寄り添ってくれる音楽

第7話:同志

 嗚呼、ある意味ツクリテさんとおっさんさんの家に行った時よりも緊張する。

 私は低いテーブルにティッシュ箱を置き、その上に折りたたみ式の鏡を置いて、入念にメイクをチェックしていた。うん、まあ地味でもないし、いかにも『塗ってます!』という感じでもない。

 ナチュラルメイクなるものには初めて挑戦したけど、嗚呼、ベースメイクというのはここまでの労力を要するものだったか。昨日ドラッグストアで買ってきたBBクリームとコンシーラー、チークは、普段下地とファンデしか塗らない私にとってはまさに未知の世界で、恥も何も捨てて店員さんに使い方を伝授してもらったかいもあり、何とか、なった。はず。


 何故私がここまで緊張し、普段は一瞥で終えるメイクの仕上がりをここまで確認しているかは、とんでもない理由からだ。


 敬愛するツクリテさんの住所が分かってしまって、見つかっても何食わぬ顔で辞せばいい、そう思って行ってみたらば問題の路地の一軒家からツクリテ氏が出てきて、追うこともできずに硬直していたら同じ家から別の男性が出現したのだ。


 年齢は、おそらく三十代か、あるいは二十代後半。パーマをあてているのか単なるくせっ毛なのか判別のつかない黒髪は爽やかな朝にもすんなり馴染んでいて、よくよく顔立ちを見れば非常に繊細そうな鼻梁、目許。


 だから、一気に好奇心が高まり、思い切ってお話しさせていただいた。


 おっさんさんは、自分からシェアハウスを持ちかけたと言っていた。しかしツクリテファンの間では、様々な憶測、根拠のない噂だけがひとり歩きしている。まだ実家暮らしのパラサイトだとか、女性に養ってもらっているだとか、挙げ句ラブホテルを毎晩違う女性と泊まり歩いている説、等々。


 これは私が抱くには恐縮というか明らかにおかしい感情ではあるけれど、私はおっさんさんと話してみて、心の底から安堵したのだ。少なくとも、誰かしらに金銭をせびっているとか、そういう状態ではなく、きちんと雨風をしのげる場所に、しっかりとした人と生活している、という事実に。

 それだけ分かって、私は充分満足した。つもりだった。

 しかしだ。

 


「ごめんごめん、地下鉄慣れてなくて」

「いえいえ! 全く問題ございません」

 おっさんさんはなんと、ツクリテ氏のバンドのライブを見たこともなければ、その素晴らしさ、美しさへの愛情をシェアできるファン仲間すらいなかったのだという。

「タバコ吸えるならどこでもいいけど、ファン子ちゃんオススメの店とかあったら任せる」

「把握しました! でもまずは書店に寄ってもいいですか? 各種音楽雑誌をチェックしたいので」

 メトロとJRの駅の中間にある本屋は開店したばかりでがらんとしていた。私はほぼ毎日のように来ているので、一切迷いなく音楽雑誌コーナーに直行し、おっさんさんはきょろきょろとしながら、少し遅れて到着。

「あ!」

 雑誌コーナーに入ってくるなり、おっさんさんは声と共に口を開け、二秒ほど停止した。

「え、これマジであいつ? 雑誌の表紙なの?」

「そうですよ。それはインディーズのバンドを主に取り上げるものですが、こちらにも」

 私は少し微笑ましい気分になって、最もリスナーに影響力のある大手雑誌を差し出した。

「えーと、『シーンを揺るがす脅威のニューカマー、その第一歩を捕捉!』……な、なんか分からないけど、え? 実はあいつすっげえ有名人?」

「一部の界隈では、かなり」

 そう言うと、おっさんさんは目を丸くする。まるで少年のように純真無垢に見えた、なんて言うと失礼だけれど。


 でもますます分からなくなってしまった。おっさんさんとツクリテさんの関係性、否、彼ら二人が、お互いにお互いをどのような存在として認識しているかが。


 単なるハウスメイトでも、互いのこと、最低でも社会的な肩書きというか、突き詰めていくと金銭の問題に発展してしまうけれど、そういうことは最低限了承していないと、シェアハウスなんてしないと、私個人は思うなぁ。


 収穫なしで書店を後にし、その近くの純喫茶におっさんさんと赴いた。『カフェ』ではなく『純喫茶』であることが重大なポイントだ。私はバイト仲間たちが楽しんでスイーツを食べに行く類のオシャレカフェにはあまり惹かれない。こういう古き良き店の方が、『いてもいいよ』と言ってくれる気がして。


 入店すると、いつものご主人がにっこりと微笑みかけてくれた。ウエイトレスの女性も、「いらっしゃいませ」と柔らかい声を店内に響かせる。昭和情緒あふれるこの純喫茶、といっても私は平成生まれだからリアルタイムでの昭和は体感していないけど、それでも何かを追体験できる気がする。ゲームができるテーブル、昭和当時のバイクや車のナンバープレートを飾った壁、当時の映画のポスター、使い込まれて手触りがするするした木製テーブル、ふかふかとしたボルドーのソファ。

 おっさんさんは店内を見回すと、はぁーっと感心したのか何なのか、意図の掴めない声を小さく発した。


「こういう店、あるのは知ってたけど入るのは初めてだよ」

「私の隠れ家です。気に入っていただけると嬉しいのですが」

 一番奥のソファ席に落ち着いて、全席喫煙可であることも伝えて、おっさんさんにメニューを渡した。おっさんさんは食い入るように手書きのメニューを見詰め、


「喫茶店なのに焼きうどんあんのか!」


 と感動した声を上げて、アイスココアとそれを希望される様子だ。私は先ほどの女性店員さんに来てもらい、まずはおっさんさんのオーダーをお伝えした。

「貴方はいつものでいいのかしら?」

「はい、お願いします」

 店員さんが去ると、おっさんさんはまたも異次元に迷い込んだような顔。

「バーでもないのに『いつもの』で通じるんだ?」

「仕事がない日はほとんど来ていて、いつも同じものを頼むので」

 言いながら少し恥ずかしくなってしまった。だけど、もうストーカーまがいのファンであるとおっさんさんもご存知なわけだし、これ以上何を恥じろというのだ。


 そこからは、またツクリテさんのバンドについて話した。何だか情報交換会議のようで面白かった。

 私は『この曲はライブで昔から演奏されていて、正式な音源化にファンが狂喜乱舞した』といったバンド活動の情報を提供する。おっさんさんは、『あの曲は風呂場でいつも歌ってたやつで、ただの鼻歌がこんなに美しい曲になるなんて思わなかった』と激レア情報を返してくれる。

 また、『あいつ、お好み焼きが好物なんだけど、ソースよりマヨネーズを多めにかけるんだよ。邪道だよな』とファンからすると垂涎モノのエピソードまでおまけしてくれた。

 もちろん、本当にパーソナルな、個人情報はなかったが、私はそれで満足だった。

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