VOL.6

『答えなければならんですか?』


『答えられぬようなことをしたのか?』

 首領の目がぎろりと動いた。


 俺は椅子から立って彼女に歩み寄り、手を取り、ウィンクを送る。


 彼女も何も言わずに立ち上がった。


 俺は腰に手を回し、彼女の額に軽く接吻キスをする。


 周囲の雰囲気がぴりっと引き締まるのが、俺にも分かった。


 首領の隣の『兄』という男の唇がぐっと吊り上がる。


 だが、当の『首領』は、意外と落ち着いているように見えた。


『・・・・なるほど』


 首領は椅子に座ったまま、また茶を一口啜る。


『では、わしが娘と別れてくれ。といって、ここに札束を積んだらどうするな?』


『仮定の問いには答えられません。私はいつも現実しか見ていませんからね。』


 首領は隣の息子を手招きし、何やらささやく。


 息子が手を上げ、背後にいた黒服どもに合図を送った。


 程なくして、黒服が大きなジュラルミンのケースを下げて現れ、一礼すると、それを床の上に置き、蓋を開けた。


 中には帯封付きの一万円札がびっしりと詰まっている。


『ちょうど一億ある。見て分かる通り、勿論日本円じゃ。何ならドルにしてやっても構わんが』


『私たちの仲を、そんなに安いものだと思いますか?』

 俺は首領と、彼女、そして息子たちを順番に眺めながら言った。


せ我慢をするな。日本人。』隣に立っていた息子が初めて口を開いた。


 流ちょうな日本語だったが、冷たい、無感動な響きである。


せ我慢してるのさ。日本人だからな』


 息子と、そして後ろの二人が懐に手を入れるのが分かった。


 何をいるかは、最初はなから織り込み済みだ。


 首領が黙って手を挙げ、三人を制した。


『・・・・なかなかのものだな。今時そんな骨のある日本人がいるとは思わなんだ。探偵』


 チュンが、はっとしたように老人の顔を見た。


 俺も少し驚いたが、まあ、アジア一帯を仕切っている秘密結社の統領だ。


 知らん方がおかしいだろう。


 老人がまた手を挙げた。


 すると、もう一人がすっと現れ、ケースの蓋を閉めて立ち去った。


『・・・・これ以上の事は聞くまい。親や先祖のしきたりを押し付けるばかりの時代ではないのかもしれんな』

首領はため息を漏らし、また一杯茶を啜った。


『お父様・・・・』チュンの両眼に、みるみる涙があふれ、彼女はまた老人の前にひざまづき、頭を彼の膝の上に乗せた。


 老人は前よりも一層優しく、ゆっくりと彼女の髪を撫でた。


『幸せになるんだぞ・・・・チュン。月に一度で良い。手紙を書いて送ってくれ。』


 声が、少し湿っぽくなった。


『さあ、もう行っても構わん。時間を取らせて済まなんだな』老人はそう言って、今度は机の引き出しから何かを取り出した。

小切手のホルダーだった。彼は机の上のペンを動かし、一枚それを切った。


8の後ろに0が6桁、いや7桁ついていた。


わしからの祝儀だ。チュン。幸せに暮らせよ・・・・探偵君。君も何か欲しいものがあるかね?』


『いえ、ありません。もう貰っていますから』


 俺は老人に向かって微笑んで見せた。


 息子もそんな父の態度を見ていて、考えが変わったのか、

『実に惜しいな。お前ほどの人間がただの探偵屋なんかやってるのは』と、つくづく残念そうな口調で言い、手を差し出した。本心でそう思ったんだろう。あの冷たく鋭い目は、どこかに行ってしまったようだった。


だから、探偵屋なんかやってるのさ』


 俺は彼の手を握りながら、そう返した


 俺はチュンと、そして息子と三人で廊下を、黒服の並んでいる廊下を歩いていった。


 来た時とは雰囲気がかなり違っているようだ。


 拍手の嵐とはいかなかったが、廊下の黒服達が、全員俺達に頭を下げたのは、何も息子が一緒だったからというばかりでもないだろう。


 エレベーターは、やっぱり止まらなかった。


 


 






















 

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