第三章 あたらしいお隣さん

第1話

『リントよ、アイリ殿の住処の手配が済んだ。例によって、隣の部屋だ』

「まあ、何となくそんな気はしていましたけど……」

 翌朝早く、長老からの電話を受け、僕は思わず半眼になった。

 これで、僕の部屋の両脇がアイリとサラに固められることになる――両手に花?

『分かっていると思うが、リント……くれぐれも、手を出すなよ?』

「分かっていますよ――毎度、根回しの方、ありがとうございます。長老。しかも、わざわざ朝に連絡までくれて」

 ちなみに、新しいスマホの番号で、びっくりした。長老も、スマホを購入したらしい。

『気にすることはない――それより、リントよ、ついで――あくまで、ついでじゃぞ? ついでに訊ねたいことがあるのだが』

「はい、なんでしょう?」

『りせまら、とは何じゃ?』

 何のガチャを回しているんでしょうね?


 下らないやり取りを一通り終えると、がちゃ、と玄関の扉が開けられる気配。

「おはよう。お兄ちゃん」

「おはようございます。リント」

 朝の挨拶と共に、二人が部屋に入ってくる。僕はスマホを消しながら、声を返した。

「おう、おはよう。二人とも」

「むぅ、起きている――折角だから、起こしてあげようと思ったのに」

 拗ねたように唇を尖らせながら、サラは台所で朝のお茶を出す。昨日のうちに作っておいた、ポット入りの氷出し緑茶だ。

 アイリを手招きして、部屋に招き入れながら、僕は笑って言う。

「残念だが、先に長老の電話で起きてしまって」

「なるほどねえ、長老はなんて?」

「水着ガチャで爆死だとよ」

「――え? どゆこと?」

「いや、違った――アイリ、部屋の確保ができた。この部屋の隣を確保してもらっている」

「あ、ありがとうございます。すみません、何から何まで……」

「気にしないでっ、アイリ。はい、お茶」

 座卓を三人で囲む。氷出し緑茶を飲みながら、ほっと一息。

 ――っと、飯の支度をしないと……。

「朝ごはん作るよ。ちょっと待っていて、二人とも――」

「あ、折角ですから、私が作ります――お世話になっていても、申し訳ないので」

 腰を浮かしかけた僕を制して、アイリがさっと立ち上がる。ちなみに、彼女の姿は薄い紫色のワンピース――お嬢様色が前面に出ている格好だ。

 長い髪を一本に括りながら、彼女は小さく笑みを浮かべる。

「勝手に食材、使っても構いませんか?」

「あ、ああ――つっても、ロクなものがないと思うが……」

「ええと……いえいえ、卵にベーコン、あとカット野菜でしょうか? これだけあれば十分です。他にも――ふむふむ、海苔に刻みネギ、乾燥わかめ……あ、牛乳もある」

 戸棚や冷蔵庫を開け、さくさくと状況を確かめていくアイリ。しばらく食材を眺めていたが、うん、と小さく頷いて準備を始める。

「すごいですね。リント。食材は少ないですけど、調味料と調理器具が豊富で――やりやすそうです」

「そ、そうか?」

「兄の家には、玉子焼き器とか、泡立て器なんてありませんでしたよ?」

 そう言いながら、ボウルを取り出し、片手で卵を割る。そこに牛乳と砂糖を入れ、泡立て器で一気に掻き混ぜる――手際がいい。

 その片手間に、片手鍋に水を張って温め始める。その手つきは、淀みない。

 いつもは、テレビを見ながらくつろいでいるか、食事の手伝いをしてくれるサラも、その様子に見惚れているばかりだ。

 やがて、湯が煮立つと、そこに具材と調味料を放り込む。その横でフライパンを温め、油を引いたところに、溶き卵を流し込む――。

「二口コンロがあると、料理が楽でいいですよね。リントって、どちらかというと、和食派みたいですね」

「ああ、そうだけど……」

「調味料や食材を見て分かります。今度、別の食材を買ってきますね。洋食系とかも、作って差し上げますので」

 いつの間にセットしたのか、かしゃん、とトースターが音を鳴らす。

 だが、すぐに取らずに、彼女はその焼き具合を確かめ、もう一度焼き始める。その片手間に、フライパンを手首で返す。それだけで、卵がくるくると巻かれていく――。

「お、お兄ちゃんの出巻もすごかったけど、これは――」


「――はい、お待たせ」


 本当に、あっという間だった。

 座卓に並んでいるのは、トースト、海藻サラダ、オムレツ風の卵料理、コンソメスープといった豪華な朝食――彩りにあふれた、健康的な食事だ。

 トースト一つも、一斤七十円くらいの安い食パンのはずなのに、外がさくさく、中がもちもち、しかも心なしか高級感漂う甘さがふんわりと口の中で広がる。ドレッシングは有り合わせで作ったというが、和風味あふれる、スパイシー。これだけで、ご飯三杯行ける気がする。

「こ、これは……本当に、うちの食材で作ったのか……?」

「あははっ、大袈裟ですよっ、リント。ちょっとしたテクニックとひと手間で、トーストもさくさくふわふわになるんですから。ドレッシングのレシピも教えてあげましょうか?」

「是非とも、ご教授いただきたい――うわ、卵もうまい……」

「ふわとろ……こんなオムレツがあるなんて……スープもスパイシー……」

 思わず夢中で食べ進めてしまう。サラはぺろりとトーストを一枚平らげ、おかわりのトーストにも手をつけている。嬉しそうに、アイリは新しいトーストを焼いていく。

「ここまで一生懸命食べてもらえると、料理人冥利に尽きますね」

「アイリも、食べてくれよ? さすがに自分たちだけ食べていると、申し訳ない」

「もちろんです。トースト焼き終わったら、いただきますね」

 和気あいあいとした食卓。拓朗と一緒に囲んだ食事も楽しかったが、これはこれでまた別の楽しさがある。しばらく、三人で食事を楽しみ、食後、サラの煎れた氷出し緑茶を飲みながら、ゆったりとした時間を過ごす。

 昼前のワイドショーを眺めながら、ふとアイリに声をかける。

「そういえば、身の回りの品とか買いに行かなくて大丈夫なのか? アイリ」

「あ――そうでした。洋服とか、生活用品……当面の分を買いに行かないと」

「ん……多分、結構な量になるよな?」

 サラと視線を合わせる。サラの場合は、服など少し用意してあったから、買い足す程度だったが――それでも、かなりの量になった。

 ということは、かなり荷物が増えるはず……。

「護衛って観点から考えると、手は空けておきたいよね」

「じゃあ、荷物持ちを呼ぶか」

「荷物持ち、ですか?」

「ああ――手伝ってくれる、暇な奴がいるんでね」

 僕はそう言いながら、スマホを取り出した。電話帳を呼び出し、その中の一人をタップ。コール――二回で、繋がる。

『よう、鈴人、遊ぶか?』

「拓朗――てめえ、暇だろ。電話出るの早すぎだろ」

『はっはっは、そんな褒めてくれるな』

「褒めてないけど――まあ、少し出かけようと思うんだが、一緒に来るか?」

『あれか? サラちゃんが一緒?』

「そそ。加えて謎の美少女も追加一名――家に、来てくれるかな?」

『いいともッ!』

 ノリが良くて何より。さすが我が友だ。

『四十秒で支度する、待っていろッ!』

「了解」

 通話が終わる。サラは納得したように一つ頷く。

「矢崎さんね。確かに、荷物持ちに適任かも」

「あいつは四十秒で支度するつっていたから――まあ、あと三分くらいで来るか。二人とも、角隠すなり、耳隠すなり準備をしておいてくれ」

「え、三分で? 本当、ですか?」

「ああ――天空の城に向かった、女海賊もびっくりするくらいの速さで来るから」

 半信半疑の二人だったが、身支度を整えていると――どどどどっ、と激しい足音が。

 扉が叩かれ、反応を返す前に、扉が激しく開かれた。

「待たせたなッ!」

「うわ、本当に来た……」

「すごいです……この人が……」

「はい、お待たせしました。矢崎拓朗ですッ!」

 激しいテンションのまま、きらりと笑顔を見せるお調子者の青年――どうでもいいけど、ノックの返事くらい待てよな。

 思わずため息を零しながら、僕は腰を上げた。

「んじゃ、行くか。二人とも」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る