第5話:恐怖(全身に鳥肌が立つほどの)

 パチンコ屋の女子トイレだったらしい。

 俺が産まれたのは。

 便座のふたの上に、ビニール袋で覆われて死にかけていたところを他の利用者が発見し、病院に搬送され、俺は一命を取り留めた。


 それからのことはあまり思い出したくない。

 児童保護施設を経て、ある老夫婦のもとに引き取られた俺は、その夫婦の息子から性的虐待を受け、そいつは親に言いつければ施設に戻すと俺を脅した。

 その老夫婦のことはそれなりに好きだったけど、三度目の暴行の後、俺は深夜にその家から逃げ出した。


 独りは嫌だった。寂しかった。

 だから俺は別の施設に行って、新しい、今度は比較的若い夫婦のもとにお世話になることになった。

 そこで俺は、生まれて初めて『楽しい』という感情に出会った。

 便宜上父にあたる人が音楽好きで、アコースティックギターとエレキギター、エフェクターと小さなアンプがあったのだ。当時、多分小学校の中学年か高学年だったと思う。俺の記憶は酷くあいまいだ。

 許可を得て、俺は教本を見ながらギターの演奏技術を学んだ。

 そして、中学に上がる直前に、初めて曲を『産んだ』。

 喜怒哀楽の哀しか持ち合わせていなかった俺が、ついに喜と楽を手にした瞬間だった。


 これがあれば生きていける。


 ガキなりにそう悟った。


 しかしその家庭にも長居はできなかった。

 不妊治療を長年続けてきても子供に恵まれなかった彼らに、ついに第一子が誕生したのだ。

『これまでのように、一緒にいていいのよ』

 彼らはそう言ったが、案の定、扱いに差が出始めた。

 その赤子が一声上げるだけで彼らは歓喜の悲鳴を上げ、その一挙手一投足を慈しんだ。


……俺は?


 ガキは敏感だ。鋭敏で過敏だ。特に俺のような境遇だと。

 それまで、曲を産んで披露すると手を叩いて喜んでくれていた彼らが、エレキギターの音は赤ん坊の耳に悪いからとアンプとスピーカーを没収した。

 奪われてしまった。ようやく見つけた、俺の人生の相棒が。

 エレキ本体は演奏を許可されたが、電気の通ってない金属をいくら掻き鳴らしても、むなしい摩擦音しか聞こえなかった。


 とはいえ、この点に関しては、もしかしたらよかったのかもしれない。エレキの音が聞こえないからこそ、こういう音で鳴らしたい、ここはこういうリズムを入れたい、と想像が止まらなくなったのだ。


 しかし、俺はもう知っていた。

『いていいのよ』

 彼らは確かにそう言った。

 しかしそれは残酷な提案だった。

『私たちは実の子だけ愛するけど、別にあなたもここにいてもいいのよ』

 俺には、そうとかしか聞こえなかった。

 だから義務教育を終えた俺は、またそこから出て行った。

 本当に捨てられる前に。自分から。



 俺は女が恐い。幼女でも、少女でも、大人でも。

 女という生物は、どんなにいい人でも、本性は勝手に産んだ俺を便所に捨てるようなことをする可能性を秘めている、と、俺の本能に刷り込まれているのだ。

 宿無しになった俺はほんの一時期、いわゆるそういう場所へ赴きいわゆるそういう行為を代償に、暖かく眠れる乾いた布団を手にしていた。


 一時期は住み込みのバイトをした。

 そうしたら今度はその料亭の主人の娘が夜中に俺の部屋に来て、布団に入ってきた。そいつは全裸だった。

 気づいたら俺は布団から飛び出して、立ち上がろうとした女のあごに蹴りを入れていた。警察沙汰にはならなかったが、当然俺はクビになった。


 そしていよいよ宿無しになった時、おっさんと出会ったのだ。

 

「おーい、ツクリテ殿下よ」

 聞き慣れた声が、俺を眠りから現実に引き戻した。

「んだよ……、今日は夜ライブって言っただろ……」

 俺が半覚醒状態で言うと、おっさんは妙に浮かれた声で、

「いやいや、俺もうちょっとしたら出掛けるから、メシは冷蔵庫のもん勝手に食えよ、と言いに来た」

「んん……? 出掛けるって?」

 目を擦りながら尋ねると、

「お友達に会いに行くのだ!」

 と、おっさんはえらく大仰な口調で言った。

「はいはい了解、俺もうちょい寝るからとっとと行けよ、おっさん」

「おっさん言うな。おまえこそとっとと寝ろ、ガキ」

 自分で起こしておいてなんと理不尽な物言いだろう。でもおっさんは笑いながら出て行き、俺は寝ると宣言したが頭が冴えてしまった。


 たまに思うんだ。


 もしおっさんが俺の音楽に飽きたり、失望したり、嫌いになったりしたら、おそらく俺はここにはいられないんだろうな、って。

 別にあんなおっさんのご機嫌取りのために曲を『産む』わけじゃない。そんなことはしたくないし、きっとやろうとしても無理だ。

 すぐの話ではないけど、これからメジャーで望むような活動ができるようになれば、俺はここに住む必要性が、ほとんどなくなる。

 そこまで考えたら、一気に『それ』が全身に走った。 


 恐い。

 恐い。

 恐い。


 心臓が、鼓動が、BPMを上げている。うなじを何か嫌なもので撫でられるような感覚に襲われる。息が、浅くなる。


 生まれてからここに行き着くまで、俺は徹底的に独りで、金や宿のためには自分の身体を捧げないといけなくて、それが当然の世の理のように思っていた。

 だからこの家に来ても、おっさんがそういった行為を要求してこないのが心底不思議だった。

 でも、どうやら俺の倫理観の方がおかしかったらしい。と、おっさんに教わった。


 おっさん、俺は……、


「……俺はずっとここにいたいよ」




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