笑顔をもう一度
くろ
第1話 帰省
2016年10月、東京。
少し肌寒いくなり始めたが曇のない青空が広がる。
都心の10階建てマンションの605号室。
部屋の窓からは東京を主張する赤いタワーが存在感を示してた。
それとは対照的に窓から地上を見下ろすと、日本を支えるサラリーマンたちがランチを求めて外に出ていた。
そんな平日のお昼頃、ふだんなら仕事をしている時間に伊勢まことは一週間分の宿泊荷物を準備していた。
2ヵ月前に送られて来た同窓会の案内状。
その案内状に【参加する】と返信したため、数年振りの帰省をする事になった。
大きなキャリーケースの中に、服よりもまず仕事道具を入れていく。
忘れ物がないか、確認した後に帰省先で着る服を見繕う。
(九州って、この時期暑いんだっけ?)
まことの生まれ故郷は福岡県の住宅地。
福岡といえば天神・博多と華やかな街はあるが、まことの故郷はどこにでもあるような住宅街の街。
美味しいラーメン屋より、格安のラーメン屋が人気。
そもそもラーメンよりも、うどんの店の方が多いのが福岡県の特徴だ。
まことは高校まで福岡で過ごし、高校を卒業してからは知り合いの伝手で東京へ拠点を移していた。
福岡を離れ9年、成人式以外では仕事を理由にして、実家に帰ることがなかった。
地元を離れて時間が経ち過ぎていた事もあり、10月中旬に持って行く服装に迷う。
(まあ、暑かったら安いシャツでも買うか)
ネットで調べれば解決しそうだが、適当に服を見繕ってキャリーケースの中に放り込んだ。
必要な荷物を詰め込み、一旦自宅の玄関へ持っていく。
自分の部屋に戻ったまことはクローゼットをあけ、深緑の薄手のコートに手をかける。
ジーンズにキャラクターが描かれているTシャツ、そしてクローゼットから取り出したコートを羽織り鏡の前に立つ。
(これなら良いかな)
宿泊の準備を終え、着ていく服も決めたところで一本の電話が鳴った。
部屋の中央に置かれたテーブルの上、携帯がブーッブーッと持ち主に着信を伝えていた。
テーブルの携帯を右手に取りながら、同時に左手でタバコを掴む。
「はい、まことです」
まことは電話に出ると共に、口に加えたタバコに火を付け、少し大きく息を吸う。
電話の相手はまことの同業者だった。
以前から付き合いのある同業者兼取引先で、二人で飲みに行くか頼みたい仕事があるかのどちらかの時に電話が掛かってくる
今の電話は後者だった。
まことは、これから一週間休暇で地元に戻っているため断ろうと思ったが、
大事な取引先という事で受ける事にした。
「来週の水曜まで地元にいるので、それ以降でも大丈夫ですかね?」
納期の話になる前に自分の状況を伝えた。
すると相手は声のトーンを明るくし、
「まことさん地元に帰るんですか?
そしてら博多美人撮ってきてくださいよ!
地元確か福岡でしたよね?」
電話相手の興味津々というトーンに気圧されながらも、まことはそれを了承した。
先に依頼された仕事は東京に戻ってきてから、という話で落ち着いた。
まことの仕事はフリーのカメラマン。
専門的な事は学校ではなく、カメラマンの師匠から教わったので仕事も人伝てで入ってくる事の方が多い。
電話を切って時計を見ると、予定して出発の時間まで後10分ほどに迫っていた。
(そろそろ行かなきゃな)
そう言いつつ、タバコをもう一本吸い始めた。
タバコを吸っている間「博多美人」というワードから浮かぶ知り合いの顔を思い出していた。
(だめだ、あんまり同級生の顔、出てこねぇや)
思い浮かべても2〜3人ほど、それも中学や高校時代の記憶なので現在どう成長しているかがわからない。
そもそも、思い出す人数が少ない事に、同級生に申し訳ないと思ってしまった。
福岡を離れたのは18の時。
それから27歳になるまで、中学や高校の友人に会うという事があまりなかった。
地元を離れたと言っても大学進学や野心を持って上京している同級生がいる事は知っていた。
ただ、その同級生たちは、あくまで同級生の「知り合い」レベルだったのだ。
東京という街の中でその知り合いレベルの同級生に会っても、おそらく気づかないだろう。
そのため、学生時代の思い出を語り合うことはなかったし、思い出す事もなかった。
いや、思い出さないようにしていただけかもしれない。
まことの脳裏に浮かぶ、一人の女の子の顔。
(そういえば、あいつ同窓会にくるのかな・・・)
まことが学生時代を思い出さないようにしていた理由の人物。
名前は「佐倉 結衣」
結衣の顔が浮かび、静かに記憶を探る。
中学生の時に知り合い、まことが福岡を離れるる前日まで『親友』だった女の子。
記憶の海に思考をダイブさせ、口元の集中力が落ちる。
すると、燃えるタバコの火種が重さに耐えきれず、右手に落ちた。
「・・・あっつ!」
右手親指の付け根に落ちた火種を灰皿に急いで落とす。
台所の水を出し、火種が落ちた部分を冷やすが、ふっくらとやけどの症状が出ていた。
食器棚の上に置かれた救急箱を取り出し、絆創膏を取り出す。
やけどした右手に絆創膏を貼っていると、飛行場へ向かう時間になったことを知らせるアラームが鳴る。
(そろそろ行かなきゃな)
軽く右手を抑えつつ、自宅の玄関へ向かう。
部屋の電気を消した事を確認し、玄関の扉を開ける。
キャリーケースを左手に、リュックサック型のカメラバックを背負い外に出る。
自宅の玄関の鍵を閉め、音楽を聞くためにウォークマンを起動させる。
ウォークマンにイヤフォンジャックをつなぎ、自分の耳にイヤフォンをはめる。
自分の部屋から少し離れたエレベーターフォールに向かう間に、ウォークマンを操作しながら何を聞こうかしばし考えた。
下矢印のボタンを押し、エレベーターの到着をしばし待つ。
10Fにあったエレベーターがゆっくりと6Fに到着する。
誰も乗っていないエレベーターに乗り込み、1Fのボタンを押す。
エレベーターが5F、4Fと降りていき、まことはウォークマンの再生ボタンを押した。
まことが選んだのは特定の音楽ではなく、「全曲シャッフル&リピート」
何が最初に来るかわからないので、まことは何が一曲目にくるかお楽しみにしていた。
エレベーターは1Fに到着し、ドアが開くと同時に、右足を前に出す。
その時、ようやくイヤフォンから音楽の1曲目のイントロが流れる。
イントロを耳にしたまことの足が一瞬止まった。
それはまことが中学3年の時に流行っていた音楽。
春の卒業シーズンの名曲。
あの時に言えなかった言葉は今も胸の中に仕舞ってある。
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