執行部の酷暑な九月

先仲ルイ

異常気象と腕時計




 ———地上に出た蝉は非常に短命だ。「1週間で命は尽きる」とも言われているが、どうやらここの蝉は、夏休みが明けても元気なようで、まだ当分は死ぬつもりもないらしい。




 これは、そんな異常気象と、とある人物の、ほんの僅かな物語だ。










 床下学苑床下高等学校。

 歴史のある高校で、偏差値もそこらの中堅校よりか微妙に高い。

 猛勉強の末、俺は第一志望のそこに1年半前晴れて入学。

 入学早々、生徒会執行部役員選挙に出馬。見事当選し、今では役員2年目だ。


 現在、執行部のメンバーは全部で8名。

 あまりパッとしない連中だが、皆仲が良く、生徒会が好きで、仕事もそつなくこなす。良い仲間だ。




 さて、俺は小説を読むことも書くことも趣味な、純文系の高校二年生。


 最近では和服を着ながら、原稿用紙に万年筆で書くことにハマっていて、明治中期から昭和のモダンテイストまでを幅広く愛する疑似懐古主義者だ。


 執行部の敏腕副会長を務めるエリート高校生な俺だが…………


 「あぢぃーー!追試終わりに説教コースとかマジ拷問かよ勘弁してくれ……。」


 「うるせえ。黙って聞け。」


 夏休み明けの追試に、たった今骨を溶かされたところだった。


 「センセ、このクソ暑いのに、なんで、エアコン動かないんですか。」


 「あぁ?空調設備も古いし、時々あんだよ。つーか話を聞けっつの。お前は突き抜けて成績悪いんだから。」


 「ひぃ。」


 外では蝉がうるさく鳴いていた。


 長々と続く担任のありがたいお言葉も、火属性魔法の詠唱か何かなんだろう。短く見積もって、あと20分は続きそうだ。


 「あのう、そろそろ生徒会行っていいですか……?積んでる仕事たくさんあって、もう会議も終わってるだろうし―――」


 「あのなあ。その成績ぶら下げて生徒会なんて、常識的にやってる暇ねーだろ。お前もなあ、少しはあの会長を見習ったらどうだよ。」


 “あの会長”。俺には執行部の友人がいる。常に成績上位をキープ、教職員からの信頼も非常に厚い現役生徒会長。そう、俺を凌ぐ真のエリートだ。

 しかし古くから仲の良い俺は、あいつがホントはどういう奴か知っていて、上辺だけしか見ていない周りの評価が、まあ……いつまでも気にくわないでいる。


 「か、会長?!大体あいつはですね!先生方の思い描いているような…………」


 「今はお前の話をしているんだぞ。受験もそろそろ対策始めなきゃ、赤点祭りのお前じゃどこにも行けねえからな。」


 「あーーー!!やめて受験の話はしないで……。つーか、それこそあいつの話題振ったのは先生のほうじゃ…………」





 結局、何度も聞いたような内容の長説教は約40分間続き、日もようやく傾きかける頃に俺は解放された。


 これが今年の異常気象。

 まだ猛暑は冷めることがない。



 「こりゃ死ぬぜ。いろいろと……。」


 ため息混じりに口を開いた。


 この時間じゃ生徒会も終わっているだろうし、暑さでどうにかなりそうなので、今日はさっさと帰ることにした。


 溜まった仕事も、さて明日からどう処理するか……。

そんなことを考えながら玄関まで続く廊下を歩いていた。


 ふと汗に滲む顔を上げると、廊下の端に自販機を見た。近寄って品揃えを確認する。今望む飲料は1種類のみ。

 冷たい飲み物は何か…………


 「ドクペか。」


 愛飲のドクターペッパーを見つけ、ちょうど100円を入れる。ピピッと押して、缶が落ちた。

 自販機の中の缶を屈んで拾い上げ、再び歩き出そうとした時、

 ふと呼び止める


 「部長」


 という声。ドクペから目を逸らし、まあまあ熱を帯びきった頭を動かして、ぼんやりと背後を向いた。



 背は低いわけじゃないが、ちょこんとした佇まいを感じさせる小柄な風貌。少し大きめのシンプルなメガネ。

 愚直さを感じさせる凛とした目。

 部活の後輩だ。ポニーテールがとても可愛いのだが、今見るとどうにも暑そうで心配になる。


 「部長、お帰りですか?さっき例の会長さんが探してましたよ。」


 「えっ、あいつまだ残ってんの……。どこに?」


 「生徒会室で待っているから、と。」


 向こうから呼ぶなんて珍しい。何か急ぎの用でもあるのかもしれない。

 それにしても、敢えて携帯電話を使わずに伝言とは、流石。こっちの事情が分かってるじゃないか。


 「サンキュ、助かった。あ、そういや今週いっぱいは部活休みだから、よろしく。」


 「部長も、暑さで死んだりしないでくださいよ。私、困っちゃいます。」


 「ありがと。……あー、そういや今買ったんだけど良かったらいる?案外冷えてるよ。」


 「えっでも部長の分は?」


 「俺はすぐ生徒会室寄るから。ほらあそこ日陰でたぶん涼しいし……。ほら、まだ冷たいぞ。」


 彼女は少し考えた後、礼を言って嬉しそうにドクペを受け取った。


 俺は笑顔で別れを告げて、踵を返す。


 それにしても、このクソ暑くて部活もない日に、律儀に伝言とは……。真面目過ぎるのも問題だが、信頼できる後輩だ。まあ来年の部長は彼女で決まりだろう。


 そこからは来た道を引き返し、生徒会室を目指した。



 思考する脳も溶け始め、とぼとぼと歩いている。歩きながら愚痴を漏らしていた。


 「いやマジ、暑すぎでしょ……。説教長すぎて溶けるっつの……。」


 カタツムリみたいな移動速度でとぼとぼ、しかしそれでも案外早く、引き戸の前に到着した。


 「おう……やったぜ。」


 ぼんやりと汗の滲む目で、何気なく“生徒会室”の文字を見つめた。


 5月の役員選挙では、あいつと会長職をめぐって競い、惜しくも破れてしまった。


 ただ、肩書きだけが人間の、物事の全てなわけじゃあない、と思う。


 本当に大事なのは、一体何なのか。

 適当に考えながら、がらがらと戸を開けた。




 開け放たれた窓。

中央に、奇麗に寄せ集められた木のデスク。積み上げられたファイルと書類の束、広くもなく、言うほど狭っ苦しいわけでもない雑多な空間。

 ここが俺達の秘密基地。


 中央奥の事務椅子に座り背を向け、窓の外を眺める人物も1人。薄暗い部屋の中、窓から漏れる光は緑色だった。


 「電気ぐらい付けようぜ。」


 引き戸横のスイッチをパチっと押して、蛍光灯をつけた。一気に現実に引き戻すようなハイライトの鋭い光だ。


 壁に掛かる『先仲 不在』の文字をひっくり返して、俺は近くの椅子に腰かけた。


 そのまま背後に腕を伸ばして、引き戸を閉じてやる。

 木の戸が閉まり切ると、背を向けたまま座る“くせ毛の青年”は重たく口を開いた。


 「いらっしゃい。」


 「随分とまあ、長いこと待ってくれちゃって……。こっちゃ灼熱説教タイムですよ。」


 くせ毛の青年は、事務椅子で回ってこちらを向いた。


 「おうお疲れ。外暑いだろ。」


 「マジ暑いわ。でも直射日光が当たらないだけあって空調がなくてもここは涼しいな。」


 「あいにくここのエアコンは動かんぞ。」


 「あー知ってる。ここ最近どこもそうだぞ。ま、お前は夏の補習来てないから!知らないだろうがな!!」


 「えぇ……。それはお前の勉強不足だろ。」


 演台では雄弁に振る舞い、常に皆の憧れの的として君臨する。まさにこの学苑の生徒代表。

 そして俺の古くからの友でもあり、都合の良い好敵手。


 それが、現在の『七条ミル』という男だ。


 「ま、勉強はしてないかもしれない。してないかもしれないがね、そっちが勉強詰めだっただろー時期はですね……わたしゃ小説を書いておりましたのよ。」


 七条は、小説ねえ。と呟いて怪訝そうな顔をした。


 「お前に影響されて、ジョイフルホンダで原稿用紙と万年筆を購入してテキトーに書いたところですね、あらまあこれが見事に筆が進んじゃうんですよ!」


 「おうそうかい。」


 「文量自体は少ないけどさ!趣があっていいよねえ。これならバンバン書けちゃうぜ。」


 「課題はバンバンやれたのかい。」


 「うるせえ、俺はもう芸術で生きていくんだ!勉強ばっかしの君には分かるかねゲイジツが。才能開花しちゃったし〜、んゃデッサンの勉強して美大でも進もっかなあへへへ。」


 「おい」


 「なんだよ。」


 「お前いつから、そうダメ人間になったんだよ。高校入学してからか?いやその頃はまだまともだったよな……。2年に上がってからか?」


 急に冷えた。


 「違う。お前に選挙で負けてからだ。」


 続けて言った。


 「分かるだろ。お前も俺も対極的に変わっていったさ。お前はいつも、お前はいつもそうやって、俺の上を最短で飛ぶんだ。」


 七条は、不意を突かれてまた怪訝そうな顔をした。


 「……。」

 「少しは勉強しろよな。」



 「……で、そっちは何よ。そろそろ熱も冷めたし、急用でもあるんじゃなかったっけ。」


 「ああそうそう、急に呼び出してすまんな。」


 七条は少し息を吸ってから次のように言った。


 「校長の話、知ってるかい。」


 「校長の話?……ん、ああ。なんかそういや担任が愚痴ってたぞ。校長が例もなく、連絡も無しに不在だって。それが何か?」


 七条はゆっくりと前にのめり込んで、両肘を机についた。



 「校長、行方不明だ。」



 「んぁ、行方不明?どうして急に。」


 「さあ分からん。でも、午後の巡回担当の教師が、腕時計が落ちてるのを見かけたんだとよ。校長が付けてたのと同じやつ。」


 「熱にやられて幻覚見ただけなんじゃねーの?」


 「現物があるぞ?」


 そういって机の下からアンティークの腕時計を取り出してごとりと置いた。


 「オイオイオイ。いくらお前が教師陣のお気に入りでもそれは無いだろ!?現物じゃん、真鍮っぽい色合いも特徴ある歯車も。」


 「俺が居合わせた時には大騒ぎだったから、どさくさに紛れてちょいとくすねてきた。」

 「持ってきた理由は他にある。ちょっと触ってみ。」


 俺は言われた通り、身を乗り出して机の上の腕時計を持ち上げた。


 「なんだこれ。ビミョーに、ベタついてるか?」


 「このベタつき、いったい何だろうな。まあ、次いで匂い嗅いでみてくれ。」


 鈍い金色の腕時計を鼻に近づけると、ほのかに甘そうな香りがした。香水とは違う、ベタつきの正体そのものの香りだと思うが。


 「んー、なんか甘い香りだ。フルーツっぽいか?何のフルーツかは分からないけど。」


 「このベタつきと匂い、どうだい何となく校長失踪のヒントになりそうじゃないか?まあ、私は全くもって分からないが。」


 「無理だな。俺もさっぱり。」


 「良いのか悪いのか分からんが、学校はこの失踪沙汰を隠蔽しようとしてる。腕時計を見たことは忘れてね。学校側は何も知らないスタンスで、警察に任せるみたいだ。」


 「校長が無断欠勤で心配なので捜査頼む。って?」


 「そ。」


 なるほどねえ。俺にとってはどーでもいい事件だが、校長にはとある貸しがあった。


 「……カウボーイビバップのブルーレイ貸してんだよね。」


 「カウボーイビバップ?校長に?」


 無言で頷く。

 まだ初老の校長とはアニメの趣味が合って、ジュース飲みながら好きなキャラやシーンについて稀に話したもんだ。

 案外縁があるのかないのか、まあ他人事では無いだろう。ブルーレイボックスの回収も優先すべきだ。


 「つーことで、まずは現場からだな。下校時刻ギリギリまで粘るか。」


 「探すのかい?私らで。」


 「当たり前だ。貸したものはキッチリ返すのが大人だ。もっとも3ヶ月返してもらってねーけどな。」


 俺は七条にタオルを濡らすよう指示。俺はスクールバッグにそれぞれ2本ずつのペットボトル入りミネラルウォーターを補充した。


 腕を捲って、腹をくくる。


 腹をくくって、俺は言った。


 「腕時計が敷地内に落ちてたなら、ほかの手掛かりも見つけられる可能性が高いぞ。最も、“腕時計を落とす”って行為がそもそも尋常じゃないからな。何か見つけても、場合によっては知らなかったじゃ済まされないと思うが。」


 七条は怪訝そうな顔をした。


 「……お前マジで探すの?」


 「俺は貸し物があるからともかく、お前も探さなきゃマズいんじゃねーの。校長が消えたら、次の校長は今の副校長か新任の別の校長だろ。今まで融通きいてたことも難しくなるんじゃねーの?」


 「今の副校長って、ああ、近藤か。あの近藤が色々口出ししてくるようになるのは確かに困るな。」


 「つーか、何よりねえ。この奇怪な失踪事件が起きて、俺らが捜しに行こうってシチュエーションが楽し過ぎるだろ!俺は楽しい事をして生きたい。」


 七条は怪訝そうな顔をしかけて、笑みを浮かべた。


 空も赤みがかってきた頃だった。蝉もうるさく鳴いていた。


 「てことで、行きますか。校長失踪事件特設臨時捜索隊カッコ2名。レッツゴー!」


 「もっとマシなのねえのか……。」





 ある日、校長が失踪した。それは、未知の脅威が残した前触れ。残暑の、不思議な不思議な事件の始まり。







 平成32年 9月3日。



 私立床下高校 校長変死事件発生————。

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