廃部長と見えない彼女

双葉使用

廃部長と見えない彼女

「暑い!クーラー!」

部室に入るなり、中にこもった熱気に瞬殺され少し高くかすれの入った声で文句を垂れるいつもの光景。僕はいつものように、「部室にクーラーないですよ、アズマさん」と声をかけ、卓上扇風機のスイッチを入れる。ぬるくまとわりつく真夏の風を必死に遮り長いスカートを羽ばたかせるアズマさんを横目に、僕は部長の札の置かれた席について、小説を手に取る。しばらくすると、変わらない暑さにまいったのかアズマさんが口を開く。

「なあケイ。なんとか交渉して部室を動かせんのか?」

僕の汗が眼鏡に滴る。暑さで天然パーマの髪をかきむしる。

「駄目でしたってば。今年卒業すれば部員が0人になる部にそんな優遇はできないと先日も言われたの知ってるでしょう」

アズマさんは長い黒髪を持ち上げて首筋に風を送りながら、

「そもそも去年から今年になる時に廃部通達されておるだろ」

「部員が一人になっただけです。部は消えてません」

このやり取りも何度めか。それだけやることがなく、またそれだけ部の存続が危ぶまれる状況なのだ。

「また、その本を読んでいるのか?楽しいのか?」

少しの沈黙のあと、アズマさんは次の話題を振った。僕は本を閉じて、アズマさんの爛々と光る銀色の目を見返す。

「む、」

アズマさんの右耳がぴくりと動いた。

「今のところ犯人がわからなくてね。答え合わせの前部分を何度も読んでいるんだが──」

アズマさんの人差し指が僕の口を塞ぐ。少しびっくりしたが、ふと察する。すると、入り口の戸が力強く二度ノックされた。

「どうぞ」と僕が答えると、がらりと入り口の引き戸が開く。背が高く、がっちりした5厘刈りムキムキ土埃つき野球服の男が二人入ってくる。大きな声で失礼しますと言いながら。

正直、苦手な人種だ。

「いらっしゃい。本日は、どうなさいました?」

着席を促す仕草をし、席を立って出迎える。野球部野郎二人は僕の仕草を丸々無視して本題を切り出した。

「あまり大きな声では言えないことなので、心霊探偵部の青山慶先輩を呼ぶように、と言われて来ました」

声をひそめるつもりがあるのかわからない声量で、はっきりいってうるさい声で、どうやらこの暑い中呼びつけに来たらしい。

「わかった。じゃあ部長の竹助の所に向かえばいいんだな?」

元気のいいはいの返事に、僕はちょっとしかめっ面になる。ただでさえ暑いのに室温を上げる存在は嫌いだ。でもまあ仕事の話だからな。仕方あるまい。だがちょっと意地悪してやりたくなる。

「1年3組だってだけでご苦労な事だね。僕が行くまでここでサボるといいよ。ヌルいが茶もあるぞ」

そう言ってお茶を手渡してから、僕は戸締まりをしっかりして部屋を出た。

「おい、中に奴らがいるぞ」

アズマさんが僕に耳打ちをする。それに僕はひそひそと、

「ここは一階ですし大丈夫かと。まあ、大分大回りになりますがね。」


「よう、国学院。来てやったぞ。」

部室棟四階の一番奥が野球部の部室だ。なんでわざわざこんなところまで呼びつけたのかは、入ったらだいたいわかった。

「おお、セイケイ!遅かったな」

「二度とそのあだ名を使うなって言っただろ。帰らせてもらうね」

「まあまあ。どうせ戻ってもヒマなんだろう?報酬もあるしやってってくれよぉ」

そう言ってこの男、国学院竹助は僕に脇をのせて絡み付いてくる。ああくそ暑いのに何を考えていやがる。制服のシャツがじっとりと湿っていて最悪だ。

「やめろっての圧死狙いかこの野郎暑いってば」

そして僕は虫のようにバタバタする他無いのだ。


「お前を呼んだのは他でもない、このガラスを割った犯人を見つけて欲しいのだ」

僕は部室に置かれていたお菓子を一つ食べながら話を聞く。

「それだけか?割れた音とかは?欠片は片付けたのか?」

「ああ、割れた音は聞いたよ。それで俺と他数名の部活関係者がすっ飛んで来たんだが、うちの部室のガラスの音だとわかってすぐにお前を呼んだって訳だ。欠片は片付けたが、内側でなく外に撒かれてた。木で遮られて見えないが、まだ下では何人か探してくれている」

お菓子を飲み込み、少し考える。

「アズマさんはどう思う?」

「アズマさん?」

おっと、しまった。やはり暑さは駄目だ。脳みそが働かなくなるから。

「ああ、いや、なんでもない。なんかわかったら連絡するよ」

「そうか。じゃあ俺はグラウンドで練習してるから、後でな」

アズマさんが手をひらひらさせて見送ってから、ほっぺたをつついてくる。

「間抜けめ。私は誰にも見えんのを忘れたか?」

そう。アズマさんは誰にも見えない。幽霊とはちがうようで壁をすり抜けたりは出来ないが、僕以外の誰にも見えず、聞こえず、触れられないで、

さわり。

狐の耳がついている。

「ひゃっ!」

しかも本物だ。耳の先まで真っ黒で、狐のようには見えないけれど。むしろ猫だ。

さわりさわり。

「やめい、この!ドアホ!怒ったぞ!」

「毛を伸ばすな!伸びないんだよ!おい!」

端から見れば、熱にやられた狂人だろう。見えない存在とお互いに頭を弄りあってもみくちゃになっているのだ。


さて、心霊探偵部の捜査開始だ。外側に飛び散ったから内側から割られたものであると断定するのは素人のやることだ。

「アズマさん。ここ任せたぞ。僕は裏手に回ってみるから」

「任されたぞ。細かなガラス片がどれだけあるか、だろ?」

「そうそう。さすがだね」

「ところでこの菓子いくつなら食べていい?」

抜け目なくお菓子の袋を抱えたアズマさんに、

「あー、3つぐらいかな。お菓子を食べてるところ見られたしあんまり食べ過ぎると今度は菓子泥棒の依頼が来るだろうな」

そいつは困るな、と笑って袋から3つ取り出すアズマさんを横目に、部室棟裏手に向かう。


下には、野球部の女子マネージャーに部員が3人、野球部隣のテニス部の部長と下の卓球部員二人がライトでガラス片を探していた。

「どうです?全部ありましたかね」

同じ三年の一人のテニス部部長に声をかける。

「ん、心霊探偵部のか。んー、大きな破片は全部回収したよ。で、あんまり人も通らない事だし切り上げるかって話が出たところだよ」

「破片は何処にありますかね」

「ん、そこの袋にまとめて入れてあるよ。ほれ」

「ありがとう。野球部の部長が是非お礼をしたいと伝えてくれと言っていたので伝えておきますね」

「ん、どうも。捜査でしょ?頑張ってよね。どこまで進んだん?」

「まだ始まったばかりですよ」

最後に会釈をして、アズマさんのもとに戻る。噂通りモテてるみたいだなあの部長。僕が離れたらすぐに野球部マネに話しかけられてやがる。

まあ得てしてモテるのは人格者か乱暴者で、彼は前者だから嫌いではないがね。僕でも話しかけやすいし。でも僕にも一人ぐらいいてもいいもんだと思うが、そこでアズマさんのことを思い出して一人ほくそ笑む。

あんな美人を独り占めしているんだったな。アズマさん的には俺はそこそこカッコいいらしいし。


「ただいまアズマさん。どんな感じ?」

畳で四つん這いでうろうろしていたアズマさんを少し眺めてから、入り口から声をかけた。

「お、戻ったかケイ。あんまり破片はなかったぞ?ほれ。そっちはどうだった?」

パタパタ手招きをするアズマさん。

「やっぱり猫みたいだ。あー、外にもでかい破片以外は見つかってないみたいだったよ。」

「もっと細かく。細部の仕草まで。」




アズマさんはふむ、と考え込んでしまう。

「なあケイ。ケイは、どう思う?」

ふいに聞かれたそれに、僕も少し考える。

「動機を考えないなら順当に野球部ですかね。ただし、単独犯とは考えにくい。部内に協力者がいれば誰でも出来ることになるから、強引にいくなら部員を当たるか·······って所でしょうかね。おそらくある程度の細かな破片以外を、そうだな、塵取りかなにかで集めて窓から投げ捨てたってところでしょうからね。」

「くふふ。まだまだだな、ケイ。私は推測も含むがなんとなくわかったぞ。だがケイ。聞きたいか?」

蠱惑的ににたりと笑う。これはからかうときの合図のような仕草だ。

「いや、いらない。もっと調べる。」

「じゃあ、ついていこうかな。くふふ。」

ふわりと肩に乗っかるアズマさん。不思議とそこまで重くないこの感覚は、やっぱりどうにも慣れないものがある。

「それで、ケイは次どこをどう調べるのか?」

「まずはまた部活棟裏手の窓の下ですかね」

「なにで窓を砕いたかはもう隠滅されててもおかしくないが、いいのか?」

「ヒントを出しすぎですよアズマさん。推理小説としてはイマイチですね」

野球部の夏休みスケジュールボードの張られた蝶番型のドアを開ける。

「ケイはその小説すら解けてないじゃないか」

アズマさんが上の縁に頭を打たないように顔を僕の肩に落とす。んふーと鼻息一つつきながら僕の頭をかき回す。くそ、そうきたか。


「髪をいじるのはやめてっていつも言ってるでしょう」




「じゃあ、本当にやって無いんだな?」

額と額を打ち合わせるぐらいの至近距離で、僕は野球部の下っぱを尋問する。割ったのか?共犯なしか?硬球を使ったのか?白状すれば僕からも言ってやるぞ、と。何を言うのかは僕も知らないが。

しかし部員どもは迷いというより目を震わせて困惑するばかり。これで嘘なら大したもんだ。演劇部に推薦してやる。

「ダメっぽいみたいだな?ケイ。」

耳元で声を潜めて嘲笑うアズマさん。僕は口元に手を当てて、独り言のように「そうだな」と呟いた。

卓球部員たちも白状や迷いはなし。それどころか掃除当番だったらしく一番最後に真っ直ぐに来たようでアリバイまであるらしい。テニス部の部長は近寄ろうにも取り巻きが既に現れていて厄介かつめんどくさく今のところ放置している。野球部マネージャーはどこにいるのかわからないし。

「あ、そうだ。最後に一つ聞きたいんだが、野球部の、あの女子マネージャーはどこに行った?姿が見えないが」

「え?会ってないんすか?先輩を探してるって言って居場所を聞いてきたのに」

「······そうか。わかった。ありがとう」



「なあケイ。なにやら女子どもの中でケイが噂になっているようだぞ?」

「······なんて?」

唐突にイタチみたいに頭を伸ばして見回したかと思いきや、また唐突にアズマさんが耳打ちをする。誰に聞かれる訳でもないのにやけに小さな葉擦れのような声で。

「面食いのガチホモという噂よ」

「は、え、マジすか?嘘でしょ······」

どうしてそうなるんだ。高々高校3年間彼女を作らなかっただけで······

「······待てよ?アズマさん、出所、わかります?」

「調べれば、な。でも、すぐに向こうからやって来るんじゃないか?」

「······そうですかね」

「んふふ、まあ任せろ」



「アズマさん。ちょっと降りてくれませんか?」

グラウンドからうちの部室へ向かうやたら長い廊下の途中で、肩に巻き付いたアズマさんに耳打ちする。アズマさんは「重たすぎてへばったか?」とからかいつつも素直に降りてくれた。

「ところで、私と同じ答えに行き着いたみたいだが、推理の全てを披露しなくて良いのか?」

隣に立つと少し低い時点で見上げるアズマさんが、それでも蠱惑的な見つめ方でからかってくる。

「ノックスの十戒に乗っとるほどの事件でもないし、そもそも僕は助手やサイドキックじゃなく、探偵です」

「なら助手に先を取られるでないぞ」

僕の髪の毛をわしゃわしゃやってから、窓を開けて窓枠に座り吹き込む風で涼をとる。どことなく美しさを感じられる佇まい。壁にもたれかかり窓の外をみやる顔は絵になるし、あれを僕がやると怒られる。


「動機だけがまるでわからない······」

アズマさんがいなくなって、ようやく弱音の独り言が言える。柄にもなくカッコつけたくなってるんだけども、どうにもカッコつけられなくて。

鍵を開けて探偵部部室に入ると、野球部の二人はまだそこにいた。驚いて目玉を丸く、いや目玉は丸い。目を丸くしている僕に、のんきにお帰りなさいと声をかける二人。

「事件?は終わったんですか?」

「······これからここで解決する。そこを見せるためとはいえ待たせてすまなかったね」

とっさに出任せを言い閉じ込めた事への糾弾を反らそうとしたが、どうやら口々に僕の素晴らしさを話し合う二人は僕が鍵をかけっぱなしにしたことに全く気がついていないらしい。

僕が言うのも何だが大丈夫なのかこいつら······

顔色をなるべく変えないように自席につこうとして、そこで応接用の机に目が行った。汗をかいた2Lのスポーツドリンクの空きペットボトルが置かれている。そんなもの、ここにはなかったはずだ。

「なあ、もしかして、お前らのとこの女子マネージャーか?ここに来たの」

「え?はい。そうですけど······」

「窓から?」

「??普通にドアからですよ」

嘘だろ······と内心焦りと恐怖を感じながら、部長机の引き出しの鍵を開けて本を読むふりをする。

部室の鍵はずっと持ち歩いていたはずだ。公式には未使用のこの部屋は一般生徒はおろか僕にすら鍵を貸し出してくれないはず。無断で複製した鍵は現在一本しか持ち込んでいないし今僕のポケットの中だ。しかもご丁寧に鍵をかけ直している。

アズマさんを呼んだ方が良さそうだ。何か、まずい事が起きてる。僕は勢いよく本を閉じた。

各々の予想を無邪気に語る二人が僕の方に振り向いたのと、アズマさんが部室のドアを開けたのとはほぼ同時だった。その後ろには野球部のマネージャー。聞かれると厄介だから言わないがアホ面でほんとに来たって言いたくなる気持ちだ。しっかり隠しこんで、つばを飲み込み余裕を口に含む。落ち着け。

「やっぱり来たね。いらっしゃい」

突然ドアが開いて目をぱちくりさせるマネージャーに、演技臭さと余裕そうなふりを練り合わせた声を投げ掛けることができた。彼女はうつむいて、まごまごしつつも部屋に入る。

「紅茶はないが、座ってくれよ」

後輩二人を手で椅子から追い払い、机に両ひじをついて指を組む。どうにも緊張する時にやる仕草だ。推理もので一番不思議なのが探偵の回りで事件が起こることよりも探偵の自信満々なところだ。いくら自分の頭脳に自信を持っていても推理ショー中に実験してやはりなとかどや顔かますのなんて正気じゃないだろ。間違ってなくても別の要因でミスったらどうするんだよ。

おずおず座る彼女を見て、そんなことを思ったあと覚悟を決める。すまないがこれも部のためだ。

「さて、」

緊張がほとばしる。漫画のような光景に息をのみアホ面の一年の後輩どもにも目線を送りつつ僕も一呼吸。

「窓ガラスを割った件の首謀者は······お前、だな?」

来客用の安い椅子を見つめるように彼女は視線を落とす。

「そして実行犯はテニス部の部長、だな?」

スカートの上で拳が握られる。あれ、動機とかそう言う言い逃れしないんだな······と次の手を迷っていたら、壁際に追いやられたうちの一人が声を出した。

「なんで真犯人がマネージャーなんですか!」

といったことを。利用されてただけだとかそんな庇うようなことを小さな脳みそなりに考えて話す。

「そうだな······。まず第一に、テニス部長にはまるでメリットがない。愉快犯ならぶち割って逃げているところを下に残るのは不自然だ。アイツの人望なら夏の大会に向け練習してたことにするのは容易いだろうから先生その他の目を欺くメリットがないし、SAWみたいに参加したいのであればあんなに消極的なのもおかしい。それにアイツに取り調べしようとしたら取り巻きに阻止された。理由はおそらく数日前から流れてる僕への風評被害。」

自信満々で余裕たっぷりに······だ。この推理ショーの口コミから部は立ち直る······!

「僕のことを証拠もなしにクソホモ呼ばわりするという噂だ。美人の愛人がいるとも知らずにな」

口に皮肉と罵倒が混ざりそうになる。危ない危ない。やはりどうにも嫌いだね、脳死してるやつらは。

「捜査から逃げるならもっと物理的に逃げればいいんだ。匿ってくれるやつは沢山いるみたいだからな。だから真犯人ではない。そしてマネージャーが犯人の理由は、部屋が丁寧に隠滅されているからだ。教室の掃除用具だろ?使ったのは。今日は掃除がある日だから当番に頼めば確保できるしな。うちは掃除意欲低いし。」

反論の余地は入れてはいけない。将棋のように一転攻勢されれば勝てても無様は間違いなしだ。暑がりのアズマさんも余裕そうに笑っているから多分大丈夫。

「ガラスの粉がどこにもなかったぞ。風に乗ったか木に乗ったかわからなかったがまったくだ。どの向きで割ろうが欠片はあるはずだ。内側から割れたのであればなおさら。でかい破片ばかりが残されてたぞ。向きを誤魔化したんだろう?」

呼吸を飲み込んで間を開ける。

「だから、犯人はお前だ。」

我ながら上手く決まったのではなかろうか。低く、鋭く、かっこよく。腕は組んだまま微動だにしなかったから派手さはないけれど。

低い木の安物椅子がはね飛ばされ転がる。マネージャーが急に立ち上がったのだ。だが顔はうつむいたまま、蚊の泣くような声で「はい」と言った。

「······そうか。すまないが依頼なんでね。報告はするが、まあ悪いようには言わないから」

その時、気がつかなかったが空気がピリッと入れ替わった。いつもは人の考えてることには人一倍敏感なのに。そして、やめとけばいいのに僕は止めを刺した。自分に。

「一つ、聞かせてほしいんだが、なんでこんなことをやったんだ?」

態度には見せないが内心は緊張をはねのけた達成感たっぷりに酔いしれていた僕は、自分の疑問を思い出す。

万が一がありうるのに探偵はどうして勝ち誇れるんだ?

無意識のうちに僕の自尊心は勝ち誇ってしまった。今に至っても疑問は解けないが、少なくとも後悔だけは出来た。

「おい、待て、何を」

マネージャーが、ポケットからか何処からか取り出し高く掲げたハサミ。涙を堪え湛え僕を真っ直ぐ見つめる目。僕に突き立てるには、机を踏み越え一歩大股で歩けば事足りる。ほぼ確実にそのつもりで出しただろう。

「この······ッ!」

だが彼女は来客机に足をかけて止まる。僕にだけ見える両腕がその歩みを止めたのだ。アズマさんだ。暴れ馬のように熱く怒り暴れる彼女に、小柄な体が必死にまとわりついていた。

クソ無能の二人はまだ端でぽかんとしている。僕は目が釘付けになりながら必死にまさぐり、この部最盛期の初代部長の残した引き出しを開けた。


その時だった。

手負いの獣さながらに抵抗していた彼女が、いきなり動きをやめた。

まさか

マネージャーが力無く前によろめきぺたりと手をついて床にへたりこむ。

「アズマさん!」

僕は駆け出して目の前の机につんのめって転びそうになった。頭が真っ白になった。

「お、おお。安心せい。この程度、なんてことも······」

しかし目線は震えていて、肩で息を吐くほどになっている。

「嘘だろ、なんで」

その脇腹に、鋭利なハサミが突き立てられていた。

「落ち着くのだ。ケイ。抜いたりしてくれるなよ?」

「分かってる。大丈夫だ。だからアズマさんも落ち着いて」

どくどくと何かしらが噴き出してはいない。だから少しは安心できるが、一体その怪我を誰が診てくれるんだ?

「おい、そこの!保健室行って救急箱とってこい」

「急げ!耳削ぐぞ!」

目一杯叫び散らして、ようやく野球部一年の片割れが走り出した。全くその筋肉はなんのためについてるんだ。いやまあ少なくともパシリの為ではないか。

救急箱を待っていると、てっきり野球部員を刺したと勘違いしていた様子のマネージャーが不安げに震えた声で質問を投げかけた。

「ね、ねえ。どう、なっているの?」

「······どうしたものか。アズマさん、言っていい?」

「好きにしろよ、ケイ。私に強制の手段はないのだぞ?」

僕の言葉はぷいと払い除けられてしまった。少し、怒っているのか······?いや当然か。刺されたんだからな。

「ここに、誰にも見えないだけのヒトがいるんだよ。僕の、大切な人が。」

蒼白なマネージャーの顔がひきつって、呼吸を求める金魚のように口をパクつかせる。

そこで保険の先生ほか複数の先生が僕達の部室に乗り込んで来て、事件とその推理劇はついにうやむやとなった。僕は鍵の複製を咎められ自宅にあった分とあわせて三枚鍵を没収され反省文も同じだけ書かされた。まあ、部の秘密は守れたし良しとしよう。まだこの町に5つは鍵が隠されているし。


「なあケイ。なんでまたこんなに鍵が複製されてたり隠されてたりするんだ?」

昼過ぎ、学校に行かないで各地の鍵の隠し場所をひとしきり見回った帰りに、猫車で僕に自らを運ばせ扇風機と日傘で微弱な涼をとっているアズマさんがそうやって聞いてきた。僕も傘に入れてくれ。ついていくとうるさかった癖に揺らすと痛むだのとずいぶん文句を言われたものだ。

「鍵の数の2倍はこうやって廃部の危機を乗り越えてきた部活なんですよ。部員がゼロになったら、こっそり卒業した先輩が校内に忍び込んで見込みのある奴の机にこれを仕込む。そうして見つけた部屋で部の事を知り、名を継いで活動するんです」

僕がそうやって得意気に解説をすると、アズマさんは猫車が小石を蹴飛ばしてもなんとも言わないぐらいに聞き入ってから、

「なんとも下らんな」

と呆れたようにため息をついた。


「ん?教員どもが鍵を変えれば良いのでは?」

数分の間を開けて、アズマさんは質問を続けた。

「それは我が部活の七不思議の一つです。こうやって偽装キーがバレることは何度もあったらしいんだけど、それでもなお鍵が変わることはなかったそうです。部活抗争でドアが壊された時も───」

「ちょっとまてケイ。部活抗争とはなんだ」

興味が無限に湧いている爛々とした目で僕の両目を見つめる。

「そういえば、アズマさんには『日誌』見せてませんでしたね」

「ああ、人の日記なんてつまらんからな」

「探偵部の部員なのに観察力はまだまだですね。僕が日誌をつけているところを見ましたか?」

「───なるほど、日誌というテイの別物なのだな?」

「ええ。部の秘密の一つです。が、けっこうヤバいものの一つなので信用できる相手にしか見せないんですけどね」

「あ、そういえばケイがそんな事を言っておったな。ああ、思い出せばいろんな説明をしてた!聞いておけば良かったか······」

「まあ、そうですね。まとめて出版すれば一財産になるぐらいの不可思議がありますよ。ま、先輩方が黙っちゃいないでしょうけど」

「む?どういう事だ?ケイ。」

「こういった集団意識の高い集団は、権力を得る上で強みになるんですよ、アズマさん。ほとんどが部を母とした新社会制のようなものと化してますからね」

「ふーむ」

「しかしやけにすんなり信じますねアズマさん。前は小説の読みすぎだと一蹴されませんでしたかね?」

「あの引き出しの中身を見ればどんな事を抜かしても信じれるわ。ケイの部活は宇宙から来た部活なのか?」

「ははは。否定はしません。それよりアズマさん。事件の真相ってどういう事だったんですかね?」

アズマさんはピクッと止まって、ちょっと不貞腐れたようにそっぽを向いて、呟くように話し出した。


「あのおなご、ケイの事好きだったんだよ。でも部活は公式にはないから入れないし、そんな度胸もなかった。だから友人らしい竹助?とやらを目当てに野球部に近づいたんだろ。だがダメだったから、事件を起こして気を引こうとした。だが単なる事件では筋肉どもにバレて終わり。だから共犯を用いてお前を引っ張り出した、といったところだろ。現にヒントを出すためか接点を作るたか部室に何度か訪れたしお前の動向を聞いたりしていたんだろ。」


「え、は?」

「なんだ?ケイ。ああ、鍵の件なら話は簡単だぞ。部室の鍵を借りに行くついでにいつでも盗める」

変わらずムスッとしたまま、でも小馬鹿にしたような含みを持たせつつ僕を翻弄する。

「いや、なんで僕に好意を?」

「フン!目鼻が整っていて背の高い男だぞ?バスケ部かなんかなら間違いなくモテてる逸材だぞケイは」

髪の毛をくるくるいじって心底嫌ってアピールをするアズマさん。そして急に髪を翻し振り向く。

「しかしケイ。お前はそれを面と向かってフッたのだ!クッククク、ンク、クフフフフ、ンフッフ、あの顔見たか?ンフ万策尽きた夜神に棄てられた男みたいだったぞ!」

そして猫車の上で体を揺さぶり爆笑するアズマさん。操舵しているこっちからすると危ないからやめて欲しいね。危ないから。決して恥ずかしいとかそう言うことではなく。危ないからやめて欲しい。

「なあケイ?大事な人が、居るもんな?」

「あー西日が!夕焼けによって急に照らされて顔が真っ赤にー!」

いつもよりも誘惑の毛色にまみれた言葉に、なすすべもなくやられたのだった。そしてそれを見て、笑い転げるアズマさん。バランス危ないからやめて欲しいね。バランスがね。


僕が部長になっての初事件は、こうして幕を下ろしたのであった。

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