第9話:『ロックの天使』
なんて綺麗な生物だろう。
私が最初にツクリテ氏を見た時の印象は、端的に言ってしまえばこれだった。
いつものように、三組のバンドが出演するイベントに赴いた。中堅バンド二組、前座としてそのバンドが三十分だけ演奏する構成だったので、チケットにはバンド名すら記載されていなかった。
下北沢シェルターというライブハウスの地下フロアに降り、客電もステージの照明も比較的薄明るい状態で、ギターとエフェクターボードを持ってセッティングをするツクリテ氏は、小柄で、華奢で、眼のくっきりとした、美しい男性だった。
そう思ったのは私だけではなかったらしく、後ろの方で女性客がヒソヒソとざわついた気配がした。
だけど。
私には、悲しいものが『見えて』いた。
名前も知らない美しい彼の眼、そしてその細い身体にまとわりつく『闇』のようなもの、そして『悲哀』が。
オーラと言うと少し違う。雰囲気とも違う。
しかし皮肉なことに、それこそが彼をより美しく見せている。
別に自分がメンタルを病んでいたからかとか、そういうものは関係なく、私には透けて見えてしまった。勘違いであって欲しかったが、とにかくその彼がどんな歌を聴かせてくれるのかと、好奇心は倍になった。
突然客電が落ち、後方のクラウドがどっとステージに向かって突進して、悲鳴のような声や怒号が狭いフロアを熱くする。私はその盛り上がりに驚きを隠せなかった。ほぼ無名のはずの若手バンドに対する歓迎の反応とは一線を画した熱狂ぶりだったからだ。すでに固定ファンが付いているのだろう、と推測していたら、メンバーが登場した。
最初に出てきてドラムセットに向かったのは、満面笑みで客に手を振る快活そうな男性。続いて、五弦ベースを脇に持つ、長身で黒髪セミロングの男性が登場、こちらの方はフロアを一瞥してから丁寧に礼をし、セッティングを開始した。
最後に例の男性が登場すると、フロアの熱気は最高潮に達した。
だが、そのギター&ヴォーカルの彼は、客を見もせず、テレキャスターというギターをセットし、明らかに低すぎるマイクスタンドの上に垂直に立つマイクをひと撫でし、次の瞬間には激しいギターカッティングと共に下を向いて歌い始めた。
バケモノ——!
正直、私はそう思った。圧倒的に圧倒されて、意識を彼の歌とギターに奪われてしまった。
だってこの声!
何をどうしたらあんな痩躯からこんなに力強く、深く、そしてこちらの琴線に触れるどころか引き千切るようなエモーショナルな声が出せるんだ?!
途中からベースとドラムが加わり、音圧が数倍にもなった。待ってましたとばかりに客はモッシュやダンスで彼らのサウンドを謳歌し始めた。
私の記憶はここで途切れている。
目当てだったメインのバンドを楽しめる気がしなかった。地上に登り、私はすぐさまスマホで彼らについて調べた。
そして地元に戻ってから深夜まで営業しているレンタルショップの雑誌コーナーで彼らが載っている雑誌を買って帰宅し、翌朝には近場のタワレコに走って彼らのCDを全て購入した。
「それは物凄い一目惚れだね」
「そうなんです! もう私、ツクリテ氏の見た目に騙されたんですよ! おっさんさんも思いませんか? あんな声出せる若手、他にいませんよ?!」
「確かにあの声はなぁ〜。最初は俺も正直ビビった。酒のせいもあったけど、一曲聴いてガチで涙出た」
「酒? 一緒に飲んでらしたんですか?」
「あ、いや、俺とツクリテは下北のバーで何となく隣同士で話してて」
「え? それって完全に偶然というか、初対面ということですかね?」
「うん」
「え? えーと、以前お話しさせていただいた時、出会ってすぐおっさんさんからシェアハウスを提案したとおっしゃってましたよね? え? ん?」
「ははは、そうだよ、初対面でウチに拉致ったんだ」
「……ちょっと、失礼ですが、絶句、としか、言えず……」
「絶句って言ってるじゃん、はは。ところでファン子ちゃんが最初にツクリテに感じた、その、闇? とか? は、結局何だったんだろう」
「最初は、闇と悲哀を背負った方だとお見受けしました。過去に、何かとんでもない不幸に遭ったような……。でも、ライブを見る毎に、闇と悲哀は変化していったんです」
「何か他のものに?」
「光です」
「光。真逆だね」
「ただの光ではないんです。何だかとても厳かで神聖で、光自体ではなく、ツクリテ氏の闇にその光が宿っていく感じというか……」
「悲哀はどうなったの?」
「幸せな恐怖になりました」
「は?」
「ホント、これ他の人に言わないでくださいね! 私の勝手な妄想ですから! 今、ツクリテ氏は、おそらく、幸福なんだと思います。だけどその幸せはいつか失うものかもしれない、という予期不安のような恐怖、に、なりました」
「なんかスピリチュアルな感じになってきたねぇ」
「まあ、実際天使ですからね、ツクリテ氏は」
「天使……?」
「ああ、彼らのプロデューサーがツクリテ氏を『ロックの天使』とブログに書いたのがきっかけで、今はファンやそうじゃないリスナーも、ツクリテ氏を天使ちゃんとか呼んでるんですよ」
「天使か。俺はちょっと違うな。俺はあいつのことを、何というか、庇護対象っていうか、丁寧に安全に扱わないといけない存在、みたいに思う。あ、アレだ、守護神的な」
「ロックの天使の守護神! おっさんさんは究極的に高位な方になりますね!」
「言うだけならタダだよ」
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