第5話
『なんだ、ドライヤーだったのか……いやぁ、びっくりした。心臓に悪い』
『ふ、ふん、そんなことだろうと思ったが……』
しばらく経ってドライヤーを終えて通話に戻ると、親父と長老は何故かほっとしたような表情で通話に戻っていた。母さんは、席を外したようだ。
長老は、ごほん、と威厳のある顔を作り、渋い声で告げる。
『まあ、サラから聞いておると思うが、サラは護衛についている――リント、お前の役目としては、引き続き、ハルトと里の連絡を繋いでくれ。恐らく、ハルトもすぐに情報を掴んでくれるだろう』
「了解しました。サラの宿は、僕の部屋の隣って聞きましたが」
『ああ、すでに契約済で、鍵も渡している――だが、荷物の搬入が、まだでな。明日、業者が運び入れるはずだ』
『荷解きを手伝ってやれよ? リント』
「分かっているよ。親父」
『仕送りに関しては、二人分振り込んでおく。上手いことやってくれ。くれぐれも、身の回りには気をつけるように――サラ、くれぐれも頼んだぞ』
「了解です。お父様」
『それと――リント……サラに手を出したら……』
『長老様、それは二人の問題ですよー』
遠くから母さんの声が響き、うぐっと言葉を詰まらせる長老。すごすごと引き下がり、代わりに親父が携帯電話を取り上げる。
『全く、二人は心臓に悪いな……とにかく、元気でな。また何かあったら連絡しろよ』
「ああ、親父たちも気をつけて」
ばいばい、とサラが手を振り、親父も拳を軽く上げてにかっと笑う。
そこで通話が切れた。スマホの液晶を消して置くと、彼女はえへへと乾いた尻尾をふりふりと振り、その毛先が胸を擦る。
「二人の、楽しい生活が始まるんだね。あ、もちろん、護衛もしっかりするけど」
「そうだな――とはいえ、今は夏季休暇だからな。大学もあまり行かないし」
折角だから、サラと日本の夏を満喫するのも、悪くないかもしれない。
そんなことを考えながら、膝の上のサラの頭を撫でていると、あ、と何か思い出したように小さく彼女は声を上げた。
「そういえば――荷物っ、ないんだった……っ」
「ん? ああ、そう言えば、明日届くって言っていたな」
「だから、お布団が……」
「……あ」
当然だが、一人暮らしの僕の家に、客用の布団などあるはずもなく。
あるのは、僕のベッドだけ。それを譲り、僕は床で寝ようと思ったが、それに断固反対したサラが、膝の上を動こうとせず――。
「――おかしいな。男女七歳にして、同衾しないはずでは……?」
「それ、今更だよ、お兄ちゃん……観念してっ」
「お、おう……っ」
気が付けば、狭いベッドの中で二人は一緒に並んでいた。ふかふかの尻尾が、足に巻き付いてくすぐったい。そして――寄り添っているサラの、温かさ。
とくん、とくんと優しい鼓動が、伝わってくる――。
窓から差し込んでくる、街灯の灯り――ぼんやりと照らされた、サラの頬は赤い。とろんと蕩けた瞳で、すんすんと枕に鼻を押し付ける。
「えへへ……お兄ちゃんの匂い……久々ぁ……」
「ごめん、男臭い布団で。洗っていなかったからな……」
「ううん、匂いが濃くて、私は好きだよ……」
「……なんだか、少し恥ずかしい気分です」
僕が、顔を熱くさせる番だった。自分の匂いを嗅がれるのが、こんなに恥ずかしいとは……これなら、もっとこまめに洗濯すればよかった……。
「……ね、お兄ちゃん」
ふと、視線に気づいて顔を向けると、間近な距離でサラは真っ直ぐ見つめて来ていた。柔らかい眼差しで、包み込むように見つめてくる。
「こっちでの暮らしは、どう……?」
「まあ……悪くは、ないよ。周りの人たちも、親切だ」
「ニュース番組を見ると、すごく不安になるんだけど」
「あれは本当に一部の人だよ……安心してくれ」
ぽん、とサラの頭に手を載せる。さら、さらと指を通すようにして撫でると、彼女は心地よさそうに目を細め、腕に擦り寄り――遠慮がちに、問う。
「好きな人とか、できた?」
「なんでまたそんなことを――いないよ、そんな人」
「ええぇ、お兄ちゃん、イケメンなのに……」
「どこをどう見ればイケメンになるんだ……?」
「まあ、確かにどっちかっていうと、かわいい顔立ちだと思うけど」
「おい、幼なじみに言われると、ぐさっと来るぞ」
軽く指を曲げて、犬耳の裏を軽く撫でると、サラはくすぐったそうに身を震わせた。
「まあ、親しくなった女の子はいるけど……なんだろうな、違う、気がするんだ」
「――違う、っていうのは?」
「なんだろう、僕を見ているはずなのに、僕を見てくれていないような」
まるで上辺だけを見ている視線――時折、値踏みするようにも感じられてしまって。そんな子が浮かべる笑顔は、どこか空しく感じられていた。
だから、どうしても、相手に近寄り難くなってしまう。
その例外として思えるのは、やっぱり――。
「ん、くぅん?」
微かに鼻を鳴らす少女の、澄んだ瞳を見つめる。そこにある、確かな信頼を感じながら、ぽんぽんと頭を軽く撫でた。
「話は、ここまで――眠いだろう? サラ」
「ん、うん、ちょっと疲れて……」
「うん、いいよ。ゆっくりおやすみ」
とん、とん、と空いた片手で背中を叩いてあげる。幼い頃のように、そっとゆっくり。
それに導かれるように、やがて聞こえてくる、穏やかな寝息。その、心地いい温もりを胸に抱きしめながら――僕も、心地いい眠りの中に落ちて行った。
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