第8話

 南総里見の里に住む異境の住民の九割は、獣人だ。基本的に犬や狼といった種族が中心となっている一方で、密かにいるのは――実は、蛇や竜の一族。

 特に僕の母の一族は〈水神〉として知られ、竜の力を恐れられていた。

 基本的な身体能力は異常なほど高く、竜の鱗の肌は非常に強固。水の中でも息ができて、水の親和性が高い――。

 その力は封印しないと抑えきれないほど、強大――。


 それが、僕の〈異能〉――竜人の、力だ。


 駆ける。駆ける。駆ける――。

 凄まじい勢いで地を蹴り、壁を蹴って、逃げに徹する異境狩りを追いかけていく。対する異境狩りは、獣人の〈異能〉で素早く逃げている。

 三次元的な、逃走劇。地だけでなく、宙も使う敵。

 ジグザグに飛び交う、影。怒涛の動きだが、ぴったりと僕はその後ろについていた。

 速度は、ほぼ互角――だが、異境狩りは身体の使い方に慣れない。

「――ッ!?」

 体勢を崩したところを、一気に肉迫――両手を握り合わせ、上からハンマーのように叩き落とす。衝撃と共に、男は弾け飛ぶ――。

 だが、地面に叩きつけられる直前に、姿が変化する。翼が生え、羽ばたきと共に体勢を立て直し、低空で飛ぶ。翼人の〈異能〉だ。

 やはり、切り替えが自由――厄介な〈異能〉だな……。

 とにかく、こいつは逃がさずに仕留め切るくらいの勢いで立ち回らないと――。

「余所見をしている、場合かッ!?」

 不意に、どくんと脈動――男の姿が変化、肥大化した身体で拳を地面に叩きつける。

 衝撃で砕け散ったアスファルトの破片。宙を舞い、行く手を阻む――わずかに、足が乱れる。その隙に、またしても脈動――人魚の、ような姿。

 何をやるつもりだ――? 嫌な予感が迸り、咄嗟に両腕で身体を庇う。

 直後、男は口を開き――絶叫。


「アアアアアアアアアアァ――――ッ!!」


 空をつんざく凄まじい音圧が駆け抜け、鼓膜からがつんと殴られたような衝撃が頭に走る。ぐらり、と揺れた身体――だが、踏ん張る。

 工場の天井のガラスは砕け散り、アスファルトがひび割れるほどの轟音――。

 セイレーン、の〈異能〉かッ!

「く、そ――ッ!」

 三半規管がもろにやられた。思わずふらついた足場に、一気に踏み込んでくる影。

 その姿は変化し――吊り上った口角から長い牙が、のぞかせている。

 チャンス――だが、衝撃で手足が動かない。身構えるのが、精一杯――。

 その腹に蹴りがしたたかにめり込んだ。

「か、は――ッ!?」

 吹き飛ばされる。だが、なんとか体勢を立て直し、勢いのまま、壁に着地――。

 そのまま、壁を蹴ってひらりと地面に着地。息を整えながら、拳を構える。そこに、異境狩りは間髪入れず動いた。〈異能〉を切り換え、冷気を集中させる――。

 瞬間、中空に無数の氷の槍が生じる。雪女の〈異能〉!

「くそっ!」

 両腕を、交差させる。直後、氷の刃が一気に殺到する。鱗が身体を守ってくれるが、徐々に身体が冷えていく。四肢の、熱が奪われる――。

「竜人とはいえ、基本は爬虫類――冷気に耐えきれるかッ!?」

「はっ、よう考えるわ――ッ!」

 吼え返すものの、実際に体力が急激に奪われているのが、分かる。

 いずれにせよ、チャンスは、一度のみ――ここは、まだ耐えるのみ。

 絶対、逃げるときはあの〈異能〉を使う。そこが、チャンスだ――。

「おおおおおおおおッ!」

 血潮を奮い立たせ、全力で氷の刃を受け止めていく。その抵抗に、わずかに攻め手が緩んだ――その瞬間に、僕は動き出した。

 床に突き刺さった氷の刃を引き抜く。それを、満身の力で男に投げた。

 身を逸らし、体勢が崩れる男。その隙に、大きく息を吸い込んだ。〈異能〉を全力で肚の底から引き出す。ここで、決める。全力の竜の一撃で!

 それに感づいた男が、脈動と共に姿を変えた。

 セイレーンの姿。僕が喉を開くと同時に、男も口を開く。


「アアアアアアアアアアアァァァ――――ッ!」

「オオオオオオオオオオオォォォ――――ッ!」


 最大級の音の津波――破壊と崩壊の旋律が響き渡り。

 最高熱の竜の息吹――灼熱と煉獄の螺旋が吹き抜けた。


 そして、爆音波と竜の息吹が激突する――!


 押し寄せる竜の息吹を、音波が押し返そうとする――だが、僕は喉を開き、さらに腹の底から煮えくり返る業火を噴き出す――満身の、力を込めて!

 それに徐々に、徐々に押され、やがて業火が男を呑み込んだ。

 瞬間、炎の渦から黒い塊が飛び出した。黒い靄のようになったそれから、声を響かせる。

『くそ――今日のところは、見逃してやる……っ! 首を洗って待っていろ!』

 捨て台詞と共に、男は身体を黒い靄に変化させ、割れた窓から逃れようとする。

 変化――つまり、その〈異能〉は……。


「吸血鬼。それを、待っていたんだよ」


 懐から『それ』を抜き放った。そして、鋭くタロットカードのようにそれを投げる。

 それは黒い靄に吸い込まれるように、飛来し――瞬間、紫電が迸った。

『がっ、ぎゃぁ、ギアアアアアッ!?』

 悲鳴を上げ、黒い靄が質量を以て落ちてくる。それを見つめながら、へぇ、と思わず感心する。あの陰陽師、疑っていたわけではないけど、意外に効果あるんだな。

 その黒い靄に貼りついている護符――それを見やりながら、じたばたと暴れる男を見下ろし、やれやれとため息をこぼした。

「吸血鬼は、変化、肉体強化――いろいろ力はあるが、弱点も多い。十字架やにんにく、聖水など――それを知らないと、弱点を晒すことになる」


 残念だったな、異境狩り。


 そう吐き捨てながら、その胸元にぶら下がっていたそれを強引に奪い取る。

 瞬間、〈異能〉の力が一気に弱まっていき――目の前の男は、ただの人間と化していく。僕は奪い取ったそれをしっかりと確かめる。

 一枚の、鏡――青っぽいそれは、細かい彫刻が施されている。

 異能の片鱗を感じるこれこそ――『力写しの鏡』なのだろう。

 それを奪われ、無力と化したその男に、にっこりと笑いかけ――。


「少し、寝ていろ」


 その顎先に、拳を叩き込んだ。

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