくりと立ち上がると首級を拾い上げる。

そして深くため息を吐くと、スワンとは逆方向に走り去っていった。

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