inside me.

こひまらま。

inside me.

ーカツン、カツンー


螺旋階段を降りるヒールの音が牢獄に木霊する。

僕は両足にうずめていた顔をそっとあげ、こちらへ近づいてくる足音をじっと待つ。


「これだけしか持ってこれなかった、ごめんね」


小声で囁くその人物は、僕の独房の前にしゃがみこんだ。

大事そうに何かを隠した白く小さなその手からは、誰かの歯形がついた一切れのフランスパンが現れた。

黒ずんだ僕の手が彼女の手をそっと包む。


「ありがとう、マリ」


申し訳なさそうに俯く彼女は、今夜はラベンダー色のドレスを着ていた。

僕たちは互いの背にもたれかかるように座り、彼女がいつものように僕に語り掛けてきた。


「ねえ聞いて、昨日の夜の夢はね、すっごく素敵だったんだ」

「どんな夢だったの?」


僕は上の空で返事をしながら、決して結ばれない僕達の「運命」を呪っていた。


冷たい風が牢獄の中を吹き抜ける。

鉄格子で外の世界と隔てる窓からは、青白い月の光が差し込み、スポットライトのように僕らを照らす。


「マリ、手をかして。」

「う、うん...?何?」

「いいから」


差し出された手に、獄の隅に生えていた一輪のデイジーで作った指輪をそっとはめる。


驚きで目をぱちぱちする彼女は可愛らしかった。

自分の手を遠くにしたり近くにしたりしながら、じっくりと眺めている。


「ごめん、こんなもので作ったものしかあげられなくて」

「ううん、すごく綺麗。とっても嬉しいわ、ありがとう」


優しげな満面の笑みを浮かべるマリを見ていると、ずっとこうして二人一緒にいれたらいいな、なんて思ってしまう。


「そろそろ見張りが戻ってくる。マリ、早く戻れ」

「また明日も必ず来るから、待ってて」

「ああ、おやすみ」

「おやすみ...」


僕の手をぎゅっと握り、切なげに僕の目を覗き込むと、マリはさっと立ち上がり、ひらひらとドレスの裾を翻しながら走り去っていった。

ただ二人、この薄暗い獄の中で看守が留守の食事の時間に、他愛もない会話をするだけ。

そんな僕達の二人きりの十五分間が今夜も又、終わりを告げた。


☆☆☆


ーカツン、カツンー


彼女のヒールが牢獄に木霊する。

退屈な昼間が終わり、月が顔を出す。

うずめていた頭を上げ、僕はマリの足音のする方に目を向けた。


今日はピンク色のドレスを身に纏い、いつにも増して着飾っているようだ。


思わず見とれていた僕に、豪華な御馳走が山盛りにのったガラスのプレートが差し出された。


「はい、どうぞ。今日はパーティーがあったから多めに食べ物をとっても怪しまれなかったの。美味しそうでしょ?」

「いつもありがとう、本当に申し訳無いと思ってる、こんな罪人なんかのために」

「いいの、私が持ってきたくてそうしてるだけなんだから」


得意げにふふふ、と笑うと、急に笑顔は消え、真面目な顔になった。


「あのね、今日はお祝いだったからパーティーがあったんだけど」

「うん」

「そのお祝いはね、」


ふうっと大きく一息吐いたマリは、少しはにかんだ。


「私の誕生日なの、だから、あなたも祝ってくれる?」


「もちろん。どうしてこの三年間何も言ってくれなかったんだよ」

「うーん、それは二十歳の誕生日に三年分のおねだりをしようと思ってたからだよ」


もう一度大きく息を吸って、吐いて、マリはローズクオーツ色に光る大きな瞳を僕に向けた。



「あなたの名前を知りたいの」



ほんの一瞬時が止まった。

僕はマリから逸らした目を上げることができなかった。

風に踊る枯葉が二人の周りを舞う。

お互い息を止めたままでいるせいか、無音の時間はしばらく続いた。


「あなたと出会った日から、私が何度聞いても名前だけは絶対に教えてくれなかった。好きな色も、好きな食べ物も、大切な思い出だって語り合ったのに、私だけあなたの名前を知らないなんて...ずるすぎるよ」


訴えかけるような目で僕を真っ直ぐに捉えるマリに、何と声をかけたら良いのかわからなかった。

何が正解なのか、まるで検討がつかなかった。

でも、マリに嘘だけはつきたくなかった。


「マリ...ごめん。それだけは言えないんだ」


「...どうして?どうして教えてくれないの、名前を知りたいだけなのに。何よ、お、しえて、よ」


地面に水滴が染み込み、色が変わる。

はっとマリを見ると、彼女は静かに泣いていた。

鉄格子の僅かな隙間から手を伸ばし、濡れた頬に手を添えた。

乾燥しきった僕の手に、温かい涙が潤いを与える。


「マリ、あのな...」



その時、真っ暗だったはずの風景がぱっと明るく照らされた。

突然の明るさに目がくらんだ。


次に目を開いた時には、マリが看守の手によって後ろ手に抑えられていた。


「ここは姫が来るようなところではない。罪を犯した者達が苦しみ反省する場所だ。何をしていたのか教えなさい」


そう言うと僕の前に置かれた山盛りの皿を蹴飛ばし、長い棒のような物で頭を思い切り殴ってきた。


「ーーーやめて!彼は何も悪くないの!私が勝手に来ただけなの!だから彼に手を出さないで!」


「悪くない?あんたは事情が分かっていないようだ。こいつが過去にどんな罪を犯した者なのか知らないのか?。あんたには兄がいるはずだ、違うか?」


「いいえ、私には兄弟はいないのよ。生まれた頃からずっと母と二人きりで過ごしてきたの。あなたが言っている話は、まるでさっぱり分からないわ」


看守は僕の方をまるで汚れた野良猫を見るような目で睨みつけた。


「フンッ。幸せなお嬢様だ。じゃあ父親はどうなったんだ?今はどこにいるんだ?」


頭を強く殴打されたせいか、意識が朦朧として体が言うことを聞いてくれない。


ードクン、ドクンー


心臓の高鳴る音と共に、手がぐっしょりと汗ばむ。


「私の父は、ある晩、何者かに殺されたの...。でも犯人は捕まっていない。今でも私の父を殺した奴がのうのうと生きてると思うと、...吐き気がするわ」


マリの震える声が響き渡る。


少し間を置いてから、看守が勝ち誇った口調で言った。



「その人殺しが、『こいつ』だって言ったらどうする」



ニタニタと気持ち悪い程の笑みを顔いっぱいに広げた看守が、僕のことを指さす。


「えっ...。」


衝撃がマリの目を走る。


「えっ、嘘、でしょ?私の父を殺した犯人が、あなた、なんて...。しかも『身内』を殺した者がここに入れられる...。どういう、こ...」


ーバタンー


目の前で、マリが倒れた。

と、同時に僕の意識の糸も、プツンと切れた。

最後に見たのは、彼女の指にはめられた、あの指輪だったーーー。


☆☆☆


ふと目を覚ますと、もう朝だった。

重い瞼をこすりながら、僕は昨夜の出来事を脳裏に思い浮かべる。

マリの衝撃と疑惑が入り混じった顔が目をかすむ。


外では鳥のさえずりが聞こえる。

あんな夜の後に、こんな和な朝がやってくるなんて、世界は不公平だ。


☆☆☆



王室に生まれた僕は、父の跡継ぎとして大事に育てられ、全く自由を与えてもらえなかった。

学校にだって行かせてもらえず、父は毎日僕に「跡継ぎとしての自覚をもちなさい」と厳しく当たった。

僕はそんな毎日が、どうしようもなく息苦しかった。

いつまでも父の操り人形なんかになりたくなかった。

だから、あの晩、僕はナイフで父の胸を刺したんだ。


でも、僕の殺した人は、僕「だけ」の父親ではなかった。


僕には、妹がいたのだ。

歳が九つ離れた、小さな妹。



ある夜、きょろきょろしながらこの獄へ迷い込んだ少女がいた。

まだ少しだけあどけなさが残るその顔の持ち主は、不思議そうに見つめる僕と目が合うと、しーっと口に指を当てた。


一目見ただけで、僕はマリだと気づいた。


僕の注意も聞かずにいきなり地べたに座り込んだマリは、一方的に話し始めた。


「ねえ、私ちょっと退屈してたところなの。あなた、私の話し相手になってくれない?」


素っ頓狂な出会いが、僕達の始まりだった。

それから毎晩、看守の留守の隙を見て決まった時間に、彼女は僕の所へやって来た。

二人で色々な話をした。

夢の話、美味しかったデザートの話、空想の世界だって一緒に作り上げた。



そして、気づけば僕らは互いに、惹かれ合っていた。



☆☆☆



僕達は決して結ばれない。

僕は罪人、彼女は姫。

そしてそう、僕は彼女の実の「兄」、そしてたった一人の父親を殺した「殺人犯」なのだ。



僕の決意に気がついたのだろうか。

真っ赤な西日が急に差し込んできた。

僕は独房の隅に隠されたマリが食事を載せてきてくれたガラスの皿を地面に叩きつけた。


ーガシャン!ー


辺り一面にガラスの破片が飛び散る。

その中でひと際大きなものを手に取ると、僕はその手を首元に運んだ。


マリ、嘘つきてごめん。

こんな最低な兄を、許してくれーーー。


ーサッー


僕は首にガラスを当て、真一文字に引いた。

勢いよく飛び散る真っ赤な血をインクのように指につけ、僕は地面に書き始めた、自分の名を。


「ラウル・スタインウエル」

悶える意識の中、大きく赤い文字で彼女に書き残した。


死が僕を迎えに来る直前、ふと血に染まった自分の指を見ると、

そこにはあの夜、

マリにはめたはずのデイジーの真っ白い指輪が、

濃い赤色に染まっていたーーー。



☆☆☆



「俺が見回りをした時、ラウルはしきりに一人で話してたんだ。突然騒ぎ出したから慌てて押さえた。そしたらマリ、マリって血走った目で叫び出した後、いきなり倒れて。でも息はちゃんとしてたし、しばらくしたら寝息が聞こえたからそのままにしておいたんだ」


看守は当惑した様子で頭を掻いた。

ラウルの死体を鋭い目で女性は観察した。


「今朝様子を見に来たら、ラウルはもう...」

「彼の妹のマリさんは確か、父親に殺された。そして彼がその復讐をとるために殺人を犯した。違いますか?」

「はい、仰る通りです」

「なるほど、私の推測によれば、彼は妹さんの死を受け入れられず、自然と心の中にマリさんを作り出していた...。彼は、









『解離性同一性障害』




です」













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inside me. こひまらま。 @sevenseas1006

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