第1話

 まだ、残暑が厳しいが――どこか、涼しい風が吹き抜けるようになった日々。

 九月に入り、駅前のロータリーはやはり人が少なかった。コンビニと美容院、そして昔からある定食屋しかないような、さびれた駅前北口。

 そこのロータリーのベンチの木陰で座りながら、行き交う人たちをぼんやりと見守っていた。そうしながら、少し前の電話を思い出す。


 受けた電話で響き渡っていたのは、絶え間ないノイズだった。

 がさ、がざざざ、と耳障りな雑音の合間を縫うように、声が耳元に届く。

『リント、頼みたいことがあるんだが』

「あ、ああ――その、大丈夫か? 兄さん」

 思わず聞き返すほど、その声は頼りない――通話の音量を、最大まで引き上げる。

 その分、ノイズも大きくなる中で、僕は耳を澄ませた。

『大丈夫――とは言えないが、まずは頼みごとだ。少し、匿ってほしい子がいるんだ』

「匿って、欲しい子? また面倒事かよ……」

『はは、すまないが、頼む。名前は、フィアンメッタ――イタリアの子。金髪ロング、身長は百六十前後、小柄な女の子。日本語は上手――それ、と……ちか……で……』

 そこでひどい雑音が入り、思わず眉を寄せる。手頃なメモに書く。

「すまん、最後の方が聞きとれなかった」

『げほっ――ああ、うん、いいや。多分、見れば分かる……』

 雑音の合間から咳き込む音――重い、湿った咳。いよいよ心配になる。

「まさか、兄さん、しくじったんじゃ……」

『大丈夫だ。フィアンメッタ以外は、面倒を、かけない――駅前、北口に来る。すぐに、拾ってやってくれ――じゃあ』


 ――と言われて、駅前北口に来たものの……待ち合わせ時間が結局、分からないからな。

 ため息交じりに、コンビニで買ったお茶を飲み、暑さをしのぐ。

 兄さんも大分、急いで電話を切った。下手を踏んだ可能性すらある。里に報告を入れるべきだろうな――全く、面倒ごとを。

 彼は異境専門のトラブルシューター、それ関係で何かやらかしたのだろう。

 とはいえ、正直、あんまり心配はしていない。単身でマフィアの拠点に突っ込み、事務所を壊滅させたこともあるぐらいだし。

 そう思いながら、飲み干したお茶のペットボトルを捨てようと腰を上げると――。


 不意に、ぞわりと嫌な感覚が走った。


 ――なんだ? なんというか……さりげなく、気持ち悪いような感じに似ている。

 そこまで殺気染みた、深刻なものではないのは、分かる。

 たとえるなら、好きな料理の中に嫌いな食材が見えた瞬間、というか……。

 何か、違和感がある――それに眉を寄せながら、辺りを見渡す。

 ロータリーを囲むように設置されたベンチには、待ち合わせの人がまばらにいる。だが、金髪の外国人など、見当たらない、が……。

 ひとまず、近くのゴミ箱にペットボトルを捨てた瞬間、不意に一人の女性と目が合った。


 スタイリッシュな格好をした、女性だ。

 身長は僕と同じくらいの百七十前後。ジーパンに、白い英字Tシャツ。上に羽織っているのは、黒いパーカー。野球チームのロゴが入っているような、帽子を被っている。

 ただ、髪は黒く――身長も違う。若干、顔立ちは西洋っぽいが……。


 スマホを手元で弄っていたが、僕と目が合うと、すたすた歩み寄ってくる。

 そして、十分な距離に近づくと、小声で口を動かした。

「――ハルトの、知り合い?」

「……キミの名前は?」

「フィアンメッタ。貴方は?」

「リント。ハルトの弟だ」

 淡々とした声だった。感情の起伏に乏しい表情で、そっと僕の肘を掴み、歩き出す

「行こう。見張られている――すぐに、動かないと」

「見張、られ……?」

 僕とフィアンメッタはさりげなくロータリーから離れる。それに、貼り付いている視線が気づいた。コンビニの駐車場――そこに、止まっているワゴン車。

 二人のスーツ姿の男が乗っている。あからさまだ。

「どこに狙われてんだよ、一体……」

「いろんなところ」

「うわぁ――兄さん、どういう面倒事に足突っ込んだんだか……」

「いいから、足を動かして」

 フィアンメッタに急かされるが、僕は視線でそれを制する――もう、感づかれている。

「動き方が変だったからな。多分、もうリークされている。視線を感じる」

「――どうするの? 撒く?」

「いや、手ごわそうだ。上手くごまかせれば――」

 しかし、どうやって疑いの視線をごまかす? どうすれば――。


「お、鈴人じゃんっ! やっほー!」


 不意に気の抜けた声が、コンビニから聞こえた。半袖短パンの夏スタイルの青年が、ビニール袋片手に駆けてくる――天の、助けか。

「よぅ、拓朗、待ち合わせ通りだな!」

 大きく声を上げながら近寄る。彼が困惑の表情をする前に、強引に肩を組み、小さく囁く。

「いいから、合わせろ。頼む」

「――ああ、せやせや! 今日は遊びに行く予定やったな!」

「ああ、三人で遊びに行くぞ。えっと、南口でいいか?」

「おう、ええでぇ! お、久々やな! 元気しとったか!」

 さすが、関西人。ノリが想像以上にいい。フィアンメッタにも、初対面のはずなのに馴れ馴れしく挨拶をかけている。彼女は、無表情で小さく頷く。

 気が付けば、貼り付いていた視線が、感じなくなっている――よし、いいぞ。

「ほな、南口行こか! 新しい茶店ができたらしいでぇ」

「おう、そうか。じゃあ、行くか」

「――ん」

 意気揚々と歩き出す拓朗の後ろについて、僕とフィアンメッタは歩き出した。


「――んで、鈴人、咄嗟に合わせたけど、何の小芝居だったん?」

「いやぁ、見つかると面倒な奴がいてな。助かった、拓朗」

「まあ、ええけど」

 南口の喫茶店。小洒落た雰囲気のその店で、アイスコーヒーを飲みながら、拓朗は釈然としなさそうに頬杖を突く。すまねえ、拓朗。

 隣に座ったフィアンメッタは、オレンジジュースを飲みながらちらりと僕を見る。

「ああ、こいつは僕の友人の、矢崎拓朗。大学の同級生で、紛うことなき一般人」

「変人でも変態でもない、一般人の、矢崎拓朗ですッ! よろしく!」

 馬鹿みたいなテンションで、彼はわざとらしい笑顔を浮かべる。だが、フィアンメッタは表情をぴくりともさせず、ちゅー、っとオレンジジュースを飲む。

「あかん、スルーが心に突き刺さるわ……」

「どうでもいいけど、帰省してから一気に関西人に戻ったな、拓朗」

「せやねん、あっちに一週間もおると、やっぱりな」

「まあ、ええやろ。そっちの別嬪さんは誰や? 鈴人」

「ん――」

 視線をフィアンメッタに向ける。彼女はこくんと頷いて告げた。

「私は、フィア。よろしく。拓朗」

「――お、おお、よろしくな、フィアちゃん」

 一瞬の硬直の後に、拓朗はぎこちなく笑い返す。どうせ、女の子に名前を呼ばれたことに感動しているんだろうな……全く。

「ったく、鈴人は羨ましいわぁ、サラちゃんに、アイリちゃん、そんで今度はフィアちゃん……綺麗ところが集まっているわ」

「そこまで気楽でもないんだけどな……ま、ひとまずフィアと合流できて良かった」

「ん、じゃあ、リント、この街を案内してくれる?」

 そういう彼女の視線が、意味ありげだ。僕は頷き返すと、拓朗を見た。

「んじゃ、拓朗――ありがとな。バイバイ」

「え、ひどっ、これから三人で遊ぶんとちゃうん?」

「これからフィアを案内しないといけないし、拓朗、邪魔だし」

「うわぁ……こん薄情ものめぇ……」

 恨めしそうに言いながら、彼はため息をついてアイスコーヒーを飲み切り、腰を上げた。

「まあ、それなら二人でゆっくりな。俺は、街をぶらついて帰るわ」

「――悪りぃな。気を遣わせて」

「ええよ、ただその代り、ここでの会計は持てよ?」

「分かっている。また、遊びに誘うわ」

「おうよ」

 ひらひらと手を振り、拓朗は喫茶店を後にする――からん、からんというカウベルの音が鳴り響き、フィアは気まずげに肩を寄せる。

「――拓朗に、気を、使わせてしまった」

「いや、この際は仕方ないだろう。こっちも、よく事情が呑み込めていない。今日の朝、いきなりフィアンメッタを匿ってくれ、って言われたんだから」

「ん――実は今、ハルトと私は追われている」

「どこに?」

「〈組織〉――と私たちは読んでいた。国際的な組織。詳しくは、分からない」

 想像以上に、厄介そうだ。国際的な、組織。

 普段なら、勘弁願いたい案件だが――他ならぬ兄の頼みである。応じるしかない。

 僕はため息をこぼしながら、コーヒーを一口。結論を出す。

「……ひとまず、僕の拠点でキミを保護することにしよう。そこで、ハルト兄さんから連絡を待つ――その判断でいいか?」

「むしろ、最良――よろしく。リント。私のことは、フィアでいい」

「分かった。よろしく。フィア」

 二人は握手を交わす。不安は絶えないが、兄さんのためにも今はやっていくしかない――。


 そう思った瞬間、不意に背筋がぞくりと何かが走った。


「うお……っ?」

「ん? どうかした?」

「いや、今、凄まじい勢いで悪寒が――誰かに、噂されたような……」


 その真偽が分かるのは、数時間後のことであった。

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