第四章 お隣さんは、金髪少女
第0話
涼しい風が、吹いている気がして――僕は、目を覚ました。
まだぼんやりとしている目で、部屋をぐるりと確認――。
見慣れた六畳間の部屋。一人暮らし用のワンルーム。畳敷きの、独特のなごむ香りは、どこか新しい。
当然、そこに住んでいるのは、僕――里見リント。大学に通う、という表向きの理由で、この部屋でのんびりと暮らしている。当然、一人暮らしなのだが……。
ちらりと窓を見やれば、開け放たれ、カーテンが揺れている。
おかしいな、夜にはちゃんと閉めたはずなのに……。
首を傾げた瞬間、ふとトイレの方から水音が響き渡り――ああ、と納得する。
部屋に、勝手にあがり込んできた人がいるのだ。
合鍵を持っているので、いつ入ってきてもおかしくはない――大事な、人。
かちゃり、と音を立てて扉が開き――少女が姿を現した。
「あ、おはよっ、お兄ちゃん」
「――ああ、おはよう。サラ」
そこに立っていたのは、無邪気な笑顔を浮かべた、一人の少女だった。
一言で言うと、子犬のような少女。少し癖のついた短い茶髪に、どこか甘さを残る可憐な顔立ち、琥珀色の瞳はつぶらはくりくりとしていて、それもまた愛らしい。
まあ、本当は子犬ではなくて、狼に近いのだが――。
事情があり、この前の夏、アパートの隣室に引っ越してきた。
そんな少女、里見サラは、僕の幼なじみで――そして、愛しい恋人だ。
昔から、彼女は僕のことを『お兄ちゃん』と呼んで慕ってくれている。
「お兄ちゃん、台所借りたよ――はい、朝ごはん、簡単なものだけど」
彼女はお盆に載せて、食事を運んでくる。そのラインラップに少しだけ苦笑い。
「トーストと味噌汁に、餃子か」
和、洋、中のバランスがいい。
「うん、ごめんね? 朝が早いから簡単なものしか作れなくて――味噌汁はインスタント、餃子もチルドのものを使わせていただきました」
「いや、ありがたいよ――朝早くから、ありがと」
僕はそう言いながら、ぽん、と彼女の頭に手を置くと、嬉しそうに彼女は相好を緩めた。
ちらりと時計を見れば、朝早い七時――夏休みの大学生には、大分早起きだ。
だが――サラはもう、夏休みではないのだ。
今のサラの姿は、きっちりとしたブラウスにリボンタイ、チェック柄のスカート――つまりは、制服姿だ。まだ着始めて一週間ほどのはずなのに、もう現役のJKっぽい。
「サラも高校生か……」
「えへへ、似合っている?」
「ああ、何度でも言うよ。可愛い。似合っている」
「えへへ……」
てれてれと彼女は頬を押さえて身悶えする。微笑ましく見守っていると、ぴょこんと頭の上に何かが跳ねる。寝癖、ではない――犬耳だ。
「おい、サラ、耳出ているぞ」
「あ――気を抜くと、すぐ出てきちゃう」
ふんっ、と彼女は軽く掛け声をかけると、するすると耳がどこかに消える。曰く、忍術とかそういう類らしいが――ともかく。
彼女は――いや、僕たちは、実は人間ではない。亜人――あるいは異境人と呼ばれる種族なのだ。
思わず、この夏の騒動を思い起こし、遠い目をする――。
この世界中には、観測できない空間、異境が存在する。そこの住民たちは、獣人、人魚といった人ならざる人であり、常に歴史の裏側にいた。
僕の兄、ハルトは社会に出てきて暮らしている異境人のトラブルを解決する『探偵』であり、僕は社会の中で暮らしながら、異境の里とハルト兄さんの連絡を取り持つ、連絡番の役割を持っていた。たった、それだけの立場だったのだが――。
夏に起こった、異境人が、連続で襲撃される事件をきっかけに、里からサラが送り込まれたのである。久々の再会と共に、一緒に暮らし始めた。
何事も終わればいい、そう思っていたのにも関わらず、その襲撃犯は僕たちの前に現れた。
その事件を通じて、僕とサラは関係を深め――恋人になったのだが。
そこからが、大変だった。
事件が解決したため、サラは里に呼び戻されることになったが、彼女は戻りたくないと意思を告げ、現代社会で生きたいと訴える。
彼女の父である、長老は、その意見に想像以上に反対した。
理由は『お前にはまだ早い』――その言葉に、サラはかちんと来た。
そこから盛大に、電話越しでの親子喧嘩である。
大喧嘩が三時間にわたり、長老の必殺泣き落としまで炸裂する事態になったが、それを上手く収めたのは、ハルト兄さんだった。
上手く長老を説得し、高校三年間のみ社会勉強を許してもらったのである。
兄さんには、頭が上がらないが――もちろん、社会に出る以上、ルールは守る必要性がある。つまり、社会に出るにあたって、獣人だとバレてはいけないのだ。
犬耳や尻尾はしっかりと隠さねばならない。周りに溶け込めるように努力する。
それができて初めて、異境から社会に出ることができるのだ。
「一応、耳が出ても問題ないように、保険でカチューシャもつけてはいるんだけど」
「まあ、馴れだよ。いざとなったら、バックアップはするし」
「えへへ、ありがと。お兄ちゃん」
立ち上がってくるんとその場で一回転。風でひらめくスカート――うむ、よい。
「じゃあ、私はそろそろ行くね」
「おう、気をつけろよ」
彼女が所属するのは、僕の通う大学の付属高校――そこまで遠くはないが、学校になじむまでは早めに登校したいそうだ。
僕は腰を上げ、玄関まで見送る。黒い革靴に履き、とんとんと爪先を整えながら、鞄を持ち直したサラは、髪を整えると、軽く顎を引いて僕を見上げた。
真っ直ぐな、瞳。それをすっと閉じて、爪先立ち――唇を突き出す。
それは、いつも朝、やっていることで――だけど。
「あー、すまん、今日はまだ歯磨いていないから……」
さすがにマナー違反か? と思って遠慮した瞬間、サラの指先が閃いた。
Tシャツの襟を引っかけ、一瞬で身体を引き寄せる。前によろめいた僕の身体を支えるように両手を肩に支えながら受け止め。
そのまま、首に腕で抱きつき――唇を、ぎゅっと押し付けてきた。
「――ッ!」
驚いた僕の目の前で、サラはうっとりとした表情で唇をたっぷり五秒。
そして、唇を離すと――ほう、と嬉しそうに彼女は目を細め、濡れた唇を色っぽく舌先で舐め、妖しく微笑んでみせる。思わず、胸がどきっとしてしまう。
「お兄ちゃんだから、そんなの気にしないよ。どんな匂いでも、お兄ちゃんはお兄ちゃんだし――それに」
「それに?」
「上の口より、下の口の方が匂いは濃いよ?」
「男の子の下には口はありませんッ!」
朝っぱらからの下ネタに、思わず全力で突っ込む――くすくすと彼女はおかしそうに笑い、そっと顔を近づけて、もう一回、口づけ。
その後に柔らかく笑って、手を振った。
「うん、じゃあ、行ってくるね」
「――ああ、行ってらっしゃい。気をつけてな」
脱力しつつも、気を取り直して手を振り返す。ひらりと揺れた彼女の後ろ姿が消えるように扉が閉まる。それを見届けて、ため息をこぼした。
「全く――毎朝ながら、騒がしいというか……」
だけど、それは幸せなため息で、思わず背伸びをしながら噛み締める。
お隣さんの、犬耳幼なじみは、とてもかわいくて――僕の恋人。
付き合い始めて、大分肉食系だと分かったけど、それもいい生活のアクセントだ。
笑顔で一緒にいてくれる彼女が誇らしくて幸せで、やはりたまらないのだ。
にやけ面を押さえながら、振り返り、朝食の後始末をしようとして――。
不意に、ポケットのスマホが軽く震える――着信だ。
その液晶に映った相手の名前を見て、軽く眉を吊り上げ、スマホを耳に当てた。
「もしもし――ハルト兄さん?」
後に知る――その電話は、新たな事件の前触れであった、と。
異境狩りの事件に続く、新たな騒動が、僕とサラを巻き込もうとしていた――。
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