第8話:命ノ恩人
「ねえ、あんた最近いいことあったでしょ」
バイト先の店長・飯塚さんに開店前にそう言われ、私は思わずビクッと飛び上がってしまった。
「なんかメイクもちょっとよくなってるし、たまにひとりでニヤニヤしてるし。男できた?」
「そ、そんな! 滅相もございません!!」
「じゃあ男以外だ。絶対、何か起こったね、いいことが」
飯塚さんは鋭い。しかし私はここで『大好きなバンドのメンバーに近しい人と交流を持つようになった』とは口が裂けても言えないのである。
「ひ、否定はしませんがこれは社外秘なので……」
「ここが『社』でしょーが」
飯塚さんはそう突っ込んで、しかしそれ以上詮索はせずに続けた。
「私も嬉しいよ。最近生き生きしてるからさ。面接に来た時とはまるで別人。もちろん、めっちゃいい意味でね」
言いながら飯塚さんは店先にセール品の入った籠を持って出た。
「飯塚さんや他の皆さまのおかげですよ、本当に」
私は棚に並べてあるロンTを畳み直してながら俯いて呟いた。
ほんの一年半だけど、私は鬱病と不安障害を患った。
高校は出席日数ギリギリで卒業できたものの、大学受験どころの話ではなく、めでたく無職となり、親の反対を押し切ってこの街でひとり暮らしを始めた。この病の原因に、少なからず両親が絡んでいると思っていたからだ。そしてそれは大正解だった。
私は大学に行きたかったし、もっと高校生活、ハイスクール・ライフなる青春の象徴をもっと楽しみたかった。
タイミングが悪かっただけ。
そう思うようにしている。
ちなみに現在、鬱はほとんどなくなり、不安障害はほんの少し残っている。一応通院はしており、抗鬱剤を少量服薬し、トランキライザーの頓服を常に持ち歩いている。
だが、私を本当に助けてくれたのはSSRI系抗鬱剤のパキシルでも、ベンゾジアゼピン系抗不安薬のレキソタンでもなく、ロック・ミュージックだった。
音楽がなければ、私は今こうして生きていなかったかもしれない。
甘ったるいポップスは、もともと好んでいなかった。私は何かもっと、泥臭くて生々しくてかっこいい音を欲していた。
だから、たまたまラジオで某ロックバンドの楽曲を耳にした時、私は雷に打たれたかのように衝撃を受け、鬱で減退していた意欲というものが少し回復して、部屋から出られない状態だったにも関わらず、親同伴でレコードショップに行ってCDを数枚買った。
デジタル音源ではなくCDを買うことにしたのは、単純に形が欲しかったからだ。
このご時世、ラジオで聞いたかっこいい曲なんて、その辺の配信サイトで四秒で手に入る。しかし、繰り返すが、私にはジャケットや歌詞カード、ディスク本体を、可視のものとして手元に置きたい、という欲求があった。
そして、二十歳になる前に、主治医の許可を取ってスタンディングのライブに参加した。
ここだ。
私は強く確信した。
パンクバンドのライブだったので、事前調査はしていったものの、モッシュでもみくちゃにされ、自分のもの他人のものか分からない汗でTシャツを濡らし、ステージ上のバンドを通じて数百人の赤の他人と一体感を得られ、同じ音楽を生で聞いて同じように盛り上がるという時間を過ごせた。
そのライブというイベント自体がまるで非現実的な儀式のようで、私は終演後、スタッフが撤収作業を始めてからも、汗だくのままで呆然とフロアの中央に立ち尽くしていた。
ここだ。私の居場所はここだ。
内心でそう繰り返して涙目になっていたが、スタッフにすぐ退場するよう注意され、私はあたふたと帰路についた。
以来、私はバイトの勤務時間を少しずつ増やし、隙あらばライブに行くよう相成ったのだ。
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