それから始まる物語

左右 非対称

第1話 放課後

 彼女の艷やかな髪が揺れて、ふわりと僕の頬に触れた。

「壮……今のちゃんと聞いてた?」

「え……あ、うん。大丈夫」

「ホントかなぁ……」

 彼女の名前は神田志穂、いわゆる幼馴染みになる。家が隣同士なら高校の席まで奥森姓の僕と隣同士

。県内では上の中くらいのこの学校に彼女に引きずられて入った。

「……そおくん?」

 志穂が僕の顔を覗き込んでいる。僕の目に映るのは、志穂の端正だけれど可愛らしさのある顔立ち。大きな黒い瞳が澄んだ光を吸い込んで思わず息を呑む。

 放課後の教室、クラスメートはみな部活で校庭からは運動部の声が聞こえてくる。他には誰もいない――ふたりきり。別に今日がはじめてでもなく。

 名前を呼ばれて、でも言葉が出ないでいる僕と志穂は見つめ合ったまま時間が止まったみたいに。

「知ってる?」

「……うん?」

志穂が愛らしい唇をきゅっとひきあげて僕に言う。

「こうやって静かになる瞬間って神さまが通った時なんだよ」

「志穂……前もそんなこと言ってたよな」

「ありゃ? そうだっけ? 言ってた

?」

「うん、聞いた」

 志穂が顔をくしゃくしゃにしながら笑っている。くしゃくしゃなのに可愛い……。

「生まれた時からずっと一緒だもんね。長い付き合いだもん、こーゆーこともあるさー」

 僕の肩をバシバシと志穂が叩いてくる。照れた時の志穂の癖だ。

「ご夫妻、今日も仲良いね」

 同じクラスの下田の声だ。

「下田、あまりからかうもんじゃないわよ」

 声が笑っている夏子も一緒か。

「なっちゃん、下田くん、やほー」

 志穂が呑気に答える。

「委員会終わったの?」

「うん、終わった。君らまた神田塾中?」

「ああ……まあ」

「ふーん……なんで家隣なのに学校でやるの?」

「別に……なんとなく。家よりはかどるし……」

 僕が答えると志穂がプッとふきだした。何故笑うんだよ……。

「おうちだと何かマチガイがあったら困るんだよね、壮?」

 志穂の言葉に今度は僕がふく。

 下田と夏子が目で合図し合っているのが見えた。

「あたしらもう帰るけど……、志穂たちまだ残るの?」

 時計を見ると15時を過ぎている。

「今日はこのくらいにしときますか」

 志穂が無邪気な笑顔を向けてくる。白い指がノート、教科書、筆記用具を流れるような動作で片付けていく。

 僕も負けずに、僕なりに手際良く机の上を片付けた。


「志穂……、この辺で別になったほうがいいんじゃない?」

 僕は最近食べた最高のイクラ丼の話しに夢中な志穂に言った。

「おお?! もう土偶公園だったかー」

 僕たちが小さな頃からある、土偶の形をしたすべり台が目印の公園。小さい頃は毎日のように――。

「毎日ここで遊んでたよね、わたし達」

 志穂が懐かしむ目で公園を見回す。

「志穂は男の子みたいだったよな。実際、遊びも男の子っぽいのばっかで」

 思い出して僕は笑っていた。本当に今では考えられないほど、彼女は男の子みたいだったのだ。それが変わりはじめたのは、中学に入ってしばらくしてから……。どんどん志穂は美しく、女の子になっていった。

 何故お互いの家で勉強やら出来ないのか――。志穂の超がつくシスコン兄貴に配慮してだった。志穂がまだ“男の子”だった頃はこんなじゃなかった。彼女が綺麗になりはじめてから、志穂の兄優樹(マサキ)は志穂に対して執着しはじめたように思う。十人並み容姿でしかない僕や妹じゃわからない、美形兄妹の関係……。

 ――悪い人じゃないんだけどなあ……。

 そんなことを考えていると、また志穂が僕の顔を覗き込んでいた。

「壮、最近ぼーっとしてるよね……」

「え……、あ、ごめん」

「……お兄ちゃんもさ、心配なんかいらないのにね」

「…………」

「わたしが……、わたしが好きだって言っても壮は好きとも嫌いとも言ってくれないんだから……」

「志穂……」

「……また明日ね、壮」

「うん、じゃあ」

 くるりと背を向けて志穂は僕とは反対側の道を歩き出す。

 お隣だけれど回り道をして時間をずらして……。

 ――ごめん……。

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