第5話

 その、翌朝は穏やかだった。トーストを焼きながら、時計を見やる。

 昨日通りなら、アイリがもう起きているはずだが――少し、寝坊しているのかもしれないな。フライパンに火を入れながら、サラを振り返る。

 彼女は身支度も終わり、布団をせっせと畳んでいた。

「サラ、用意ができたら、アイリを起こしてくれるか?」

「うんっ、分かった――ん?」

 布団をしまっていると、サラが微かに眉を寄せた。

「――どうかしたか? サラ」

「今、なんか違和感があったような……なんだろ?」

 きょとんと首を傾げるサラ。僕はベーコンを焼き始めながら、見返した。

「僕は感じなかったけど――どんな感覚だったか?」

「うん、なんか――力っぽい気がしたんだけど」

「本当に? 僕は感じなかったけど……」

「気のせいか、な……? うーん……」

 サラは首を捻っていると、扉が控えめに叩かれた。サラはすぐにそっちに行き、扉を開ける。

「あ、アイリ、おはよう――」

 アイリのようだ。その声を聞きながら、僕は卵を割ってベーコンと一緒に焼く。蒸し焼きにして、ふわとろに……っと。

 振り返ると、サラが犬耳をぴこぴこさせながら、僕の方に視線を向けていた。

「ごめん、お兄ちゃん、少し出かけてくる。ちょっと気になって」

「ああ、さっきのやつか。いいけど――僕も一緒に行った方がいいか?」

「ううん、大丈夫。アイリと一緒に行くから。鬼と獣人なら、遅れは取らないし、いつものように深追いはしない。少しだけ、お兄ちゃんの護衛から外れることになるけど……」

「気にするな。自分の身は自分で守れる。少しの間ならな」

「うんっ、一時間ぐらいで戻るようにするよっ」

 サラはそう言うと、アイリを連れて外に出て行く。しばらくぶりの静けさを聞きながら、ふむ、とベーコンエッグを見やる。

「……冷めないうちに、帰ってきてほしいが」

 もうじき、こんがりと焼き上がりそうである。


 トーストを摘まみ食いしつつ、時間を見計らい、ベーコンエッグを塩コショウで味付け。それを皿に盛ってから、座卓に並べていく。

 トースト、ベーコンエッグ、サラダ、スープ――いい出来栄えである。

「――でも、帰ってこないな」

 仕方ない。折角だから、アイリに教わったドレッシングを試してみるかな。

 時間を潰すために、せっせとドレッシング作ってみる。

 オリーブオイルに、レモン汁、塩コショウ、パセリ――これだけで十分。そこにアクセントになるスパイスを入れる。それと隠し味も利かせておいて。

 アイリの反応を楽しみにしつつ、ちらりと時計を見やる。

「全然、帰ってこないな……少し、心配になってくるけど」

 三十分。一時間くらいで帰ってくるとは言っていたが、ベーコンエッグが冷めてしまう。冷蔵庫にしまっておくべきか……。

 そんなことを考えていると、不意に扉がノックされた。

 帰って来たかな……?

「入っていいぞー」

 声をかけると、扉が開かれ――予想していなかった、意外な顔が覗かせる。

「よっ、鈴人。暇だから来たぜ!」

「……本当に暇だな。拓朗。昨日の今日かよ……」

 脱力しかけたが――丁度いい。並んでいる朝食を手で示し、軽く手招きした。

「あがれよ。折角だし、飯食っていけ」

「お、いいのか?」

「ああ、いいぜ。本当は、サラやアイリと食う予定だったんだが」

「二人はどうしたんだ?」

 どっこいせ、と拓朗は部屋に上がり、座卓の傍で腰を降ろす。僕は軽く肩を竦めた。

「散歩だけど――どこまで行ったんだろう? 拓朗は見なかったか?」

「さぁ、見ていねえが……探しに行くか?」

「いや、いいだろう。おっと――食う前に、やることがあるんじゃねぇか?」

 食卓に箸をつけようとした拓朗を制しながら声を掛けると、彼は眉を寄せ――ああ、と納得いったように、食卓に手を合わせる。

「いただきます――っと。挨拶は大事だな」

「――……ああ、そうだな。拓朗、テレビ見るか?」

「いや、いいよ。しかし、相変わらずうめえな、鈴人の飯は」

 お調子者の拓朗は、さもうまそうに飯をかっ食らっていく。それを見つめながら笑い、腰を上げて台所に向かう。

「茶、煎れるから待っていろ。しかし、こんな朝早くから来るものかね?」

「言ったろ? 暇だし。あわよくば、サラちゃんやアイリちゃんに会えるし」

「――ったく、ぶれねえな」

 大したものだよ、と口角を吊り上げながら、台所の引き出しを開ける。そして――。


 掴んだ短刀を振り返りざま、鋭く投擲した。


「――ッ!」

 瞬間、拓朗は一瞬で床を蹴り、立ち上がる。目を見開き、顔を引きつらせた。

「お、おいおい、鈴人、何の真似だ……?」

「それはこっちの台詞だ――本当に、大した演技だよ。偽拓朗」

 引き出しから、サラの短刀を引き抜き、逆手で構える。もう片方の手で、スマホを掴みながら、ゆっくりと言葉を紡いでいく。

「僕と拓朗との、暗黙のルール――知らなくて当然かもしれないが」

 どっちかが飯を馳走したら、五百円を渡す。それを、平然と無視した。

 しかも、あいつなら遠慮なく入り込んで、寝転がりながらテレビをつけるぐらいはする。安心と信頼の無礼さの、拓朗だ。

「てめえ、何者――いや、異境狩り、か?」

「ふっ――見破るとは、見事、だな」

 そう言いながら、拓朗は腕を持ち上げる。徒手格闘の、構え――。

 不敵に笑った、偽拓朗。その胸のあたりから、どくん、と何かの力が流れ出る。

 瞬間、彼の顔が溶け、代わりに腕が見る間に太くなっていく。これは――。

「巨人の、力……いや、まさか……!?」

「その、まさかだッ!」

 瞬間、ずん、と地響きと共に踏み込まれた。まずい、と思ったときにはすでに遅かった。

 したたかに拳が胸にめり込む――衝撃と共に、壁に叩きつけられ、肺から空気が絞り出される。思わず喘ぎながら、視線を上げる。

「そ、んな、ばか、な……変化と、巨人の、力……?」

「ふっ――謎を、抱えたまま、死ね――ッ!」

 丸太のような太い腕が振り上げられ、一気に振り下ろされる――。

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