歩きスマホ
みふね
歩きスマホ
男は歩いている。意味もなく歩いている。
その手にスマホを握り、親指で下へ下へとスクロールする。それを目で追っては誰かの呟きに親指を立てる。
雨がポツポツと降り始めた。男はそれでも画面に目を注いだ。
あっという間に土砂降りに変わった。それでやっとコンビニで買った傘をさした。左手で傘をさし、右手には依然スマホが握られている。
クスクスと笑う声がある。ランドセルを背負った小学生たちが男を指さして言った。
「あの人まだ傘さしてるよ」
空はすっかり晴れていた。男はそれでも傘をさしている。男の耳にはイヤホンが刺さっていた。
夏が終わり、秋が来て、冬が来て春が来て、また夏が来た。
男はまだ、歩いている。その手にはやはりスマホが握られている。充電が切れ、その真っ黒な画面は憔悴した男の顔を映している。男はそれでもなお親指を動かし続ける。
無音に耳を傾け続ける。
赤い信号を渡り、白い目で見られる。誰かが危ないと叫んだ。走ってきたトラックがブレーキ痕を描いて鈍い衝撃とともに男の傘をとばす。
男は歩いている。ひび割れたスマホを片手に歩いている。
足元に男の死体が転がっていた。男はその写真を撮り「死んだなう」と添えて自身のSNSにあげる。
いいねが一つ、二つと増えていく。男の心は満たされていく。それが唯一の生きがいだった。
十年が経ち、二十年が経ち、もう何年経ったかさえ忘れてしまったある日、男はついにその足を止めた。
眼前には目を刺し貫くような、毒々しい赤に染められた大きな川が流れていた。もちろん男の眼中にはスマホの画面を除いて他にない。そこに映る醜い己を隠すように暗くなる画面を明るくする。命の灯火をつなぐように必死に繰り返す。
「もう疲れた」そうSNSに呟いたが、誰一人として反応する者はいなかった。
男は自らの存在を否定されたように感じ、腹を立て「こんなもの……」と言ってスマホを川に放ろうと試みる。が、指先に癒着したそれは決して離れようとしなかった。
男は項垂れて、再び歩き出した。
川をバシャバシャと渡っていく。その手にしっかりとくっついたスマホに導かれるように、遠く赤い霞の中へと丸まった背中が消えていく。
「たすけて」最期に呟いた四文字の泡沫もまた、電子の濁流に呑まれ消えていく。
歩きスマホ みふね @sarugamori39
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