AGA
夜23時。
普段なら終電で帰る客がちらほらと現れる時間帯だが、今夜も客は一人のハゲだけである。
「オレたちタメじゃん?」
ハゲはピスタチオを剥きながらぼそりと言う。
カウンターの中でグラスを磨いていたロン毛は「そうですけど?」と冷淡だったが、ハゲは気にした風もなく会話を続ける。
「同じ40年間生きてきてさ、どうして俺はハゲでそっちはロン毛なのかと思うと、お互い違う人生があったんだなって、感慨深いものがない?」
「髪の毛の長さ程度で人生語られても」
ロン毛は呆れたように言いながら、グラスの代わりにメガネを拭き始めた。ちなみにメガネを取るとロン毛の目は「3」みたいな形になる。古典的漫画表現みたいな男だ。
「ちょいちょい! おいロン毛、髪の毛は重要だからな!?」
ハゲがカウンター越しに身を乗り出すと、照明が当たってキラン★と頭が光った。
実のところ、このハゲはガチハゲではない。
過剰なダイエットによる副作用で髪の毛が薄くなってしまったのを気にしてAGA治療の増毛剤を飲んでいたつもりが、トドメの一撃で嫁の脱毛材を飲んでしまい漫画のようにはらりはらりと全身から毛が落ちてしまったのだ。
鼻毛もがっつり抜け落ちてしまったせいで風邪を引きやすくなったが、最後の砦である眉毛とまつげが抜けたらもう世を儚むか娘にお願いしてマジックで描いてもらおうかと考えている。
「高いAGA治療だったんだけどなぁ」
「ええと……。AGA治療に使用されるミノキシジルを外用薬として利用した場合、含有量が多いほど副作用がある、と」
「なんだそれ?」
「代表格は頭皮のかゆみだが、頭痛、めまい、気が遠くなる、胸の痛み、心拍が速くなる、体重増加、手足のむくみ、接触皮膚炎、湿疹、脂漏性皮膚炎などが確認され───」
「え、そんなに副作用あんの?」
「あと性的不能、勃起障害、腎性全身線維症……」
「おおい! マジか!」
「ダイエットしたら毛が抜けて? それをAGA治療をしたら体重が増加して、またダイエットすると毛が抜けて……。なんの永久機関ですか、あんた」
「嫁の脱毛剤でその負の連鎖から逃れられた。ありがとう嫁」
「その代償が全身パ○パンですか」
「全身パイ○ンって言うな! 父親が全身パ○○ンとか、娘が虐められるだろうが! てか勃起障害ィィィィ! うわぁぁぁぁ!!」
パ○○ンとは成人に達しているが陰毛が生えていない状態を表す俗語である。この話の流れだとハゲの体毛はすべて陰毛だということになる。
そんなパイパ○野郎の人生における最大優先度は「男性下半身の活動」にある。それが失われたら死ぬかもしれないと思えるほどに大事なのだ。
「えーと、錠剤はもともと降圧剤として開発されたもので、循環器系への副作用が強いため降圧剤としても使用されなくなった経緯があります。育毛剤としても利用することはお勧めできません、と書いてありますね」
「ち、ちがうもーん。俺が使ってる薬はちがうもーん」
「そこで現実逃避する?」
「逃避する! 頭皮だけに!」
40歳おっさんの滑らかなギャグも、二人きりだと冴えない。
そこに新たな客人がやってきた。
「!?」
ロン毛はメガネが割れんばかりに目を見開いた。ギャグマンガだったら眼球がギョーン!と飛び出してメガネレンズを突き破っていたかもしれない。
店に入ってきたのは両手に若い男のゾンビを抱えて、嬉しそうなメス顔をしている女性常連客のヨシミンだった。
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