お隣さんは、犬耳幼なじみ!
アレセイア
第一章 お隣さんは、犬耳幼なじみ
第1話
――それは、夏、真っ盛り。連日の猛暑が、焼けるように僕たちを焦がす日々。
大学生である僕たちは、そんな灼熱地獄の中、せっせと勉学に励んでいる毎日。うんざりするほどの繰り返しは――ようやく、終わりを告げようとしていた。
「よっしゃ、試験もこれで全部終わり――長い夏休み、バカンスの始まりだぜ!」
「おいおい、解放感は分かるけど、あんまり騒ぐなよ。拓朗」
校舎から出るなり、騒ぎ出す友達に、僕は苦笑い交じりに声をかける。放っておけば、今にも踊り出しそうな勢いだ。彼――拓朗は、勢いよく振り返り、びしっと指差す。
「これを騒がずにして、どうする! 鈴人くんよ。堅苦しい文章の羅列から、解放され、我々は自由をついに得たのだ! 想像してみろ! 待ち受ける日々を!」
「待ち受ける日々って?」
「同級生たちと繰り広げる、泊りがけの旅! 普段とは違う、女の子の姿! 美しき健康的な水着ギャル! ああ、夢のバカンスがきっと、そこにあるのだぞ!?」
堂々と腕を広げ、政治家さながらに熱弁を振るう、拓朗。
立派なことだが、その大声であられもないことを言っているので、周りの女の子たちがどん引きしているのは――まあ、言わぬが花だろう。
「つーか、この猛暑で海に出かける気か? 熱中症で死ぬぞ? あと、この夏は台風がよく来るからな。海も大しけだ。冗談でなく、死人が出る」
「お前さぁ、夢も欠片もねえこと言うなよ」
「んじゃあ、もっと現実を突きつけるが――夏休み、ほとんどの学生が帰省するぞ?」
「うぐ――せやな、俺もお盆は帰らんとあかんし……」
ぽろっ、と零れる関西弁――彼は、確か大阪出身だったはずだ。
この大学は特に遠方から来ている学生が多いから、次々と実家に帰省していく。同級生とバカンスなんてできないはずだ。
「残念だったな。拓朗。まあ、大人しく課題でもやっておくことだ」
「ぐ、ぐぐぐ……まあ、仕方ねえよな……はぁ」
肩を落とし、意気消沈する拓朗。そのまま、二人で校門を出て、坂を下っていく。
「――そういえば、鈴人は帰省するのか?」
「いや、帰省する予定はないけど」
「へぇ、意外だな。あれ、鈴人の実家って、どこだったっけ?」
「ああ、そうだな……少し、離れた場所」
思わず口ごもるが、拓朗は特に気にした様子もなく、そっか、と頷いた。
「そういうのって、逆にいつ帰るべきか、分からなくなるよな」
「まあ、そんな感じだよ――っと」
十字路に差しかかる。僕の下宿はここを右に曲がり、拓朗の下宿はここを左だ。
「んじゃあな、何かあったら誘うからな」
「おう、またな」
手を挙げて分かれ合う。そのまま、僕は下宿への道を辿りながら、ふと思う。
実家――故郷。そういえば、しばらく戻っていない。
拓朗にはごまかしたが、故郷はすぐに帰れるような場所にはない。少々、手間もかかるので、おいそれと帰れるものではないのだ。
思い起こせば、緑豊かな里山が思い出される。
木々が生い茂り、畑には作物が実っている。涼しい風が吹き抜ける、小さな里。
その中で、無邪気に笑い、手を引いて遊びに誘う、少女。
茶髪でくりくりとした目つきで、よくなついてくれた、僕を兄のように慕う、幼馴染の少女だ。里の学び舎では、かなり優秀だったはず。
僕は先に、こっちに来てしまったけど、今頃、彼女はどうしているんだろう?
手紙くらいは出してもいいかもしれない。欲を言えば、声も聞きたいが――あっちは、圏外だしなあ……電話、繋がらないよな。
ため息をこぼしながら、熱されたアスファルトの上を早足に歩いていると、不意にポケットの中でスマホが振動した――電話?
取り出すと、見慣れない番号だった。
「――もしもし?」
『あー、もしもし? オレ、オレオレ』
「人違いです」
即切った。知り合いに似ていたが、それはあり得ないはずだし。
いや、でも確かにあの低い声は確かに、似ていたような……?
首を傾げていると、再び電話が鳴る。同じ番号だ。無視しようかと思ったが、迷った末に電話に出る。
「もしもし?」
『おお、もしもし、ユウジだ。オレだよ。親父だよ』
「――え、マジ?」
思わず電話を落としかけた。それほどに、懐かしい声が響き渡る。
「お、親父? マジで?」
『おお! リントの声だ。いやぁ、よかった、本当に繋がるのか、すげえな』
『さすが、最新の携帯電話は違うわねぇ』
母さんの声もする。どうやら、真面目に里から電話が繋がっているらしい。
『いやぁ、さっきは他の人に間違って繋がっちまったみたいだが、いや無事につながって良かった。がははは』
豪快な笑いは懐かしい――さっき、詐欺と勘違いしたのは、隠しておこう。
「久しぶり。親父。母さん。急に電話が繋がったから、びっくりしたよ」
『おお、何でも最新型の携帯電話は、この里まで電波が届くらしくてな。通販で、取り寄せたのだ。なんつったか、あま、そん?』
さすが最大手の流通網を持つ通販サイトである。まさか、里まで届けるとは。
道路も、ましてや、空路も繋がっていないはずなのに、どうやって届けたんだ?
『まあ、健康そうで良かった――っとと、それより話すことがあるんだ。リント』
「ん? なんだ?」
『実は、そっちに里の人間が行くことになった』
「随分、急な話だな……なんで、また?」
『いろいろ里で動きがあってな。それは、向かった奴から聞いて欲しいんだが』
「了解した――んで、いつ来るの」
『ああ、それが――今日、なんだ』
「は?」
思わず聞き返す。早足になりながら、下宿に急ぎつつ、聞き返す。
「急すぎるだろ。なんでまた――」
『いや、本当は手紙を送る予定だったんだが、いろいろと手間取ってな。ついでだから、この携帯電話の試運転も兼ねて、連絡した次第だ。お前の家に、向かったはずだが――』
「分かった。急ぐ――切るぞ」
『おう、なんか分からないことがあったら連絡しろよ』
間の抜けた親父の声を最後に、電話を切る。丁度、下宿が見えてきたところだった。
外付けの階段を駆け上がり、二階の廊下に足を踏み入れ――。
ふわり、と涼しい風が吹き抜けた、気がした。
その少女は、そこに立っていた。
軽くウェーブのかかった茶髪が風で揺れ、淡く赤らんだ白い肌が見え隠れする。
ほんの少し吊り上った、大きな琥珀色の瞳が、さらに大きく見開かれる。
その面影が、幼い頃、一緒だった幼馴染と重なり――。
「――お兄ちゃんっ!」
その少女が、胸の中に飛び込んできた。僕は受け止めながら、思わず目を丸くする。
信じられない――まさか……。
「もしかして――サラ?」
「うんっ、久しぶりっ! お兄ちゃん――異境の里から、参上だよっ!」
そう満面の笑顔で告げた彼女の髪が吹き抜けた風に揺れ――。
その合間から覗かせる、二つの犬のような耳が、ひょこひょこと上下していた。
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