第8話
扉が叩かれたのは、日が暮れてすぐの頃だった。
仕込みを終えた僕は、はて? と首を傾げる。居間で転がってテレビを見ていたサラが軽く耳を立てて、ちらりと扉を見る。
「お客様、かな?」
「ああ――この時間に? 宅配便か……?」
といっても心当たりはない。わずかに警戒を深める、カグヤを手で軽く制し、僕はドアチェーンをつけてから扉を開ける。
そこに立っていたのは、見知った顔だった。
「よっ、鈴人。暇だからサプライズで来たぜ」
「拓朗――お前、本当に暇なんだな……憐れな……」
「憐れむなよっ! だってよ、本当にみんな帰省しちまって……」
「遊び相手がいないんだろ、分かった、分かった」
お調子ものの青年を手でなだめ、ちらり、と後ろを見やる。サラは買ってきたカチューシャをつけ、ホットパンツの中に尻尾をしまい込んでいた。
髪を撫でつけて『いいよ』と目線をくれたのを確かめてから、僕は拓朗に向き直る。
「実は、うちに幼なじみ来ているんだが、一緒でもいいか?」
「お、まさか女の子か!」
「まあ、そうだけど……あんまり騒ぐと叩き出すからな?」
釘を刺してからチェーンロックを外して、拓朗を招き入れる。入ってきた拓朗に、サラは顔を見せると、にこりと笑って頭を下げる。
「こんにちは。サラと言います。いつも、リントが世話になっています」
「あ、これはご親切に。矢崎拓朗っす!」
元気よく挨拶する拓朗は、勝手知ったる他人の家、とばかりに居間に上がる。
いや、別にいいけどさ……。
「――拓朗も、飯食っていくか? 今から飯作ろうと思うけど」
「お、マジか。悪いな。ほれ」
拓朗は財布から五百円玉を出し、弾いて寄越す。僕は片手でそれを受け取る。いつものやり取りだったが、サラは少しだけ首を傾げた。
「ああ、どっちかが飯を作るときは、材料と手間代に五百円、毎回渡すんだ」
「そうっす。まあ、親しき仲にも礼儀あり、って奴ですね。二人のルールですわ」
「へぇ……二人とも、長い付き合いなの?」
「ええ、大学入ってからの付き合いでして」
二人の会話を聞きながら、台所に立ち、炊飯器をチェック。
あと、もう少しで炊き上がる、か。なら、さくさく用意していくかな――。
鮭をこんがりと焼き上げ、サラダを軽く盛っていくと、炊飯器が軽快なメロディを奏でた。それに反応して、サラが腰を上げる気配。
「あ、矢崎さんはくつろいでいて。リントの手伝い、してくるから」
「俺も手伝いますよっ」
「いいから、いいから――リント、お手伝いするね」
「ああ、ありがとう。じゃあ、ご飯よそってくれるか?」
「うんっ」
サラが人数分の茶碗を取り出す。僕は白出汁と卵を混ぜ合せながら、しゃもじを取り出し、サラに手渡す。彼女はせっせとご飯を取り分けて居間に持っていく。
卵を混ぜながら、ちらっと電気ケトルを見やる。
折角だから、味噌汁も作るかな……?
「お兄ちゃん、味噌汁、作ろうか?」
まるで、先読みしたような一言だった。にこにこと笑いながら、サラが戻ってくる。僕は少しだけ驚いたが、すぐに頷く。
「ああ、頼んだ――お湯は、もう沸いているから」
「了解っ、ここのお魚とサラダ運んだら、すぐ作るね」
サラはせわしなく居間と台所を往復する。それを見守りながら、玉子焼き器を取り出して火を入れる。油を引き、とろり、と出汁入りの溶き卵を流し入れる。
ほどよく固まってきたところで、菜箸で巻いて行き、空いたスペースに油を引き、また卵を流し入れていく。
固まる。巻く。油を引く。卵を流し入れる――。
それを繰り返す隣で、サラは人数分のインスタントみそ汁を手際よく作っていく。
出巻玉子は、大きさを増す。徐々に、玉子焼き器を持ち上げるようにして、勢いをつけて巻いていく。だが、限りなく優しく、奥から手前へ巻く。
手首を遣い、ふんわりと優しく巻き上げるように。
「ふわぁ……」
その手際に、サラは目を見開き、きらきらと目を輝かせている。
やがて、大きく巻き上がったところで火を止めると、上に巻き簾をかぶせ、玉子焼き器をひっくり返す。巻き簾で受け止め、それで形を整え――。
その前にさっと器が差し出される。
「ありがとう。サラ」
「えへへっ」
笑みを交わし合いながら、その上に出巻玉子を載せ、完成――金色の輝きが眩しいくらいだ。今日は、会心の出来栄えだな……。
料理を全て座卓の上に並べると、かなり豪華なバリエーションになった。
「おおお……艶やかなご飯に、サラちゃんお手製の味噌汁、彩り豊かなサラダに加えて、かくも香ばしき紅の鮭、そして極めつけは――板前自慢の、出巻玉子……!」
「誰が板前じゃ、阿呆」
「いやでも、お前、器用すぎてドン引きするレベルだぜ。正直、最近で魚まで捌けて、出巻玉子まで巻ける大学生はいないぜ。主婦でも、できるかどうか……」
「え、そうなん? いや、さすがに京都巻は難しくても、関東巻はできるだろう?」
ちなみに、出巻玉子には、二種類巻き方がある。
手前から奥に巻き上げる京都巻と、奥から手前に巻き上げる関東巻。巻き方の名前は地域それぞれだが、僕はこう呼んでいる。
「――いや、二種類あるって知っている人の方が少ないと思うし。しかも、二種類極めている大学生なんて、世界広しといっても、十人いればいいほうだろ……」
拓朗はどん引きしたような表情で告げる――マジか、そうなのか……。
「つまり、リントはすごいってことだよっ、さすがっ!」
サラの無邪気な励ましが、心に沁みる……頭を撫でると、嬉しそうに彼女は目を細めた。
「じゃあ、食べようぜ。二人とも」
「おう、相伴預かるわ」
「いただきまーすっ」
いつもは、一人だけの食卓。
だけど、今日は彩りと笑顔あふれる食卓だ。思わず嬉しくなりながら、僕も手を合わせてから、箸を伸ばした。
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